暁に咲く花  ――― 8 ―――

             翠 はるか



 「あ、ここだよ。この曲がり角の手前だって言ってたから」
 先を歩いていた詩紋が、道の隅を示した。
 「こんなとこに? 蘭ちゃん、ここに来たのかな」
 「そういう事だろうな。ここの通りは、駅から俺んちへの近道にもなる。…でも、それだったら、もっと手前のほうで曲がってるはずなんだが」
 天真がその場の前に立ち、道の先を見つめる。
 「高校に行くつもりだったのか…?」
 家の陰から覗く建物を見ながら、天真が呟く。あかねも同じように視線を向け、次いで、ちらりと天真を見上げた。
 「一応、古井戸を見てくる?」
 「え…っ」
 天真がはっとあかねを見る。彼女もそれを考えていたのだ。
 「え…、先輩、古井戸って…。まさか、蘭さん……」
 「分かんねえ。でも、あの時と状況が似てて…。つい考えちまうんだ」
 「そっか…、そうだよね。それじゃ、ちょっと行ってみよう。確かめておかないと、気持ち悪いでしょ?」
 「ああ」

 数年振りに訪れたその地は、ただ風が草を揺らす音のみが満ち、寂しい雰囲気が漂っていた。
 草は好き放題に生い茂り、人が訪れた様子はない。だが、一応、三人は古井戸の側まで寄って、調べてみた。 
 「…変わったことはないね。蓋が動いた様子もないし」
 「うん…。やっぱり、考えすぎかな」
 井戸の蓋は、枯草や砂に覆われ、誰かが触れた様子もない。
 「それなら、やっぱ、この辺で何かあったんだよな。よし、ちょっと、近くの家なんかに聞いて回ってみるか」
 「うん、手伝うよ。人数が多いほうがいいもんね」
 「僕も手伝うよ」
 「…悪いな」
 あかねは明るく笑った。
 「蘭ちゃんは友達だもん。それじゃ、さっそく行こう」

 三人は、バッグが落ちていた辺りを中心に、必死に聞き込みに回った。だが、二日間、そうやって駆けずり回っても有用な情報は全く得られなかった。その時間は、高校の下校時刻と重なっていて、人通りはそれなりにあったはずなのに、蘭を見かけたという人すら見つからない。
 蘭が姿を消して三日目の昼。三人は、天真の部屋に、そろって沈んだ表情で集まっていた。
 「…今日も、収穫なしか」
 「うん。詩紋くんの友達も、あれ以上、詳しい事は分からないって言うし…」
 天真が苛立たしげに髪をかきまぜる。そんな彼に、詩紋が遠慮がちに口を開いた。
 「天真先輩、警察には?」
 「昨日、捜索願を出した。けど……」
 途中で口ごもり、そのまま、皆して黙ってしまう。三人とも、報われない労働の為に、心理的にも疲労が溜まっていた。
 しばらくして、あかねがふうとため息をつく。
 「なんか、少しでも、手がかりがあればなあ。…天真くん、ちょっと、蘭ちゃんのバッグを見せてくれる?」
 「ああ…。でも、もう散々調べたぞ」
 「女の子が見ると、また違うかもしれないでしょ」
 「…そうかもな」
 天真は机の上に置いておいた蘭のバッグを取り上げた。正直、本当に何か分かるとは思えなかったが、一縷の望みを捨てられなかった。
 「ほら」
 「ありがと……きゃあっ!」
 「うわっ!」
 あかねがそのバッグを受け取った瞬間、強い静電気に触れたような痛みが手に走る。同時に閃光が放たれ、周囲をまぶしく照らした。
 「まぶし…っ」
 まぶしさに、あかねは思わず目を閉じる。
 ――― チリン…。
 ……え?
 あかねは目を開いた。未だまぶしい光が放たれ、その奥から響くように、鈴の音が鳴る。
 永遠の空間に迷い込んだような感覚だった。だが、実際は一瞬の事で、すぐにその懐かしい音は、光と共に消えていった。
 平常を取り戻した場は、しんと静まり返る。
 「……い、今の、何だ?」
 天真がようやくそれだけを言う。詩紋も驚きに固まっており、あかねだけが顔を青くして、渡されたバッグを見つめていた。
 今の…、今の、は…。力、光、そして――――…。
 「…蘭ちゃん、やっぱり京へ行っちゃったの?」
 「え?」
 呟きを聞きとがめ、天真があかねを凝視する。
 「今、龍神の鈴の音が聞こえたの。帰ってきてから、そんな事なかったのに」
 「龍神の…?」
 天真は、蘭のバッグに視線を移した。今は、なんの不思議もない。
 「一体……。大体、なんで急に…」
 詩紋がはっとしたように、顔を上げる。
 「もしかして、あかねちゃんの、龍神の神子の気に反応したのかな?」
 蘭の身に、龍神が関わる何かが起き、その残った力があかねの気に反応した。
 そういう事なのだろうか。
 天真がうめくように言葉を吐く。
 「…何でだよ、もう終わったんだろ?」
 「また、京で何かあったのかもしれない」
 「それで、また蘭が連れて行かれたのか? 冗談じゃね…」
 怒鳴りかけて、天真ははっと言葉を途切れさせる。
 「神子ってのは、誰かが召喚するもんなんだよな。それは、一体、誰だ?」
 「誰って……」
 前回、彼女を召喚したのは、鬼の首領だった。そのまま彼女の人格を奪い、自分の手駒として、三年の長きにわたって支配しつづけたのだ。
 天真の顔がさっと青ざめる。何も言わなくとも、彼が何を考えているかは一目瞭然だ。
 「俺、行かねえと」
 「先輩、行くって、京へ? でも、どうやって…」
 「もう一度、あの古井戸へ行ってみる。とにかく、じっとしてなんていられねえよ」
 その言葉に、あかねも頷いて立ち上がった。
 「私も行くよ」
 「あかね」
 「鈴の音が聞こえたんだから、まだ私には、龍神の力が使えるのかもしれない。京に行くこともできるかも……」
 「けど……」
 天真は複雑な顔であかねを見つめる。
 予想通り、京で何か起こったのだとしたら、そこで待っているのは危険。そう分かっている所に連れて行きたくはない。だが、きっと、彼女がいなければ道を開く事もできない。
 「…悪い、頼む」
 「うんっ」
 そのまま二人が出て行こうとした時、詩紋が慌てて呼び止めた。
 「待って!」
 「詩紋、お前は帰れ。付き合ってくれて感謝して…」
 「行く前に、家の人に知らせて行こうよ! また、何ヶ月かいる事になるかもしれないんだから」
 「詩紋……」
 天真は黙って目を伏せた。彼らがいてくれて良かったと思う。昔も、今も。
 「そうだな…。よし、それじゃ、二時間後に、あの古井戸で待ち合わせだ」
 「うんっ」


 二時間後より二十分ほど早く、あかねと詩紋は古井戸に着いた。手には、簡単な荷物と、三年前、記念にもらい受けた着物を持っている。
 だが、真っ先に来るだろうと思っていた天真の姿は、なかなか見えなかった。
 「天真くん…、家のほうで何かあったのかな」
 もうすぐ約束の時間という頃になって、あかねは隣の詩紋に向かって話し掛けた。
 「そうかもね。そう言うあかねちゃんは、家のほう、大丈夫だった?」
 尋ね返すと、あかねは困ったように微笑む。
 「う〜ん…。実は、ほとんど家出同然に出てきちゃった。でも、心配ない事だけは、きちんと言っておいたから。詩紋くんは?」
 「来学期の成績を必ず上げるって事で何とか。…あ、天真先輩だ!」
 草地の向こうから、天真の長身が見えた。二人して大きく手を振ったが、彼が近づいてくるに連れて、その手の動きが止まる。
 「…遥雅ちゃん」
 天真は左手に荷物を持ち、右手で遥雅を抱いていた。更に近づくと、彼女の目が真っ赤になっているのが見え、何があったか、大体想像がついた。
 「遥雅ちゃんも連れて行くの?」
 一応確認すると、天真は疲れきった顔で、大きくため息をつく。
 「出掛けに見つかってな。泣くわ叫ぶわ噛み付くわ。あげくに、泣きすぎて窒息しそうになるし。…それに、こいつも、そろそろ限界来てるしな」
 蘭がいなくなってから、何とかなだめてきたが、もうごまかしはきかなくなっていた。
 「そうだよね、蘭ちゃんに会いたいよね。蘭ちゃんも、遥雅ちゃんに会いたいだろうし」
 「ああ…。まあ、そういう事で連れてきた。邪魔になるかもしれねえけど、よろしく頼む」
 「うん。…それじゃ、さっそく試してみよう」
 あかねは古井戸の側に駆けていった。その古びた遺物は何の反応も見せないが、とりあえず蓋を開けてみようと、さび付いた取っ手に手をかける。
 「う〜〜ん、重い…」
 「僕も手伝うよ」
 詩紋が横から手を伸ばしてきて、二人がかりで蓋を半分ほどずらす。中は暗く、底を見通すこともできなかった。
 「…やっぱり、何も起こらないね」
 あかねが落胆の声を漏らす。暗い井戸には、力も光も感じない。けれど、蘭が行けたのだ。道は開いているはず。
 「思い切って、飛び込んでみる…とか……」
 「馬鹿。どれだけ深いか分からねえんだぞ。ヘタすりゃ、首の骨折って即死だ」
 あかねの思いつきは、天真に即行で却下される。
 「でも、このままじゃ…」
 「ああ。けど…、こればかりは龍神の気まぐれに頼るしかねえんだ」
 「天真くん……」
 あかねは井戸に向き直り、その淵に手をかけ、祈りを込めて深淵を見つめた。
 ――――お願い。お願い、龍神。私たちを京へ連れて行って。もう大事な人が苦しむのは嫌なの。もう一度、私を導いて…!
 目を閉じて、祈りのみで心を満たす。強く祈ること、信じること。それだけが、龍神とつながる道だ。
 ――――お願い!
 どれだけの時間が経ったか分からない。途中、詩紋や天真が声をかけてきたが、今のあかねには聞こえなかった。そうして、自分の存在を忘れるほど、彼女の中が祈りで満たされた時、かすかな音が脳裏に響いた。
 ――――リィン…。
 龍神…! 見つけた!
 あかねは音を追い、自然と顔を上げる。その先から、まぶしい光が広がり、やがて何も見えなくなった。


 「きゃあっ」
 突然身体が投げ出され、あかねは小さく叫んだ。次いで、天真と詩紋の叫びが響く。
 「な…、何……?」
 頭を振りつつ顔を上げる。彼女たちは草地に放り出されていて、近くでは川の流れる音が聞こえた。
 「え…っ」
 あかねは慌てて辺りを見回した。そこは川辺で、遠くには、仏塔のような建物が見える。
 「ここ……、京?」
 「いてて…。えっ、何だここっ」
 隣で天真が起き上がった。無意識の内にもかばったのか、遥雅をしっかりと抱きしめている。更に、その横で詩紋も起き上がった。
 「…もしかして、京? 僕たち、来れたんだ」
 「そうみたい……」
 あかねは気が抜けて、ほっとその場に座り込んだ。強く祈りすぎたためか、頭が少し痛い。
 「大丈夫か、あかね?」
 「うん、平気だよ」
 「そっか。…ありがとな」
 「え?」
 あかねが首を傾げると、天真は笑って彼女の頭を軽く叩いた。
 「ここに来る前、いきなりお前、光り出したんだぜ。前に龍神を呼んだ時みたいにさ。お前の祈りが通じたんだな」
 「そうだったんだ。でも、ちゃんと来られて良かった。…けど、これからどうしよう」
 あかねが不安げに二人を見る。とりあえず、京に来る事しか念頭になかったが、京は広いのだ。さほど地の理に明るくない三人で人探しは辛い。
 「藤姫の邸を訪ねてみない? 何か知ってるかもしれないよ。どっちにしても、僕たちだけじゃ動きにくいし」
 「そうだね。…そうだね、久し振りに皆にも会えるんだ」
 あかねの不安を、嬉しさが塗りつぶしていった。二度と会う事はないと思っていた、大切な人たち。良い再会の仕方ではないと思うけれど、やはり嬉しい。
 「よし、それじゃ、藤姫のとこに向かうか。遥雅、もう少し待ってろよ」
 天真が遥雅に語りかける。けれど、彼女は小さく口を尖らせた後、ぽすんと天真の服に顔を埋めてしまった。
 「仕方ねえな。あかね、詩紋、行こうぜ」
 「うんっ」
 三人は、辺りに散らばっていた荷物を拾い上げ、河原を歩いていった。

 ――――二人の神子が、再び京へ降臨した。


<続>


 

 

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