花乱  〜我が恋は〜

                 翠はるか



 「……う…ん…」
 小さな声がもれ、花梨の目がゆっくりと開かれた。ぼんやりと頭を上げ、あたりを見回す。そして、射し込む光に目を見開いた。
 …あれ? やだ、もう日がこんなに高い。
 慌てて、花梨は身を起こす。日の入り具合から、いつも起きる時間より、大分遅いことが分かる。
 「寝過ごしちゃった……」
 それでも、いつもは、自分で起きられなくても、紫姫が起こしに来てくれるのだが。もしかしたら、昨日、御霊を祓ったばかりだから、寝かせておいてくれたのかもしれない。
 「でも、だらだらしてたらダメだよね。起きようっと」
 花梨はのびをしてから、着替えようと、枕元の衣服に手を伸ばす。その時、かすかな高い音が、格子の隙間を通り、花梨の耳に届いた。
 …これ、笛の音? きっと、泉水さんだ。誘いに来てくれたんだ。
 花梨は急いで身支度を整え、庭に出た。
 笛は、もっと門に近いほうから聞こえる。その音を追っていくと、庭の奥のほうに泉水が立っているのが見えた。
 泉水さん…、本当に綺麗な音色。
 笛の音には、彼の想いが込もっているという。確かに、こうしていると、泉水に包まれているみたいだ。
 花梨が目を閉じ、音にのみ心を傾けていると、しばらくしてその音がやんだ。
 もう終わりなのかと残念に思いつつ目を開けると、泉水が廊下の花梨を驚いたような顔で見ていた。
 「あっ、泉水さん…、おはようございます」
 慌てて挨拶すると、泉水も戸惑ったように会釈しながら、花梨の方へ歩み寄ってくる。
 「おはようございます。神子、いつの間に、そこにいらしたのですか?」
 「少し前です。声をかけようと思ったんですけど、もう少し、泉水さんの笛を聞いていたくて」
 その言葉に、泉水の顔がほころぶ。
 「そうですか。神子のお慰めになったのなら、嬉しいです」
 「すごく綺麗な音色でした。あの、今朝は迎えに来てくれたんですよね?」
 尋ねると、泉水はうつむきがちに微笑む。
 「ええ…。よろしかったら、供に選んで頂けないかと思いまして。私にできる事が少ないのは分かっておりますが、その場におらねば、その少ない事すらできませんから」
 花梨が哀しげに表情をくもらせた。
 「そんなこと言わないでください」
 「神子…?」
 不思議そうな顔をする泉水から、花梨は目線をそらした。
 彼は、いつも花梨を思いやってくれる。実際、どれだけ助けられたか分からない。なのに、彼はそう言っても、なかなか信じてくれない。本当に感謝しているのに、礼を受け取ってくれない。
 自分は、彼をとても頼りにしている。いつしか、その笑顔に、甘く切ない感情を抱くようになるほどに。
 だから、いつも、一歩引く彼の姿勢が哀しい。まるで、好きだと言う気持ちまで否定されているみたいだ。もちろん、彼にそんな気持ちはないと分かっている。けれど。
 花梨はそっと泉水を横目で見た。
 翡翠さんみたいに、なんて言わないけど、もう少し積極的になってくれたらいいのに。
 そうしたら、私…、言えるのに。
 「あの、神子…。私が、何かご不快にさせるような事を言ったのでしょうか…?」
 「いえ、何でもないんです」
 花梨は、くもった気分を振り切るように、首を軽く振った。
 こんなこと言えるはずがない。こんなのは、ただの私の我がままなんだから。
 「そうですか…。あの…、神子」
 「何ですか?」
 「昨日の事で、まだお疲れでしょう。よろしかったら、どこか静かな所にでも出かけませんか。そこで、改めて笛の演奏など、お聞かせしたいのですが」
 「えっ。出かけるんですか? 二人で?」
 「はい、駄目でしょうか?」
 「そんな…。嬉しいです、お願いします」
 泉水がほっとしたように微笑む。
 「良かった。これが、私にできる最上の事ですから」
 「泉水さん……」
 …ううん、やっぱり、私はこの人だから…。
 「はいっ、行きましょう。それじゃ、私、紫姫に出かけるって言ってきます」
 「分かりました。私はここでお待ちしていますから」
 「はい、すぐに戻ってきますね」
 微笑む泉水をもう一度見つめ、花梨は紫姫の部屋に足早に向かった。
 今は、もう少しこのままで。そして、いつか……。
 花梨が微笑む。花がほころんだような、瑞々しく暖かな笑みだった。


<了>


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彼の謙虚さがじれったい。けど、はたで見てる八葉たちのがじれったかろう(笑)。
お前ら、とっととくっつけ! みたいな。
でも、恋愛イベントは、翡翠より泉水のほうが手が早かったような…(笑)