二月十四日の贈り物  〜社に眠る黒曜の鍵〜

                   翠 はるか



 ……あれ?
 不意に覚醒した花梨は、辺りを見回した。
 そこは、何もない、ただ光に満ちた空間。いつの間にか、自分はその中に立っている。
 ここ…、確か…。
 その時、花梨の予想を肯定するように、重厚な声が響いた。
 ―――神子よ。
 「あ、龍神様っ」
 花梨が声を追って、その姿を捜し求める。だが、感じるのは声のみ。
 ―――汝が大切な者との絆を深める菓子を授けよう。日が没するまでに、京に眠る黒曜の鍵を探すのだ。
 「え? 黒曜の鍵? それって……」
 花梨が尋ねようとした時、突風が花梨の周りを包んだ。



 「……っ!」
 花梨ははっと目を開けた。目の前にあるのは、見覚えのある天井。
 「あ……」
 慌てたように辺りを見回す。そこは、いつもの自分の部屋だった。
 「夢…」
 花梨は首を傾げつつ、ゆっくりと起き上がった。
 何だか、ずい分とリアルな夢だった。いや、龍神が出てきたのだ。ただの夢ではないのだろう。
 「まさか、また、何か起こるんじゃ…」
 不安げに呟いた時、部屋の入り口でカタンと音がする。
 「お目覚めでいらっしゃいますか?」
 花梨につけられた女房の声だった。朝の準備に来てくれたのだろう。
 「はい、起きてます」
 花梨は答え、寝所を出て行った。とりあえず、不思議な夢のことは置いておく事にする。後で、紫姫に夢占でもしてもらおう。
 その紫姫は、花梨が身支度を終えた頃にやってきた。
 「おはようございます、神子様」
 「おはよう、紫姫。今日は、なんだか冷え込んでるね」
 外は雪で覆われ、その冷気を風が運んでくる。木枯らしが舞い戻ってきたようだ。
 「そうですわね。いつもより衣を重ねられたほうがよろしいですわ。ですが、もう立春も過ぎ、今日は二月の十四日。春の息吹を感じるのもまもなくですわ」
 「えっ、十四日? それじゃ、今日はバレンタインデーなんだ」
 「ばれんたいんでぃ?」
 可愛らしく小首を傾げる紫姫に、花梨がくすくすと笑う。
 「そう。私の世界では、今日、大切な人にチョコレートを贈るっていう風習があるんだよ」
 「まあ、素敵な風習ですわね。その”ちょこれぇと”とはどんな物なのですか?」
 「お菓子だよ。甘くて、口の中で柔らかく溶けるんだ。普通は茶色だけど、白いのとか苺味もあるよ」
 「おいしそうですわね。何か添えたりもするのでしょうか?」
 「うーん。カード…お手紙を添える事もあるけど、チョコを渡すって事自体が気持ちの現れだから。あ、後、クッキーとかマシュマロっていうお菓子を渡したりもするんだよ。マシュマロはお友達に、クッキーは義理とか聞いた事もあるけど……」
 やはり、花梨も年頃の女の子である。それに、紫姫が興味津々といった表情で尋ねてくるので、ついついバレンタインについて盛り上がってしまった。
 二人できゃあきゃあ話し込んでいると、不意に呆れたような声が頭上からかけられる。
 「……何を騒いでおるのだ」
 「えっ、深苑くんっ?」
 「あ、兄様っ」
 二人同時に声を上げ、驚きに目を見開いて、いつの間にか部屋に来ていた深苑を見つめる。その示し合わせたように揃った動作に、深苑は力が抜けてしまった。
 「先ほどから声をかけておったぞ。何を、そのように夢中になっておったのだ?」
 「う、うん、ちょっと私の世界の話を…。それで、深苑くんはどうし……あれ?」
 花梨は居ずまいを直そうとして、なんだか、スカートのポケットがごわごわする事に気付いた。先ほどまで、何も感じなかったのに。
 「どうした?」
 「何かポケットに…、あれ、箱が入ってる」
 ポケットには、手の平に乗るほどの小さな箱が入っていた。漆塗りの綺麗な箱で、可愛らしい装飾も施してあったが、全く見覚えのないものだ。
 「まあ、可愛らしい。なんの箱ですの?」
 「分からない。何だろう…?」
 花梨は首を傾げつつ、とりあえずその箱を開けてみようとした。だが、箱には鍵がかかっていた。
 「…神子、無理に開けぬほうがいい」
 同じく箱を見つめていた深苑が、固い声を出す。花梨が不思議に思って顔を上げると、深苑は厳しい顔で箱を見ていた。
 「その箱から、かすかに神気を感じる。神子、それをどこで手に入れた」
 「え…と、いつの間にかポケットに入ってて。今、気付いたの」
 「やはりな。では、何かそのような物が現れる心当たりはないか?」
 「心当たりって……」
 言われて、花梨は今朝の夢を思い出した。光の中に響いた龍神の声。
 あの声はなんと言っていた? そう、大切な者との絆を深める菓子を授ける。日没までに、京に眠る黒曜の鍵を探せ……。
 「黒曜の鍵って、この箱の鍵なのかな…?」
 「黒曜の鍵?」
 「今朝、龍神様の夢を見たの。日没までに、京に眠る黒曜の鍵を探せって言ってた」
 深苑が納得したように頷く。
 「龍神がわざわざ呼びかけたとなれば、放ってはおけぬな。神子、どうする?」
 「うん……」
 深苑の問いかけに生返事をしながら、花梨は目の前の小さな箱に見入っていた。
 龍神様は、大切な者との絆を深める菓子って言ってたよね。もしかして、これって……。
 「…神子? 何を惚けておるのだ。日没まで、さほど時間はないぞ」
 「あっ、ご、ごめん。私、今から、鍵を探しに行ってみるよ」
 深苑が軽く息をついて頷く。
 「そのように言うと思っておった。私も共に行こう」
 「深苑くん、手伝ってくれるの?」
 「そなた一人を、外に出せまい。―――紫、我らは出かけてくる。戻るのは日没頃になるであろう」
 「はい…。お気をつけくださいませ」
 紫姫が不安そうに深苑を見返す。その妹に、深苑は笑って見せた。
 「なに。そのように案ずる必要はない、恐らくな。それより、神子がはりきり過ぎて転ばぬようにでも祈っておれ」
 「もうっ、深苑くんってば!」
 相変わらずの憎まれ口に、花梨が頬をふくらませる。二人がくすくすと笑った。
 「それでは、夕餉を整えてお待ちしておりますわ。…けれど、どちらに出かけられるのです?」
 「あ…、そうだよね。龍神様は京に眠るとしか言ってなかったし…」
 花梨が腕組みをしていると、深苑が彼女の手に在る箱に目線をやった。
 「何か導きがあると思う。神子、もう一度、その箱をよく見てはどうだ?」
 「この箱を? そうだね…、あっ、裏に何か絵が描いてある」
 「見せてみよ」
 花梨が箱をひっくり返して、深苑と紫姫の前に差し出す。
 そこには、青銅色で様々な絵が描かれていた。箱そのものの装飾とは、全く趣が異なっていて、やはり何か意味があるのだろうと思われる。
 「何でしょう…、山や建物がたくさん描かれているようですけれど…」
 「…これは、京ではないか?」
 しばらく黙って絵を見つめていた深苑が、はっとしたように声を上げた。
 「え?」
 「この二股に分かれた筋は、桂川と賀茂川に似ている。この一際大きな建物の連なりが内裏」
 「あ、本当だ。それじゃ、この大きな筋は朱雀大路かな」
 「それでは…、あ、神子様、右隅のほうに印のようなものがありますわ」
 紫姫の示した先には鳥居の絵があり、その鳥居は丸で囲まれていた。
 「これが導きなのかな? ここはえっと…」
 「神楽岡だ」
 洛東の小さな岡。夏は藤が美しいが、今は雪に包まれ、深閑としているだろう。この季節は、どこも大なり小なり似たようなものだが。
 「うん、この場所から見てそうだよね。それじゃ、神楽岡に行ってみようか」
 「そうだな。他にそれらしきものは見当たらぬし。では、紫、行って参る」
 「はい、いってらっしゃいませ」
 紫姫のお辞儀に見送られて、二人は邸を後にした。


 神楽岡の辺りは、やはり深閑とした空気に包まれていた。人も見かけるが、まれだ。
 降り積もった白雪も、目にまぶしい。京の通りは、人や車に踏まれて、雪も泥だらけになってしまっているが、この辺りの雪はまだ純白を保っている。
 それらの景色も楽しみつつ、花梨と深苑は岡の坂を登っていた。
 「気持ちいいね。でも、小さくても、岡の上はやっぱり寒くなるね。深苑くん、平気?」
 白い息を吐きながら、花梨が深苑を見やる。けれど、深苑はいつものように澄ました顔で、特に寒さを感じているようには見えない。
 「私の心配はいらぬ。お主こそどうなのだ?」
 「私も大丈夫。動いてるから、そんなに寒く感じないよ」
 深苑は黙って頷き、目的の岡を見上げた。今のところ、特に変わった様子は感じない。わずかな物音も雪の中に溶けて、辺りは本当に静かだ。いや……。
 「…笛の音が聞こえる」
 「笛?」
 花梨は突然の言葉にきょとんとしたが、自分も耳を澄ませてみた。だが、それらしい音は聞こえない。
 「何も聞こえないよ」
 「いや、確かだ。岡の上からのようだな」
 深苑はかすかに歩調を速めた。わずかに耳に届いたばかりの音色だが、心惹かれるものがあった。花梨もその後を追い、岡の上に近づくに従って、彼女にもその音が聞こえた。
 「あ、本当だっ」
 更に近づくと、段々と音がはっきりしてくる。そこで、花梨は小さく首を傾げた。
 「…これ、泉水さんの笛じゃないかな」
 彼のまとう品格や優しさを、そのまま音色にしたような豊かな旋律。こんな音を奏でられる人を、花梨は他に知らない。
 「泉水殿の? そうか、私は拝聴する機会がなかったが、評判は聞いておる。確かに、美しい音色だな」
 「うん。会う度に、どんどん綺麗になっていくんだよ。今日の笛も綺麗……」
 嬉しそうに微笑む花梨に、深苑は小さく苦笑を漏らす。
 それは、きっと、一人の少女が彼の迷いを振り切ったためなのだろう。だが、本人は全く自覚していないようだ。もっとも、あまり自覚してほしくないとも思うのだが。
 「…しかし、この地に泉水殿がおられるとは、偶然であろうか」
 「えっ?」
 「我らは龍神の導きに従い、ここへやって来た。そこに、八葉がいる。何か意味があるように思う」
 「なるほど…。そうかもしれないね」
 そんな話をしている内に、二人は目的の地にたどり着いた。その境内の奥のほうには、やはり泉水がいる。
 「やっぱり泉水さんだ」
 花梨の声が弾む。すると、その声が聞こえたのか、泉水がはっとしたように演奏を止め、顔を上げた。
 「神子…。深苑殿も」
 「こんにちは、泉水さん。ごめんなさい、笛の邪魔しちゃいましたね」
 「いいえ、そのような事。思いがけずお会いできて、嬉しく思います」
 おっとりと微笑む彼に、花梨の顔も和む。すっかり、例の箱のことは頭から抜けているようだ。深苑は軽く肩をすくめ、泉水を見上げた。
 「ところで、泉水殿は、何故こちらに?」
 「ええ。私は、こちらの宮司殿とは知り合いなのです。この深閑とした雰囲気も気に入っておりますし、たまに訪れるのです。それが、何やら今日は、この地に清浄な気を感じまして。笛を奏でずにはいられなくなったのです。今、神子が来られた事で、いっそう清浄さが増したような気がいたします」
 「ついでに、けたたましさも増した事でしょう」
 「え…、あ、あの……」
 深苑がまぜっ返すと、泉水が困ったように口ごもる。花梨が笑って、彼に向かって軽く手を振った。
 「気にしないで下さい。別に、悪口じゃないんですよ」
 深苑がちらりと花梨を見上げるが、彼女はにこにこと笑ったままだ。
 「…しかし、泉水殿の言う通り、この地の気はとても澄んでいる。やはり、何かあるようだな」
 「あっ、そうだね。それじゃ、鍵はここのどこかにあるのかな?」
 「…あの、神子? 鍵とは?」
 その会話を聞いた泉水が、不思議そうに尋ねてくる。
 「あ、すいません。あの、実は――――……」

 花梨が、今朝からの出来事を話し終えると、泉水は複雑な顔つきになった。
 「そのような…。龍神の呼びかけがあったとは、一体、何事なのでしょう」
 「それは……。えーと、そう言う訳で、泉水さん、何か鍵らしいもの見ませんでした?」
 「いいえ、特に何も。けれど、鳥居に印がついていたのでしょう。ならば、鳥居を見てみては如何でしょうか」
 「そうですね。それじゃ、行ってみましょう」
 花梨が率先して歩き出す。うすうす、不思議な箱の意味に気付いている彼女の足は、自然と弾んだ。その後を、やや心配げな表情の二人が追う。
 鳥居はすぐに見え、その柱近くには人がいた。
 「あれ、鳥居の所に人がいる」
 「ああ、あの方が宮司殿ですよ。…何やら、厳しいお顔をなされていますね」
 泉水が怪訝そうな顔をしつつ、彼に声をかけた。
 「宮司殿」
 驚いたように振り返った彼は、泉水の姿を見て、表情を緩ませる。
 「おや、泉水殿。それに…、龍神の神子殿であられるか?」
 「えっ、は、はいっ。どうして知ってるんですか?」
 花梨が驚いていると、宮司は温和な顔に笑みをたたえて、彼女を見返す。
 「神子の降臨は耳に届いております。それに、私も宮司の端くれ。あなたの神気は感じられますよ」
 「そうなんですか…、驚いちゃった」
 「それはすみません。ところで、こちらに何か御用でも?」
 「あっ、そうなんです…。実は……」
 花梨が切り出そうとした時、深苑がとどめるように厳しい声を上げた。
 「神子、あれを見よ」
 「えっ?」
 つられたように顔を上げた花梨は、深苑の視線の先に、何か緑の模様があるのに気付く。
 鳥居に松の葉がびっしりと張り付いていた。しかも、それは文字の形を取っている。
 「…黒曜の鍵は、この名を冠する社に眠りき。笛を奏でる石の間に」
 「これが、次の導きだな」
 二人で、じっと文字を見つめる。すると、宮司が困惑の表情で彼らを見遣った。
 「これに心当たりがあるのですか? 先ほど気付きまして、何の怪異かと思っていたのですが」
 「龍神様からの伝言なんです。悪いものではないですよ」
 「そうですか」
 宮司がほっと息をついた時、松の葉が、いっせいに鳥居から滑り落ちた。
 「あ、文字が…っ」
 花梨が慌てたように足元に落ちた松の葉に手を伸ばす。すると、泉水がそれをとどめて、優しく微笑んだ。
 「大丈夫です。きっと、神子に伝え終えたので、呪の働きを失ったのでしょう」
 「そうなんですか…」
 今度は花梨がほっとしていると、宮司が感嘆の声を上げる。
 「何とも。神の偉業を目にする事ができるとは、何たる幸運でしょう。神子、善きものをお見せくださいました」
 「いえ、私は何もしてないですよ。…でも、さっきの言葉、どういう意味なのかな」
 「さて…、謎かけのようだな」
 三人で頭をひねっていると、その間に、宮司は落ちた松の葉を拾い集め、彼らにお辞儀をした。
 「それでは、私はこれで。この松の葉を納めて参ります」
 「はい。それじゃ」
 宮司が去った後、また謎解きを始める。だが、なかなかに難しい問題だった。
 とは言え、クイズを解いているみたいで、気分は弾んでいる。
 「とりあえず、社に眠るって事は、神社にあるんだよね」
 「ああ。だが、神社といっても、たくさんある。全てを回っている暇はないぞ」
 「そうだよね…。とにかくどんな神社があるか、挙げてみようよ」
 その提案に、他の二人も頷く。消去法を使えば、大分絞り込めるだろう。
 「まず、ここも神社だよね。後、洛東には…」
 「大豊神社、祇園社だな。洛北には、火之御子社、上賀茂神社、洛西は、蚕の社、松尾大社…」
 深苑がはっとする。
 「あの文字は松で書かれていた。”この名を冠する”とは、名に松がつく、という事ではないか?」
 「なるほど、それは考えられますね。後は、洛南の伏見稲荷ですが…、確かに、それらしいと思えるのは、他にありません」
 「うーん…、それじゃ、笛を奏でる石の間っていうのは、どういう意味だろう」
 「さて…、そこまではな」
 花梨はしばらく首をひねっていたが、他にこれという考えは浮かんでこなかった。
 「とにかく、松尾大社に行ってみようか」
 「良いのか? 今の解釈が正しいという確信はないぞ。ここから洛西の松尾大社まで行けば、他を回る時間はほとんどあるまい」
 「…うん。でも、いいよ。他に思いつかないもの。可能性の高い所から、とにかく行動してみよう」
 「そうか。ならば、行こう」
 「うんっ」
 花梨が大きく頷く。その時、泉水が何故かすまなさそうな顔になった。
 「あの…。すみません、神子。そこまでご一緒したいのですが、私はこの後に約束がありますので」
 「え、そうなんですか?」
 花梨は残念そうな顔をしたものの、すぐに元の表情に戻る。
 「それじゃ、仕方ないですね。一緒に考えてくれてありがとうございました」
 「いいえ。どうか、あなたが鍵を探し当てられますように」
 泉水の微笑みに見送られ、二人は次の目的地へ向かった。


<続>


    神楽岡の宮司さん、出しちゃいました。2では、いないんですよねえ。寂しい。
    私のEDが迎えたいサブキャラNo.1なのに(笑) 

 

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