暁に咲く花 ――― 13 ―――
翠 はるか
しばらくして、藤姫の部屋に全員が集まった。
藤姫、泰明、あかね、天真、詩紋、そして遥雅を抱いた蘭。
遥雅を見たら泰明がどういう反応をするか、天真はつい興味津々な目で見てしまったが、彼はいつもの無表情で「友雅の子か」と呟いただけで、特になんの反応もしなかった。
「つまんねえなあ。少しくらい動揺しろよ」
「何がだ?」
「いや、何でもない。…つーか、友雅がいねえな」
昨夜は泊まったはずなのに。
「友雅は出かけている」
「はっ? 出かけた? なんのために泊まったんだ」
「それより、話を聞きたい。黒龍の神子」
「あ、はい」
蘭が話を振られて、慌てて泰明を向き直る。
「お前がここに来た時の話を聞きたい」
「…はい」
何度聞かれても嫌なものなのだろう。蘭はかすかに表情をゆがめる。だが、一瞬のことで、腕の中の遥雅を抱きなおし、居住まいを直す。まだ眠っていたところを連れてきたので、ここに来てまた寝てしまっていた。
「あの日、私は大学からの帰りで―――」
藤姫や天真たちに語った内容をもう一度話す。泰明は黙ってその話に耳を傾けていた。
「黒龍の呼び声か。他に気付いたことはなかったか」
「いえ、特には」
「予兆のようなものはなかったか? なんでもいい、京に関わることだ」
「京に…」
蘭の脳裏に、ここに来る前に見ていた夢の事を思い出した。だが、あれは多分関係ない。回数が増えていたとはいえ、時折、見ていた夢だ。
だが、泰明の強い視線を見ていると、何か言わないといけないような気分にさせられた。
「夢を…」
口にすると、夢のひやりとした感覚まで蘇る気がした。
「ここにいた時の夢を…、よく見るようになっていたの」
「どのような夢だ?」
「おい、初めて聞くぞ」
天真が顔をしかめて口をはさむ。この話は誰にも言っていなかった。そんな話を泰明にした事に納得いかないようだ。
「関係があるとは思わなかったから。あの決戦…、神泉苑での決戦の日が近いから、意識してしまってるせいかと思っていたんだけど」
ますます不機嫌になる兄に、蘭は口にした事を後悔した。
「それに、内容も関係あると思えないわ。昔の夢だもの。それより、泰明さんの意見も聞きたかったんです。何か異変は感じないでしょうか」
これ以上夢の話を続けたくなくて、強引に泰明に話を向ける。
「―――異変はある」
場がどよめく。
「本当ですか、泰明さん?」
「うむ。半月ほど前からだ」
「まあ。陰陽寮に問い合わせた時は、何も仰っておりませんでしたのに」
「異変はあるが、被害が出ていない。だから、見解としては何もないとしか言っていないようだ」
「なんだよ、それ。なんか分かってるなら、教えてくれりゃいいのに」
天真は不満そうだが、蘭には理解できる気がした。それは蘭が京に違和感を感じつつも、誰にも説明できなかったことと同じなのだろう。
「これからも、はっきりした現象が起こるまでは、対外的には話さぬ。だが、相手が龍神の神子に関わる者で、私から説明するのなら話していい事になった。陰陽寮にもこちらの情報を伝え、協力体制を取る」
「左様ですか、ありがとうございます」
ほっとした雰囲気が流れる。陰陽寮という組織の支援が得られるなら心強いだろう。
「それで、異変ってどういうものですか?」
「龍脈に陰りが見えるようになった。ここしばらくの事だ」
「龍脈に陰り…ですか? 私の占いには何も出ませんでしたが」
星の一族は龍脈の変化に敏感だ。蘭が来たときに占った時は、何も出なかった。
「不安定なもので、時折、現れる程度のものだ。もう少し長く現れるようになれば、お前の占いでも見通せるだろう」
「龍脈の異変に気付かずにいたなど、情けない事ですわ」
「この程度の事は、たまに起こる事だそうだ。しかし、今回は何か気にかかるとお師匠が仰ったので、特に注視していた。そのお考えは正しかったという事だろう」
泰明が蘭を見やる。
「今はあるかなしかの異変だが、思っていたより危険な状況なのかもしれぬな」
蘭が息をのむ。異変に臨む覚悟はしていたが、彼のような人からはっきりと言われると、強い不安が胸を襲う。
あかねが、うーんと腕を組む。
「それで、泰明さん。これからどうするかの策はあるんでしょうか?」
異変があるのは分かったが、泰明の言っている事は、結局のところ曖昧で、何か分かったようで、何も判明していない。
「黒龍の神子の力を借りたい」
「私?」
「怨念に感応する力は、黒龍の神子のほうが強い。お前ならば異変の正体に近づける可能性が高い」
「異変の正体……」
蘭は京に感じた違和感を思い出す。すぐそこで感じるようで、とても遠い捉えどころのない感覚。あれを解き明かすなど出来るのだろうか。そのきっかけさえ、何もつかめていないのに。
「私に出来るのかしら…」
思わず漏らした言葉に、泰明はためらいなく頷いた。
「黒龍の神子ならば、できる」
「……っ」
皆の前で言い切られて、蘭の背に緊張が走る。彼には何か確信めいたものがあるようだが、蘭自身はそれほど己の力を信じられない。
私ならできる、なんて。そんな事……。
蘭は逡巡したが、すぐに顔を上げて頷いた。
「分かりました。出来るかは分からないけど、やるだけやってみます」
己を支配していた力をまた振るうのは、勇気のいる事だった。だが、兄に言ったとおり、これ以上力に振り回されたくない。
それに、前の時は、気付いたらすべてが終わっていた。他の人の、あかねの手によって。けれど、今度は。
大丈夫、今度はひとりじゃないもの……。
蘭はぐっと唇を噛みしめる。だが、行動する前に、どうしても、聞いておきたい事があった。
蘭は場を見渡す。皆、それぞれの思いを巡らせているようだった。出来れば泰明と二人の時に聞きたかったが、そんな機会は作れなそうだ。
「泰明さん、ひとつ聞きたい事があります」
「なんだ」
「…今回の件に、鬼が関わっている可能性はあるんでしょうか」
皆がはっと蘭を見る。蘭はその視線には目を向けず、泰明を見た。
「あなたの推論でいいです。私はあの後の事をよく知らないから…」
「その意見は陰陽寮でも出た。可能性がまったくないとは言えぬ。だが、十中八九関わりがないというのが、お師匠はじめ陰陽寮の意見だ。今回の件に鬼の気配は感じられない」
「そうですか」
蘭はほっと息を吐く。それは他の者も同じだったようで、思いがけず大きな吐息となって、場に響く。
「分かりました。それじゃあ、どうしましょうか。どこかへ行けばいいのかしら」
「龍脈の気配を探りやすい所、その中でも異変が現れやすい場所で試してみたい。今、陰陽寮でも報告をまとめているが、私も直接京をめぐってみようと思う。お前に来てもらうのはそれからでも構わない」
「…いえ、いいです。私も行きます」
「俺も行くぞ」
天真がすかさず名乗りを上げる。他の二人もついで手を挙げ、結局藤姫を除いた全員で出かける事になった。
一度、それぞれ支度をしに部屋に戻る。
蘭も小走りに部屋に向かう。一番支度に時間がかかるのは自分だろうと思う。外出用に壷装束に着替え、遥雅を藤姫に預けるので、その準備もいる。
「私ももう少し動きやすい服を用意してもらおうかしら」
蘭は隣を歩く天真を見る。
彼らは三年前にここで着ていた着物を準備してきていた。それを見ていると、外出用とはいえ、京の衣裳はいかにも重くて、着付けにも時間がかかる。
「あー、お前、こっちのお姫様みたいな服着てるもんな。いいんじゃねえか、あかねみたいな水干っていうのか? ああいうの着たら」
「そうね…」
しかし、藤姫が用意してくれた物は着物にしろ調度品にしろ質のよさそうなもので、この上何かを用意してくれというのは気が引けた。
いいわ、とにかく今日はあの服で行くしかないもの。
「―――黒龍の神子」
部屋に着いたと思った途端、唐突に呼びかけられ、蘭はぎくりとして立ち止まった。
振り返ると、いつの間に追いついたのか、泰明が廊下に佇んで蘭を見ていた。
「なんだよ、泰明」
「黒龍の神子に用がある」
天真を無視し、泰明の視線がまっすぐに蘭に向けられた。
「―――恐れているのか」
びくりと蘭の身体が震える。そんな蘭の反応を見て、天真が舌打ちする。
「そりゃそうだろ。また京のやっかいごとに巻き込まれているんだ」
天真が青くなった蘭をかばうように口を挟む。だが、泰明が言ったのはそういう意味ではないと蘭には通じた。
「迷っていると、心に隙ができるぞ」
「…ええ、そうね」
蘭が頷く。忠告なのだろうが、彼の言葉は蘭の心の弱い部分を抉る。
―――恐れているのだ、私は、黒龍の神子であることを。いや、なりそこないであることを。
蘭は小さく首を振った。
今度は負けない、そう決めたんだもの。
「…ふっ、……」
その時、眠っていた遥雅が目を覚ます。
「うえ〜……」
「遥雅、目を覚ましたの?」
「まーま…」
声にまだ力がなかったが、目はしっかりと蘭を見ていた。出かけるまで眠っていてほしかったが仕方ない。
「とにかく、すぐに支度してくるわ」
部屋に入って、遥雅を抱いたまま、外出用の打袿や被衣を衣裳箱から取り出す。
「ごめんね、遥雅。ここにはいつものおもちゃはないけど、珍しいおもちゃとかあるみたいだから」
遥雅はあやされるままに大人しく抱かれていたが、そのうちに、蘭のしている事が出かける 準備だと察したらしい。急に火がついたように泣き出した。
「遥雅っ?」
慌てて抱きなおすが、遥雅の泣き声はやまない。
「おい、蘭、大丈夫か?」
天真が部屋を覗き込んでくる。もう自室に向かったと思っていたが、蘭を気にして、外で様子を窺っていたらしい。
「急に泣き出したの。あまり、寝起きでぐずったりしないのに」
「よーしよし、遥雅。どうした?」
天真が部屋に入ってきて、遥雅の顔を覗き込む。いつもは喜ぶのだが、彼の顔を見るなり、腕を振り回して拒絶する。
「痛いぞ、こらっ」
「やーや! や〜〜っ!」
激しく抵抗し、手がつけられない。
「遥雅、お兄ちゃんを叩いちゃダメでしょ」
天真から引き離すと、遥雅がますます暴れだす。思わず取り落としそうになって慌ててしゃがむと、遥雅の手がちょうど床に置いていた着物に当たる。
「あ、それはだめよ」
止めようとしたものの、時遅く、遥雅はがっちりと被衣を握りこんだ。
「やっ!」
そのまま腕を振り回す。嫌な音がして、心配通り、被衣の袖部分が破けてしまった。被衣は他の着物より薄いとはいえ、そんなに力が強くなっていたのかと、こんな時ながら感心する。
「こりゃあ、お前が出かけようとしてるのに気付いたんじゃねえか?」
「…そうね」
兄の言葉に、蘭も同意する。
蘭は昼間は大学に行っていたから、遥雅も留守番には慣れている。だが、今はまだ気持ちが落ち着いていないのだろう。
この状況では、とても置いていけない。とはいえ、危険かもしれない場所に連れて行くことも出来ない。
「お前がいてやらないと駄目だろ。今日はお前は休んでろよ」
「でも」
それしかないとは思ったが、自分も行くとはっきり言ったばかりで気が引けた。
「泰明も、すぐにお前が動かなくていいって言ってただろ。なあ?」
「ああ」
廊下から泰明の声がする。彼も去ったものと思っていたが、気にしてくれていたのだろうか。
「今日は我らで京を回ればよい。異変が強く現れている場所を見つけ、後ほど黒龍の神子に見定めてもらおう」
「…分かったわ。それじゃ、お願いします。泰明さん、お兄ちゃん」
それ以上は食い下がる理由もなく、蘭は頷いた。
<続>
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