朝露に消える

 ―― 4 ――



 京の空を、泣き出しそうに暗い雲が覆っていた。
 京に満ちた絶望を具象化した雲。この暗雲が百鬼夜行と化し、京を食らい尽くす時まであと少し。
 それを止めるべく、花梨たちはその雲の下を進んでいた。
 今日は大晦日。一年が終わり、明日からは新しい年。
 この日に全てを終わらせなければならない。京に穢れの春をもたらすわけにはいかない。
 その使命感から、花梨も八葉も真剣な眼差しで天を見つめていた。そして、頼忠はまた、同じくその行く先に向かっているであろう人を思い、深く息を飲み込んだ。

 彼らが神泉苑につくと、その入り口には深苑がたたずんでいた。彼は途中から仕える主を千歳と決め、花梨たちとは別の道を歩き始めた者。落ち込む花梨や紫姫を案じながら、彼を羨ましいと感じた自分を頼忠は知っている。
 深苑はどうやら彼らを待っていたらしく、彼らに向き直り、厳しい声を発した。
 「やはり、来たのだな」
 それに対する花梨の眼差しは、もう揺るがない。
 「来たよ。千歳もいるんだね」
 「…もう話をする気はない。花梨、ここで引き返すのだ」
 深苑の厳しい声音に、イサトがかっとしたように前に飛び出していった。
 「ふざけるな、引き返せるわけないだろ。そこをどけ、お前たちは京を滅ぼす気かよ!」
 「京を滅ぼそうとしているのは、そなたたちのほうだ。そなたたちには、この絶望が見えておらぬ。それがどれほど危険なことか、もはや説明する余裕もないがな。とにかく、千歳殿の邪魔をするでない!」
 「なんだ…と…」
 イサトの声が途中で途切れる。頭上で激しく気がうねり出したのだ。吐き気がするほどに重苦しい空気が場に満ち、最悪の時が訪れようとしている事は、誰の目にも明らかだった。
 「く…っ。これ以上は…」
 深苑は眉をひそめて呟き、池のほうへと駆け出していった。おそらくは、そちらに千歳がいるのだ。
 頼忠は不安げな花梨を振り返った。
 「花梨殿、私たちも行きましょう」
 「はい…。絶対に止めなくっちゃ」
 花梨たちは、”絶望”に向かって駆け出していった。

 神泉苑の池のほとりには、深苑と、予想通り千歳がいた。
 千歳は暗雲を見上げていたが、駆けつける足音に気付くと振り返り、花梨たちを見据える。
 「来たのね」
 その瞳は、どこか吹っ切れたような強さを感じさせると頼忠は思った。彼女の考えは未だ分からない。けれど、彼女は何かを決めている。
 頼忠はその瞳を、しばし見つめた。あれ以来、彼女に会うのは初めてだ。変わらない強い感情が湧きあがるのを感じ、けれど、それを必死に押さえつける。
 一方、千歳は頼忠を見ない。花梨や他の八葉の動向を気にしつつも、頼忠だけは見ようとしない。それが、何よりも千歳の心を表していた。
 二人のひそやかな感傷の一方で、花梨も決意を込めた眼差しで千歳を見ていた。
 「千歳、どうして百鬼夜行を起こそうとするの!?」
 「私はそんな事はしていない。百鬼夜行を起こすのはあなたよ」
 「何を言ってるの? 私は百鬼夜行なんて起こさないよ」
 「いいえ、起こすわ。京の絶望をあなたが動かしてしまったから」
 「何を言って……」
 花梨が口ごもる。これでは、押し問答だ。困惑する花梨を見て、代わりに幸鷹が千歳に尋ねた。
 「では、あなたは、何故京の時を止めたのですか?」
 「…絶望を止めるためよ」
 千歳は語った。京に巣食う絶望の存在。それは、日々勢いを増し、京を滅びに誘っているのだということ。その滅びを怖れ、滅びたくないと願う気持ちが、更なる絶望を呼ぶこと。そのため、京の時間を止め、滅びをとめようとしたこと。
 千歳の言葉に、花梨たちは衝撃を受けた。彼女の言葉が正しいなら、花梨たちがした事は、確かに百鬼夜行を呼ぶ行為なのだろう。
 頼忠も衝撃を受けつつ、深い安堵が心を占めるのを感じていた。
 ああ…、やはり、この方は京に仇なす人などではなかった。
 「…ふくらみ続ける京の絶望を止めるためと主張なさるのですね」
 幸鷹も難しい顔だったが、状況を整理しようと言葉を紡いだ。
 「…ですが、その結界のために、京の人心は二つに分かれ、歪んでしまった。仰る事は分かりますが、それはあまりに危険な方法です。どうして、そのようなやり方を選んだのですか?」
 「絶望を止めるにはそれしかないと教わったの。アクラム…黒龍が遣わしたもう一人の男性に」
 「えっ?」
 花梨が驚きに目を見開き、八葉もまた千歳の告げた名に困惑の表情を浮かべた。
 「待って、千歳。だって……、私に、結界を壊さないと京が滅びると教えたのもアクラムだよ」
 「え…?」
 千歳の瞳が驚きに見開かれた。
 「そんなはず…ないわ。あの人は、このまま京の時が流れるなら、京は滅びへ向かうしかないと言ったのよ」
 沈黙が降りる。
 アクラム。時折、現れては謎の言葉を告げて消えていく異形の男。
 その男が二人の神子の前に現れ、まったく逆の言葉を与えていたという。
 その場にいた全員が難しい表情になった。ひどく嫌な予感がする。自分たちは、何かとんでもない事に手を貸していたのではないかというそんな不安。
 そんな中、その気配に真っ先に気付いたのは頼忠だった。
 それはとても幸運な事だったのだと思う。その者はほとんど完璧に気配を消して、彼らに近づいていた。頼忠が気付く事ができたのは、彼の武人としての鋭い感覚と、元々千歳を信頼していたために、他の八葉よりは困惑の度合いが低かったため。
 頼忠がはっとその気配のほうに目を向けると、まさに渦中の人物となっていたアクラムが、その手の平から今にも黒い気を放たんとしているところだった。
 その瘴気は、千歳のほうへ向けられていた。
 「千歳殿!」
 頼忠が叫ぶのと、アクラムが黒い気を放ったのはほぼ同時だった。避けられないと判断した頼忠は、咄嗟に千歳と瘴気の間に自らの身体を割り込ませる。
 「…ぐっ!」
 「きゃあっ!」
 「頼忠!」
 叫びが幾重に響く。頼忠を襲った瘴気は、普段怨霊が放っているものよりもずっと濃く、頼忠の身体は黒い気に包まれ、焼かれたような痛みが全身に走った。
 ごふ、と頼忠の口から赤黒い血が溢れる。彼はそのまま地にくず折れた。
 「頼忠殿!」
 千歳は膝をついた彼の側へ駆け寄った。
 何が起きたのか分からなかった。ただ、分かるのは、頼忠が自分を庇って瘴気に侵され、血を流しているという事だけ。
 「どう…して……」
 嗚咽がこみ上げる。どうして彼が。一体誰が。
 震えながら、瘴気の放たれた方向を振り返った千歳は、いてほしくない人物をそこに見つけた。
 アクラム。シリンと共に、黒龍の力で現れた男。シリン以上に分からない人ではあったが、その言葉は真実と思っていたのに。
 けれど、彼の口元に浮かぶ薄笑いから、千歳は悟らない訳にはいかなかった。
 「始めから…、こうするつもりだったのね」
 男の表情は変わらない。
 「私と白龍の神子を対立させて京の気を乱し、最後に龍神の神子を穢す。そのゆがみは、百鬼夜行を呼ぶ。それが、あなたの目的だったのね」
 千歳の胸を、激しい嘆きと後悔が襲う。
 京のためと思ってしてきた事は、京の滅びを速める行為だったのだ。
 同じく動揺する花梨や八葉の前で、アクラムがくくっと笑った。
 「もう少し早く気付いても良かったのだぞ。お前を穢せなかったのは、多少計算違いだが、もう良い。これだけの歪みがあれば充分」
 「そんな…」
 千歳の震えが増す。それを感じた頼忠は痛みをこらえ、剣を鞘ごと帯から抜いて、それを杖代わりに立ち上がった。脳裏を満たす怒りが、その気力を彼に与えた。
 「黙れ、下郎。京を思う千歳殿と花梨殿の心を利用し、あまつさえ穢そうなど。畜生にも劣る浅ましい男め、許さぬ!」
 「ほほう、まだ動けるか」
 アクラムが頼忠を面白そうに見る。彼の今の状態では、一太刀あびせる事も敵わないと見透かした上での嘲笑だ。
 千歳が慌てて彼の腕に手をかける。
 「頼忠殿、動いてはいけないわ。今、瘴気を祓うから」
 「そうだ、頼忠。お前は、龍神の神子を穢させるのを防いだ。後は、我らに任せよ」
 頼忠の脇を泰継が通り抜けた。普段から冷静な彼は、衝撃からもいち早く立ち直ったようで、その表情に揺るぎはなかった。
 「これ以上の勝手は許さぬ。お前に、京は滅ぼさせぬ」
 「無駄だ。もう、滅びへの歩みは止められぬ。黒龍の神子は京の時を止め、気の流れを止めた。白龍の神子はそれを力ずくで動かした。その力の拮抗が最大のゆがみを呼ぶ。ゆがみに形を与えよう。――この身を供物として」
 風がうなるような音がして、激しい気の乱れが起こった。暗雲が黒雲へと変じ、雷鳴が鳴り響く。絶望が具現化する。
 泰継が眉をひそめ、瞳にかかる髪をかき上げた。
 「く…。百鬼夜行が起こったか。神子、私に五行の力を」
 「はい、泰継さん。皆、行きましょう! 千歳、頼忠さんをお願い!」
 花梨が百鬼夜行に向かって、駆け出していった。八葉もそれを追い、彼女を守るように陣を組む。頼忠もそうしようとしたが、足を踏み出した途端、膝をついてしまった。
 「動かないで、横になって。すぐに瘴気を祓うから」
 「しかし…、私だけ戦わぬわけには…」
 「その身体では無理よ。お願いだから、早く…!」
 頼忠を侵した瘴気は、今なお彼の身体を侵食し続けている。それが分かる千歳は、懸命に力を込めて、何とか彼を地面に横たわらせた。
 指先を頼忠の心の臓の上に触れさせる。
 頼忠の中に暖かい力が流れこんできた。それは、心臓を中心に徐々に広がっていき、瘴気を清めていく。
 暖かい…。これが千歳殿のお力か。
 頼忠はその心地良さにほうっと息をついた。
 次第に楽になってきているが、まだひどい息苦しさが残っている。だが、頼忠の口元には安堵の笑みが浮かんでいた。
 良かった…。この方がこんな苦しい思いをせずに済んで、本当に良かった。
 あの男の雰囲気に気付いたのも、彼女の前に飛び出したのも一瞬のこと。その一瞬の判断ができた自分が嬉しかった。
 「頼忠殿…?」
 千歳が彼の笑みに気付き、戸惑ったような表情を浮かべる。それに気付くと、頼忠は優しげに表情をゆるめ、彼女に微笑みかけた。
 「貴女がご無事で嬉しいのです」
 千歳は言葉をつまらせる。その言葉は強く千歳の心を揺さぶり、今でも彼への思いが息づいている事を知らせる。あの日、朝露のついた萩を摘んだ時にすべて断ち切ったと思っていたのに。それに、その言葉は、頼忠が今でも彼女を特別に思ってくれている事も表している。
 「…どう、して……」
 どうして、この人はこうなのだろう。私を恐れず、嫌わず、いいえ、それどころか愛しんでくれた。彼は白龍の八葉だけれど、私を守ると言った言葉は心からのものだった。そして、今こうして守ってくれた。
 頼忠が笑みを消し、かすかに苦しげな表情を浮かべ、千歳を見上げる。
 「お許しください。私は己の思いを朝露に消す事などできませんでした。貴女にはうとましく思われるかもしれませんが…、この身が少しでも貴女のお役に立てたなら、私は嬉しいのです」
 「頼忠殿……」
 千歳の喉に嗚咽がこみ上げた。
 うとましくなど思うはずがない。消したかったのは、揺れる自分。一人では立てなくなりそうな、そんな自分。今でも、彼は特別な存在で、守ってくれた事が涙が出そうに嬉しくて。けれど、それをどう伝えていいのか分からなかった。こんな風に愛され、大事にされるのは初めての事だから。
 「頼忠殿、私は…」
 その瞬間、強い力が発動された。はっとして、千歳と頼忠がそちらを見ると、花梨が封印の力を百鬼夜行に放ったところだった。
 暖かな光が百鬼夜行を包む。光は黒い塊を覆い、それを一枚の札へと変じた。
 「百鬼夜行が…」
 頼忠がほっとした声をあげる。花梨はとうとう百鬼夜行を封じたのだ。これで京の滅びは防げたはず。
 だが、その一瞬の安堵を吹き飛ばして、百鬼夜行が札の向こうに姿を現した。その姿は前と変わらず…いや、力を増したようにすら感じられる。
 「そんな…!」
 花梨の口から悲鳴のような声が漏れた。こんな事は初めてだ。
 しばらく彼らは復活した百鬼夜行を呆然と見つめていたが、イサトがちっと呟いて、花梨を振り返った。
 「もう一度だ、花梨。もう一度、あいつを封印しよう」
 「う、うん。そうだね、もう一度戦えば…」
 花梨と八葉が再び構えを取る。その時、千歳が立ち上がった。
 「待って、白龍の神子!」
 強い口調に、花梨ははっと千歳を振り返る。
 「百鬼夜行はすべてを飲み込む。きっとあなたの封印の力さえも、飲み込んでしまうんだわ。あなたたちが百鬼夜行に力を放てば、百鬼夜行はそれを吸ってもっと強力になる」
 「そんな…。だったら、どうすればいいの?」
 「それは……」
 千歳は口ごもる。正直に言えば、もう自分たちの力だけではどうにもならないと思っていた。何をしても、あれは、それを力に変えてしまう。
 「…方法はないと言うのですか?」
 千歳の沈黙の意味を察した幸鷹が、彼女の言葉を継ぐ。その場に沈黙が降りた。
 「……それでは、もう…」
 終わりなのか、という言葉が皆の心を占めていた。そのまま、流されていきそうになった時、花梨がそれを断ち切るように叫んだ。
 「駄目だよ、諦めたら!」
 皆がはっと顔を上げる。
 「私、最初は何も出来なかったけど、皆が協力してくれて、五行の力も身につけて、怨霊も封印できるようになった。今度だってきっと何とかできる…。絶望になんて負けるはずがないよ!」
 「花梨……」
 八葉たちがほっとしたように微笑んだ。
 「そうだな…。まだ、駄目だなんて決まってない」
 先ほどと逆の感情が八葉たちの間を流れていく。花梨は、何か具体的な案を示したわけではない。だが、そんな事はいいのだ。彼女はそれよりずっと大事な”希望”を与える事ができるのだから。
 「白龍の神子……」
 そんな彼女を目の当たりにし、千歳は胸を押さえた。今、何かが分かった気がする。
 「…方法は…あるかもしれない」
 千歳の呟きに、花梨が目を見開いた。
 「本当!?」
 「ええ、多分。百鬼夜行よりも大きな力。京の理を司る存在――龍神を呼べば」
 「龍神……」
 花梨は緊張した面持ちで呟いた。それは、彼女をこの世界へ導いた存在。だが、その正体は未だにつかめない。彼女のほうから語りかけた事もない。
 千歳は更に続けた。
 「けれど、龍神を呼ぶには強い祈りがいるわ。龍神の力に呑まれない、強い心が」
 千歳は一度だけ龍神を呼んだ事がある。京の大火の折り、次々と生まれる怨霊の気配に嘆き、その火の中に兄がいるのも知り、助けたいと強く祈った。その時から、千歳は黒龍の神子になった。けれど、それ以降は、どんなに祈っても龍神を呼ぶ事はできなかった。時を止める結界という方法を取ったのもそのため。
 …龍神が現れないのは祈りが足りないせいだと思っていた。けれど、足りなかったのは別のもの。七年前には持っていたはずのあの気持ち。
 「どうするの、白龍の神子?」
 「…呼ぶよ。それが私のできる事なら、やってみる。このまま終わるなんてできないもの!」
 千歳は微笑んだ。
 「そう。では、私も共に。私の全ての力をあなたと共に使うわ」
 「千歳……」
 千歳は花梨のいる池のほとりに向かって歩き出した。前へ進むために。
 「…千歳殿!」
 だが、歩き出した千歳を見て頼忠が身を起こし、彼女の背に向かって叫んだ。
 龍神を呼ぶのは生半な力では無理だ。神子にも危険が及ぶ可能性があると聞いていた。このまま、彼女が消えてしまったら……!
 千歳が足を止める。
 「…ありがとう。あなたの気持ち、嬉しかったわ。私、一人でいるのが寂しくて恐かった。…けど、一人でなくなるのはもっと恐かったの。失いたくないものができてしまう事が」
 「え…?」
 千歳は頼忠を振り返り、透明な笑顔を浮かべた。
 「白龍の神子が強いのは、八葉に守られているからだと思ってた。…でも、違うのね。きっと、こういう気持ちをいつも感じているからなんだわ」
 千歳は再び花梨のほうへ歩き出した。今ならきっと龍神を呼べる。そう確信していた。

 しばしのち、白と黒の龍が京の空に現れ、黒い霧の中を突き抜けていった―――。





 澄み切った空気が気持ちのいい、ある昼下がり。
 京の大路を、イサトと花梨が歩いていた。
 今日は小正月。そこで、花梨は紫姫の勧めに従って、イサトと神社を回ることにしたのだ。
 元々気安い関係の二人であるから、歩きながらも話し声は絶えなかった。その内、話は自然と神泉苑での決戦に向かう。そして、千歳のことに。
 「…しかし、まあ、頼忠に二人の神子に股をかける甲斐性があるとは思わなかったぜ」
 イサトが楽しそうに笑いながら言うと、花梨が口を尖らせて、イサトを軽く睨む。
 「そういう言い方、良くないよ。頼忠さんは、本当に真剣に私に仕えてくれてた。イサト君も知ってるでしょ? だから、きっと…、苦しかったと思う」
 あの決戦の時、花梨たちは初めて千歳と頼忠が特別な関係だと知った。頼忠はそれまで一度もそんな事を言わなかった。けれど、対立する立場にある事に、真面目な彼はさぞ苦しんでいたことだろう。
 イサトがばつが悪そうに肩をすくめる。
 「まあ…な。分かってるよ、悪かった」
 「謝るなら、私じゃなくて、頼忠さんでしょ。さ、そろそろ、松尾大社だよ。改めて案内もお願いね」
 花梨が笑顔に戻ってそう言うと、イサトも笑って拳で胸を叩いた。
 「ああ、任せとけ。最近は帝方の地にもそんなに入りづらくなくなったしな。その内、もっと案内できる所が増えるぜ」
 「ふふっ、楽しみにしてる」
 花梨とイサトは何となく嬉しくなって駆け出した。先を争うように松尾大社の鳥居をくぐり、そこでよく見知った人物を見つける。
 「よう、勝真じゃねえか。お前も来てたのか」
 「ん? よお、イサト、花梨」
 所在なげに境内をぶらついていた勝真が二人に気付き、すぐに寄ってくる。
 「こんにちは。勝真さんも松尾詣でですか」
 「ああ、千歳の付き添いでな」
 「そうなんですか。…あれ、でも千歳は?」
 勝真は一人だった。怪訝に思って尋ねると、勝真はつまらなさそうな顔になって、そっぽを向く。
 「代わりに、喜んで警護をしてくれる奴がいるからな」
 「あ……」
 千歳が誰といるか理解し、花梨は嬉しそうに微笑んだ。イサトもにやりと笑う。
 「へー、お前が手引きしてやったのか。いいとこあるじゃん」
 勝真が、ますます嫌そうな顔になる。
 「顔を合わせるたびに、互いの様子を聞かれるのがうっとうしかっただけだ」
 千歳は京七条の実家に戻っている。そのために、頼忠と会う機会はなくなり、勝真はそんな二人の間に立たされているらしい。
 「そっかあ。大変ですね、勝真さん」
 「嬉しそうに言うなよ。ったく、ただの朴念仁かと思ってたら、うっかり騙されちまったぜ」
 ぶつぶつと言うが、本気で言っている訳ではないと知っているので、花梨とイサトは笑ったままだ。
 勝真は口には出さないが、頼忠に感謝しているのだ。自分が放り出してしまった千歳を、彼が守ってくれていた事に。
 「それじゃ、私たちとお参りしましょうか、勝真さん」
 「馬鹿いえ。どっちにしろ、お邪魔虫に変わりねえじゃねえか。俺は適当に時間つぶしてるよ」
 「ああ、悪いな。勝真」
 「だから、嬉しそうに言うなって。…じゃあな」
 勝真は軽く手を振って、人ごみの中へ紛れていった。花梨たちはその背を見送った後、自分たちも歩き出す。

 ―――京の空は、雲ひとつなくどこまでも晴れ渡っていた。


<終>


 

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