暁に咲く花  ――― 14 ―――

             翠 はるか



 「……平和だな」
 九条通りを歩きながら、天真はぽつりと呟いた。
 皆でぞろぞろ歩いても仕方ないので、天真と泰明、あかねと詩紋と頼久の二組に分かれて京を回っていた。
 龍脈の影響が強い場所―――三年前は怨霊がはびこっていた場所を回って、気配を探る。しかし、天真の目には場も人も穏やかで、変わったところなどないように見えた。
 「本当に異変なんてあるかあ?」
 「意識を集中していろ。分かるものも分からないぞ」
 泰明が冷たい口調で言い捨て、ついで余計な一言まで付け加える。
 「もっとも、お前は八葉の中でも霊力は低かったから、あまり感じられないのかもしれないな」
 天真がぐっと詰まる。彼以外が口にしたのなら喧嘩を売られたと受け取るところだが、彼のことだから、事実を思ったまま言っただけなのだろう。
 「お前は何か感じるのかよ」
 「ああ」
 「えっ」
 天真が弾かれたように泰明を見る。聞いたものの、肯定の返事は期待していなかった。
 「陰りの気配が、私が京を離れている内に強くなっている」
 「本当か? やっぱ俺には分からねえのか」
 「集中して、やっと感じ取れるというところだが、以前はもっとかすかなものだった」
 泰明の言葉に、天真は考え込む。
 天真は基本的に自分の目で確かめた事以外は簡単に信じないが、泰明の力は承知している。
 「陰りが強くなってるっていうのは、事態が悪くなってるって考えていいのか?」
 「そうだな」
 天真がうなる。実感はないが、それならなお気合いを入れなおさないといけない。
 「着いた、東寺だ」
 泰明がそんな思考を遮るように、目的地への到着を告げる。
 「おう、今度はもうちっと集中してみるか」
 「そうしろ。奴ももう来ているだろう」
 「ん? 奴って……」
 聞こうとするが、泰明は歩調を速めて歩いていってしまう。
 「ちょっと待てよ。ったく、相変わらずマイペースだな」
 天真はぼやきながら泰明の後を追った。

 「やあ、泰明殿。遅かったね」
 「友雅」
 東寺の一室で待っていた人物を見て、天真は驚きの声を上げる。
 「お前、何やってんだよ。さっさと帰ったと思ったら」
 「今朝、泰明殿に会って、頼まれ事をされてね。―――泰明殿、これがその品だ」
 友雅が泰明に冊子を渡す。泰明は受け取るやいなやその冊子をめくり始めた。
 「いつの間に……」
 天真もその冊子を覗き込むが、筆書きの達筆な文字を見て、すぐに解読を諦めた。
 「お前は黒龍の神子のところへ行っていたからな」
 「ああ、あの時か」
 蘭と話すために、泰明と一時別れた。それで友雅はあの後の話し合いにいなかったのか。
 「それで、なんだそれ?」
 「陰陽寮が観測した異変の報告書だ。……やはり、ここ数日増えているな」
 「そのようだね。こちらの状況も報告しておいたから、程なく新しい報告も来るだろう。それと東寺の御坊の書付だ。御坊は異変を感じていたようだよ」
 「ふむ。さすが徳を称えられるだけはある」
 「ここは、他より揺らぎが強いのかもしれないね」
 泰明と友雅が会話を始めてしまい、天真は手持ち無沙汰になる。
 「あー、こういう地道な調査は苦手だぜ。こう、ぶわーっと出てきてくれりゃ、やっつけられんのによ」
 「我らの役割は、まず異変の強い場所を絞り込む事だ」
 泰明はにべもない。
 「ふふ。確かに、天真には向かないね。他の様子はどうだった?」
 「二箇所ほど回ったが、陰りが強くなっていた。だが、まだかすかなものだ。私にも見定めることは出来ぬ」
 泰明が思案するように顎に手を当てる。
 「やはり、黒龍の神子に来てもらわねばな」
 「……あまり蘭を利用するなよ」
 ある程度は仕方ないとしても、やはり天真としては、蘭を極力関わらせたくない。今朝だって、泰明に少し言われただけで青ざめていたのだ。
 「黒龍の神子が呼ばれた以上、その力は理の一部。いずれ必要になる」
 「そういう事じゃなくてっ」
 「まあまあ、天真。京の異変を探るというのは、彼女のためにも必要な事だ。泰明殿を責めても致し方ないよ」
 「…そうだけどさ」
 泰明が冊子を閉じる。
 「友雅、次の箇所に移動しようと思う。お前も付き合え。天真の霊力では、まだ感知できぬ」
 天真がぐっと詰まる。
 …こいつ、やっぱりわざと怒らせるように言ってるんじゃねえか?
 友雅が扇の陰で笑いを漏らす。
 「承知した」


  その後も、天真には退屈きわまりない京めぐりが続く。どうせ何も感じられないなら同行しても仕方ないのだろうが、何もせずに待っている事も出来そうにない。
 泰明と友雅の後をつまらなさそうに追っていたが、市を通りかかった時には、表情が明るくなった。
 「ここも活気が出てるなあ」
 以前見た時よりも、倍は売り場が増えている。売り買いも活発なようだった。
 「外出を恐れる必要がなくなったからね」
 「売ってる物も雑多だなあ。蚤の市みたいで面白いな」
 急に元気になった天真は、きょろきょろと首を動かし落ち着かない。
 「ふふ、あかね殿への贈り物でも探しているのかい?」
 「べ、別に、そんなんじゃねえよ」
 からかうような響きに、天真は咄嗟に反発する。
 「構わないじゃないか。少し覗いていくといい」
 「いや、でも、調査の途中だろ?」
 そう言いつつ、天真の視線は市の品に釘付けだ。
 「泰明殿、ついでだ。市に寄っていかないかい?」
 「いや〜、こいつが頷くわけないだろ」
 泰明は一切の無駄を嫌う。いいと言うはずないと思ったが、意外にも泰明は頷いた。
 「分かった」
 「えっ、いいのか?」
 「私も買っておきたい物がある」
 「……女への贈り物とかじゃないよな?」
 思わず尋ねる。これも肯定されたらどうしようかと思ったが、幸いと言うべきか冷たい視線が返ってきた。
 「市には、呪具のもとも売っている」
 「そっか。あー、なんか良かった」
 友雅がこらえきれないように笑いを漏らす。
 「お許しが出たよ。好きな物を選ぶといい」
 「やった。ん〜、そういや、蘭が動きやすい着物が欲しいとか言ってたな」
 「へえ?」
 「こっちの着物はかさばるからな。特に女物は何枚着てるんだよって感じで」
 天真の言に、友雅は珍しく嫌そうな顔をする。
 「まさか、狩衣や水干でも贈ろうというのかい?」
 「ん、なんかまずいか?」
 友雅がため息をつく。
 「…まあ、君たちの装束からしたら、大した差ではないのだろうね。とはいえ、あまり女人に着せたい服ではないがね」
 「まあ、男物なんだろうけどさ。あかねだって、着てるだろ」
 「神子殿のときは状況的に致し方ない面もあったからね。ただ、あの衣裳は藤姫も嫌がっていたよ、あんな格好をさせないといけないとは、と嘆いていた」
 「そうだったのか? …そういや、昨夜は、あかねの袿を用意させてくれって何度も言ってたな。あかねは断ってたけど」
 「やれやれ。顔に出さなくとも、落ち込んでいるのではないかな」
 「そういうもんなのか? なら、着物はやめとくか。よく考えりゃ、柄の趣味に文句つけられそうだし」
 天真は首を傾げていたが、ふと何かを思い出したように真顔になる。
 「そういや、遥雅が出がけにぐずって、蘭の着物を破っちまったんだよな」
 「着物を?」
 友雅は驚く。童女の力でそう簡単に破けるものではないはずだ。
 「なんか薄いやつ」
 「ああ、被衣か。それは腕白な姫君だねえ。あまり変な事を教えないでくれたまえよ」
 「別に俺のせいじゃないぞ」
 「ふふ、冗談だよ。では、蘭に新しい被衣でも買っていこうか」
 「んん?」
 友雅が着物を選びに、手近な店を冷やかし始める。 
 いつの間にか、友雅が蘭の着物を買う事になったようだ。
 …まあ、別にいいけどさ。
 天真は改めて友雅を見た。
 未だに、この男が蘭をどこまで想ってくれているのか図りかねるところがあった。最初に妹とこの男が付き合ってると知ったときは驚嘆したものだ。
 二人のことだし、あまり兄が口出すものではないと、以前にあかねに注意されたが、天真としてはどうにもモヤモヤする。
 だが、正面から聞いても、いつものようにはぐらかされるのだろう。
 天真はため息をついて、友雅の後を追った。ちなみに、泰明は既に目当ての店に行ったらしく、姿が見えない。
 「やあ、天真。ここの布地はなかなか掘り出し物だよ。神子殿に合いそうな品も多いね」
 「…あかねには贈んなくていいぞ。俺が選ぶ」
 追及は諦めて、天真も店の品に目を向ける。確かに品数は多く、友雅は既にいくつか候補を選んでいるようだった。
 「しっかし、この時代の女は仰々しいよな。まあ、貴族とかだけだろうけど」
 市にいるのは大抵庶民で、小袖に湯巻という簡単な着物だが、時折、壷装束の女性も歩いている。彼女らはほぼ被衣や笠を被っている。
 「顔見られるのが恥って感覚が分かんねえよな。あかねなんか普通に歩いてるし、そんなのいるのかって思うけどな」
 その言葉に、友雅は意味ありげな笑みを浮かべる。
 「天真、間違っても、それを蘭に言うんじゃないよ」
 「え?」
 友雅は扇で口元を隠し、そっと天真のほうに寄った。
 「忘れたのかい? 彼女は鬼としての姿を、人に見られている。まだ彼女を覚えている者もいるだろう。そういう者に見つかったらどうなるか、あまり想像したくないだろう?」
 「…っ、それは……!」
 思いがけない言葉に、天真は声を詰まらせる。
 言われてみると、あり得る事だった。蘭がまだ鬼の元にいたとき、京の民から鬼として詰られていた記憶が蘇り、胸に苦い思いが広がる。
 成長して、蘭の面差しも幾分変わったが、同一人物であることは知れるだろう。
 「そっか、うん、分かった」
 天真が何度も頷くと、友雅はまた着物選びに戻った。その横顔を天真は見つめる。
 ……まあ、やっぱり蘭の事を考えていないわけじゃないんだよな。
 ただ、どうにも考えが読めない。
 …くっそう。年寄りは面倒くさいぜ。

 その後、三人は合流し、日が暮れるまで、天真にとってはつらい京めぐりに戻ったのだった。


<続>


 

 

[前へ]    [次へ]

[戻る]