二月十四日の贈り物  〜箱に眠るは想いの絆〜

                   翠 はるか



 松尾大社には、それなりに人が訪れていた。
 だが、神楽岡と共通する事は、この地の空気もとても澄んでいるという事だ。それは龍神の訪れの名残。その息吹の前に、邪なものは存在が許されない。
 「…ここのどこかに鍵があるんだよね」
 「そうだな。さて、謎解きのもう半分をせねばなるまいが…」
 「うん…。とりあえず、境内を歩いてみようか」
 二人は歩き出す。境内は、行き交う人の話し声や足音が響き、まるきり、いつもの光景だ。神楽岡のように、変わった様子もない。
 「…あまり時間もなくなってきたな」
 深苑はかすかに焦りを感じて、思わずそう漏らす。だが、花梨はのんびりとしたものだった。
 「まだ空は明るいよ。大丈夫、しっかり心を集中してれば、きっとたどり着けるよ」
 深苑が物言いたげな顔で、彼女を見上げた。
 「お主、突然の龍神からの謎かけだと言うのに、不安には思わぬのか?」
 「えっ? う、うん、まあ…」
 花梨は焦った。深苑は、この謎かけに、まだ不安を抱いているらしい。花梨は不安どころか、楽しみにしているのだが、その理由は、もう少し秘密にしておきたかった。
 「ほら、龍神様は人を不幸にするような事を頼んだりしないでしょ?」
 何とか笑顔を作ってそう言うと、深苑は優しげな表情になり、ふっと微笑んだ。
 「そうか…。龍神を心より信じ、その慈悲に身をゆだねる。さすがに神子というべきか」
 「…あはは、まあね」
 花梨は、何だか申し訳ない気がしてきた。彼女が不安じゃないのは、既に結果を知っているからに過ぎない。せっかく、深苑が珍しく誉めてくれたというのに。
 …やっぱり、深苑くんには言ったほうがいいのかな。心配かけてるみたいだし……。
 花梨が迷っていると、不意に強い風が巻き起こり、花梨の髪を吹き上げていった。
 「わっ…」
 ほこりが目に入り、思わず目を閉じる。その時、彼女の耳に口笛のような高い音が届いた。
 「あれ?」
 うっすらと目を開け、傍らの深苑に目を向ける。
 「深苑くん、今、何か音がしたよね?」
 「ああ。風の音にしては妙だな。…まただ」
 耳に残る音が響いては消える。口笛の音とも違っていた。それに、音源がいまいちはっきりしない。なんだか不気味な感じがする。
 「なんだろ…」
 「―――花梨じゃないか。お前ら、来てたのか」
 不意に、聞き覚えのある声がかけられた。振り返った花梨は、ぱっと笑顔を浮かべる。
 「イサトくん!」
 「よう、久し振りだな」
 イサトは軽く手を上げながら、花梨たちのほうへ近寄ってきた。かれこれ数週間は会っていなかったので、懐かしさで、自然と笑顔になる。
 「そうだね。元気にしてた?」
 「おう、お前も元気そうだな」
 イサトは笑って花梨に挨拶していたが、不意に妙な顔になって、深苑に視線を落とす。
 「なんだよ、深苑。人のこと、じろじろ見て」
 「…いや、また八葉が現れたと思ってな。気を悪くしたならすまぬ」
 「はあ? またって他にも誰か来てるのか?」
 今度は、花梨が代わって答える。
 「ううん。ここじゃなくて、神楽岡で泉水さんに会ったの」
 「ふうん。それより、なんだお前ら。今ごろ、観光でもしてるのか?」
 「そうじゃないよ。…あ、そうだ、イサトくん、さっきの妙な音、聞いた?」
 「妙な音?」
 きょとんとするイサトに、花梨はさきほどの出来事を説明した。
 「さっき、強い風が吹いたでしょ。その時に、口笛みたいな音が聞こえたの。でも、どこから聞こえるのかも分からなかったし…」
 「ああ、なんだ」
 花梨が説明を終える前に、イサトはあっさりと頷いた。花梨が驚いて、彼の顔をまじまじと見つめる。
 「イサトくん、何か知ってるの?」
 「あったり前だ。京の事ならオレに任せろって、いつも言ってるだろ。それは風の音だ」
 「ええ? あんな風の音、聞いたことないよ?」
 「もちろん、風そのものの音じゃねえよ。ここの奥の方に、真ん中に細長い穴が開いた大きな石があるんだ。そこを風が通ると、そんな音がするんだよ。風鳴の石って言われてるんだぜ。まあ、笛を吹くと音が出るようなもんだな」
 深苑と花梨は顔を見合わせた。
 「「それだ!」」
 「へっ? 何だよ、いきなり」
 イサトが驚きの声を上げるが、花梨は構わなかった。
 「イサトくん、その石の所に案内してくれる?」
 「…あ、ああ、いいぜ。こっちだ」
 イサトは戸惑いつつも頷いた。二人の先に立って、境内の奥のほうへ向かっていく。
 大人しくついていくと、イサトは林の中まで入っていった。その少し奥の、あまり人目につかなさそうな所に、花梨の身長位の大石が横たわっていた。
 「ほら、これだ」
 「ほんと、大きい…」
 花梨が呟きつつ、石をぐるりと見渡した。確かに、石の真ん中に亀裂が入っていて、それが反対側まで続いている。
 「でも、変わった石だね。なんで、こんな穴が出来たんだろ」
 「さあな。昔は、なんでこんな音が出るのか分からなくて、怨霊の声だとか言われてたんだぜ」
 「へえ。でも、分かるなあ。今はいいけど、夜に鳴り出したら怖いよね」
 「まあな。だから、ここに肝試しにくる奴とかも時々いてさ」
 花梨がくすりと笑う。
 「さては、イサトくんも来た事あるんでしょ?」
 「うっ」
 図星だったらしく、イサトは決まり悪げに前髪をかき上げた。
 「…まあ、そういう事。そんで、オレがこの石を見つけて、それ以来、隠れた名所なんだぜ」
 「イサトくんがこの石を見つけたの? すごい、お手柄じゃない」
 「まあな。別に誉められるほどのものじゃねえけどよ」
 二人で盛り上がっていると、深苑が冷たい眼差しを向けてくる。
 「神子、また目的を忘れていないか?」
 「あっ、ご、ごめんっ。ええと、笛を奏でる石の間に、だったよね。という事は、この穴の中かな」
 イサトが首を傾げる。
 「なんだ、それ?」
 「龍神からの謎かけなの。ここに、多分、その答えがあるんだ」
 「へえ、なんか面白そうだな。オレもまぜろよ」
 イサトが楽しそうに笑い、花梨と一緒に風鳴の石の穴を覗き込んだ。穴は思っていたより細くて、中もよく見えない。
 「これじゃ、手で取り出す訳には行かないね。それに、奥行きもかなりあるし」
 「この中に、何かあるのか? だったら、長い棒でも差し込んでみるか」
 イサトが手頃な木切れがないか、辺りを見回す。花梨と深苑もそれに倣い、皆で地面を探っていたが、不意に三人の動きが止まった。
 はっとした表情で、顔を上げる。
 「今、何か……」
 言いかけた時、高い音を立てて、穴から出てきた何かが花梨とイサトの間を通り抜けて行った。
 「きゃっ!」
 「わっ!」
 二人がよろめいて尻餅をつく。うろたえつつも、その何かを目線で追うと、珍しい色をした鳥が林を抜け、空高く舞い上がるところだった。
 「何だよ、鳥か。…にしては……」
 イサトが首を傾げ、その隣で、深苑は厳しい顔つきで花梨を見上げた。
 「花梨。今の鳥は、くちばしに黒い…鍵のような形のものをくわえておったぞ」
 「えっ? まさか、黒曜の鍵?」
 「かも知れぬ。それに、あの鳥…」
 イサトが勢いよく、立ち上がった。
 「くそっ、花梨、追いかけるぞ!」
 「う、うんっ」
 花梨もつられたように立ち上がり、イサトの後を追って、駆け出した。
 「待て、二人とも。あの鳥は…っ」
 深苑がとどめるが、二人はそのまま鳥を追っていった。
 「待てというのに…、まったく」
 彼は舌打ちすると、やはり二人を追って駆け出した。

 その鳥は、滑るように、京の空を駆け抜けた。
 三人は必死に走ったが、さすがに空を飛ぶ鳥は速く、普通ならとても追いつけない。
 だが、その鳥は変わっていた。見失いそうになると思った途端、屋根や木々に身体を休める。まるで、三人が追いついてくるのを待っているようだ。
 しかし、その差が縮まる事はなかった。
 「くっそお、絶対に捕まえてやる!」
 「う…うん…」
 花梨は頷くが、辛そうだった。ほとんど休みなしで走り続けているのだから、当然だが。その様子を見て、深苑が足を止める。
 「止まれ。このままでは埒があかぬ」
 「でも、鍵が…」
 「あの鳥の行方なら、おそらく突き止められると思う」
 「え?」
 花梨とイサトが驚いたように振り返ると、深苑は彼らに頷いて見せ、深く息を吐いた。
 「私の気を見る力で、あの鳥の気配を追う」
 「鳥の気配をか? お前、そんなものまで探れるのか?」
 「あの鳥が、普通の鳥でない事には気付いただろう。あれは怨霊だ」
 花梨がはっと目を見開く。
 「怨霊? でも、怨霊は全部浄化したはずじゃ…」
 「あの時、京に巣食っていた分はな。だが、想いがある限り、怨念が尽きる事もない。これは人が背負う宿業だ」
 「うん……」
 淡々と語る深苑の口調に、花梨の表情が沈む。苦しみや悲しみは、やはり、根本的にはどうする事もできないのだ。
 「何を暗い顔をしておる。情を背負っている事は、それ自体、善でも悪でもない。また、どちらでもある。問題はそんな事ではなかろう。お主は分かっておるはずだ」
 「…そうだね。うん、そうだったね。…でも、深苑くん。あんな小さな鳥の気配でも追えるの?」
 「先頃、龍神が降臨したばかり。おかげで、京の気はどこも落ち着いている。その中の乱れならば見つけやすい」
 「そっか。それじゃ、お願い」
 「ああ」
 深苑は目を閉じ、深呼吸を繰り返して、自身の気を整えた。京を流れる気を追い、調和を乱す旋律を見つけ出す。その軌跡を、京の地理に重ねてみると、鳥は南東へと進んでいた。
 その内に、乱れは、ある一点で動きを止め、そこで落ちついた。しばらく待ってみるが、動き出す様子はない。そこが、拠点という事かもしれない。
 深苑が目を開けると、じりじりとして待っていたイサトが、さっそく彼に詰め寄ってくる。
 「分かったのか?」
 「ああ。あの鳥は、石原の里にいる」
 「石原の里か…。そんなに遠くねえな。よし、行こうぜ」
 三人はそろって駆け出した。

 石原の里は、それまでの地と違って、清浄さを押し潰すように、かすかな腐臭が漂っていた。
 河原を歩いていくほどに、その匂いはきつくなり、皆は顔をしかめて、袖で鼻を覆う。
 「ひでえな…。なんだよ、これは」
 「さて…、しかし、鳥の姿が見えぬが……」
 深苑が言いかけたとき、その声に応えるように、河原の一角から黒い霧が噴き出した。それは次第に鳥の形を取り、だが、先ほどの鳥とは比較にならぬほどの波動を感じた。
 「しまった。本体をここに隠していたのか」
 深苑が思わず叫ぶ。
 漂う邪気から、さほどの怨霊でもないと思っていたのだが、とんでもない計算違いだ。
 「ふん。この程度の怨霊にひるんでんじゃねえよ。花梨、行くぜ!」
 「うん!」
 「待て、そなたたち…っ。…まったく、どうしてこう揃って短絡的なのだ」
 深苑がこぼしている内に、二人は鳥に向かって行った。
 「はああっ!」
 イサトが攻撃を仕掛け、花梨がその背後から力を送り込む。だが、決まったと思われた一撃は、その怨霊に大した打撃も与えられなかった。
 逆に、攻撃を終えた隙をついて、鳥が反撃を仕掛けてくる。
 「うわっ」
 「きゃっ」
 イサトは踏みとどまったが、花梨が波動で跳ね飛ばされる。河川敷に叩きつけられる事を予想したが、その前に深苑が彼女の後ろに回りこみ、何とかその身体を支えた。
 「あ…。深苑くん、ありがと」
 「こうなるだろうと、予想しておった。もう、以前ほどの力は振るえぬ事を自覚しろ。少し、静かにしておれ」
 深苑が指を二本そろえて、花梨の額に当てる。
 「え? 何……」
 「お主の周りに結界を張る。少しは違うはずだ。イサト、しばらくそちらを頼む!」
 「おう、分かった!」
 深苑は己の気を高め、口の中で何事か唱えた。それと同時に、彼の指先から何かが溢れ出し、花梨の周囲をめぐっていく。
 こうやって結界を張るのかと、花梨がこんな時ながら感心していると、不意に、鳥から放たれた波動が深苑の背をかすめていった。
 ざくりと、嫌な音がする。
 「深苑くん!」
 「衣を裂かれただけだ。あれも、イサト一人を相手にするので手一杯なのだろう。腐っても八葉だな」
 顔色を変えた花梨と対照的に、深苑は落ち着いていた。確かに怪我をした様子はないが、花梨はとても安心できなかった。
 「もういいよ。よく考えたら、こんな無防備でいたら危ないよ」
 「いいから、黙っておれ。まもなく完成する」
 動こうとした彼女の肩を深苑は押さえ、最後の呪言を唱える。それで結界は完成だ。
 「よし。これでいい」
 「ありがと。イサトくんは…」
 振り返った瞬間、イサトが鳥の攻撃を受け、よろめいたのが目に入った。
 「イサトくん!」
 「待て。神子、焦るな。焦って、小技を連発しても意味がない。気をしっかりと集中して、一撃で仕留めるのだ」
 「う、うん。分かった」
 花梨はイサトの元へ駆け寄り、大技が使えるように、互いの気を高め合い始める。時々、鳥が花梨にも攻撃を仕掛けてくるが、多少の波動では深苑の結界を貫けなかった。それに気付くと、花梨もイサトも安心して、心を一点に傾ける。
 …眠って。これ以上、苦しまないで、どうか安らぎの中へ。
 「イサトくん、業火滅焼!」
 「おうっ!」
 炎の渦がイサトの掌から放たれる。ほとばしる炎からは鳥も逃げられず、鳥は熱に巻かれ、奇声を上げた。
 「神子、封印だ!」
 「うん! ―――めぐれ、天の声。響け、地の声。彼の者を封ぜよ!」
 花梨の力が光となって溢れ、もだえる鳥を包む。そして、それは小さな塊となって、地に落ちた。
 だが、それは、いつもの札ではなく、櫛の形を取っていた。
 「…あれ? どうして……」
 花梨が首を傾げつつ、それを拾い上げる。木彫りの細工が施された、可愛い櫛だった。
 「……これが、あいつの正体だったんだろうな」
 側に来たイサトが呟く。花梨が問うように彼を見ると、イサトは彼女の手から櫛を取り、それを静かに眺めた。
 「櫛は長く手元に置いとくもんだろ。想いが宿りやすいんだよ。寺にも、よく祓いの依頼が来るしな」
 「そうなんだ…」
 イサトは小さく笑って、顔を上げた。 
 「なんか、気合が入ったぜ。実を言うと、あの事件が終わってから、ちょっと気が抜けてたとこがあったんだ。でも、まだ、怨霊と化すような苦しみがこの世にはある。オレたちの神子と八葉としての役目は終わったけど、オレたちの人生はこれからなんだよな。…オレ、これを寺に納めてくるよ」
 「うん、本当にね。イサトくん、どうもありがとう」
 「礼なんかいいよ。お前には、たくさん世話になったしな。じゃあ、悪いけどオレは先に行くぜ。じゃあな」
 イサトが足早に歩き去っていく。それを見送っている内に、花梨は急に疲れを感じた。戦いの疲れが、今になって押し寄せてきたようだ。
 「…はあ〜、でも、良かった。まさか、怨霊が出てくるなんて…」
 大きく息を吐きながら呟くと、深苑が呆れたように彼女を見上げてくる。
 「今頃、驚いてどうする。それより、結局鍵はどうなったのだ」
 「あっ、そうだ、鍵っ」
 花梨が慌てて辺りを探し回り始める。深苑はため息をつくと、共に広い河川敷を探し始めた。

 結局、鍵は、最初に怨霊が出てきた所に落ちていた。
 拾い上げると、光を受けてつややかに輝く、黒曜石の鍵。
 「これが、黒曜の鍵かあ……」
 花梨がしみじみとそれを見つめていると、深苑も横に来て、それを見遣る。
 「ずい分と手間をかけさせられたものだな。どこまで龍神が関知していたかは知らぬが。ともかく、日没には間に合った」
 「うん……」
 花梨は頷いた後、そっとポケットから例の箱を取り出した。
 龍神がくれた、二月十四日の贈り物。
 「…あのね、深苑くん。この箱、ここで開けてみてもいいかな」
 「何故、私に聞く。それは、お主の物。好きにするがいい」
 「うん、それじゃ…」
 花梨はどきどきしながら箱に鍵を差し込んだ。カチリと小さな音がして、箱の蓋が浮く。
 蓋を開けると、中には思った通り、様々な味の一口チョコが入っていた。
 「それは何だ?」
 当然ながら、深苑はそれを見ても、その中身が分からなかった。花梨は微笑みつつ、その中のひとつをつまみ上げる。
 「チョコレートっていうお菓子だよ。甘くておいしいんだ」
 花梨は、夢の中の龍神の言葉を思い出す。
 ―――汝が大切な者との絆を深める菓子を授けよう…。
 ……私が、絆を深めたい人。
 彼の事はまだ良く分からない。一度信じて、分からなくなって、でも、もう一度信じようと決めた。まだ、それだけ。
 花梨は意を決したように、深苑を振り返った。
 「あの…ね、深苑くん。このチョコ、もらってくれないかな」
 深苑が、驚いたように彼女を見る。
 「何を言う。それは、お主が龍神から授かった物だろう」
 「ううん、龍神様はこのためにこの箱をくれたんだよ。あのね、今日は私の世界では特別な日なの。女の子がね、その…、大切な人にチョコをあげる日なんだよ」
 深苑の表情が怪訝そうなものに変わる。
 「どういう事だ?」
 「い、いや、だから…」
 「この箱は、人に贈るためのものだと言うのか?」
 「特別な人にね。きっと、龍神様のごほうびなんだよ。私の世界の風習を用意してくれたんだ」
 花梨は嬉しそうに言ったが、それに反比例するように、深苑の顔は厳しくなっていった。
 「そなたは、最初から、この箱の意味を知っていたのか?」
 「えっ、ま、まあ…」
 花梨が顔を赤らめつつ答えると、深苑は更に険しい顔になる。
 「ばかもの」
 「え?」
 「このような事で大騒ぎをするなど、何を考えているのだ。とても、深い考えがあってのものとは思えぬ。泉水殿やイサトまで巻き込んでおいて、それが男に贈る菓子を得るためだと?」
 「う…。そう言われると、反論できないけど……」
 花梨がしゅんと俯くと、深苑は深く息をついた。
 「…イサトがおらねば、なんとするつもりだった」
 「え?」
 「あの場に、イサトがいたのは巡り合わせかも知れぬ。だが、こうして、誰にも怪我らしい怪我がなかったのは、幸運でしかなかったのだぞ」
 深苑の声が段々と荒げられる。驚く花梨の前で、深苑は更に続けた。
 「お主は、怨霊に傷つけられていたかもしれぬのだぞ。私には戦うための力は与えられていないのだ。お主を守りきる事などできはせぬ。重大事のためならば致し方ないが、このような事のために、こんな無茶をするな。よいか、今後一切、このような事は許さぬぞ」
 花梨は少しの間の後、嬉しそうに笑った。
 かえって嫌われたかと、不安だった心が解けていく。彼は怒っているのではなく、心配してくれているのだ。
 「何を笑っているのだ」
 「ごめん。でも、やっぱり、私、この箱を探して良かった」
 花梨が、嬉しそうに色彩にあふれた箱を見つめる。赤、青、桃、橙その全てが美しい。
 「深苑くんの優しさが見えたもの」
 「優しい? 私は怒っているのだぞ」
 「うん。私のために怒ってくれてるんだよね。だから嬉しいの」
 花梨がにこにこと深苑を見つめる。平和な表情に、深苑も毒気を抜かれてしまった。
 「やはり、お主は、よく分からぬ」
 諦めたような表情で、軽く首を振る。だが、不快なものではなかった。彼女は、やはり彼女なのだと、心のどこかで安心している。
 「では、邸に帰るか。まもなく、日も落ちる」
 「うん。あ、深苑くん、これ…、やっぱり受け取ってもらえない?」
 その声に、深苑が振り返ると、花梨が困ったように箱を見つめている。そこで、深苑は改めて花梨の言葉を思い出した。
 怒りが先に立って、すっかり忘れていたが、これは特別な者に贈る物なのだと言う。それを自分に贈ると言うのだ。
 「……何故、私に?」
 「え?」
 「お主には、”特別”でありうる者が他にもおろう。先の戦いで、共に絆を深め合った八葉たちが。対して、私は、神子というだけでお主を否定した。その私に、何故そのような物を贈ろうとするのだ」
 花梨はゆっくりと微笑んだ。
 「それでもね。私がいつも心の奥で頼ってたのは深苑くんだったよ」
 深苑がはっと花梨を見る。花梨は、深苑の隣に並んで歩きながら、一言一言紡ぐように語り出した。
 「ここに来たばかりで何も分からない頃、私を助けてくれたのは深苑くんと紫姫だった。それが私への好意じゃなくても、京での私は二人を信じる事で立っていられたの。あの戦いの中、深苑くんを信じてはいけないのかって思うのが、一番辛かった。私は京について、何も知らなかった。信じるしかできなかったんだもの」
 あの季節外れの紅葉が舞った日。突然に奪われ、与えられた。何かを拠り所にしないと、とてもやっていけなかった。
 「深苑くんが千歳の所に行ってからも、きっと私がちゃんとした神子になれば戻ってきてくれるって、そう信じて頑張ってた。でも、やっぱりそんな風に頼ってばかりだったからいけなかったんだよね。何も分からないまま、アクラムに利用される事になっちゃった」
 花梨がぺろりと舌を出す。軽く見える所作だが、彼女なりの整理をつけた今だからこそできる事だとは、さすがに分かる。
 「花梨……」
 「…で、ええと、上手く言えたか分からないけど、とにかく、私は深苑くんにこれをあげたいの」
 花梨が深苑を揺れる眼差しで見つめる。深苑もその瞳を見つめていたが、少しして視線を地に落とした。
 「よく分かった」
 花梨の顔が輝く。
 「それじゃあ…」
 「お主が、大ばか者だと言う事が」
 「…え、え? 何、それ」
 花梨が力が抜けたように肩を落とす。深苑はその側を足早に通り過ぎ、その際に、花梨の手から箱を奪っていった。
 「あ…」
 「早く帰るぞ。遅くなると、紫が心配する」
 箱を抱えたまま、深苑は追いつかれまいとするように、歩調をどんどん速めていく。花梨は走ってその後を追いかけながら、顔がほころぶのを感じていた。
 こういう時、物というものが、ありがたいと思う。言葉にできない想いを、代わりに形にしてくれるから。
 きっと、深苑くんにも、まだ整理しきれない想いがあるんだろう。でも、大丈夫。今度は、いい方向に進んでいるはずだ。
 ありがとう、龍神様。最高の贈り物だったよ。
 「深苑くん、待ってよー!」
 花梨は満面に笑顔を浮かべ、軽い足取りで深苑を追っていった。


<了>

02.5.8up


思ったより、二倍近く長くなりました(汗)。
でも、萌えCPがひとつ制覇できたので満足(^^。
すっかり、花梨と深苑はぼけとツッコミになってしまってますが。それも良し。

 

前編へ

戻る