薫風


 風が薫っている。
 誘われるように視線を上げた彼女は、そこにひとつの花を見つける。

 木蓮。
 彼が好きだった花。
 彼の笑った顔が見たくて、一生懸命探した花。

 彼女は、そっとその花に近づき、花弁を手に取った。

 美しい花。
 落ち着いた色合いで、彼が好んだのもよく分かる。

 彼女は、空虚さの入り混じった微笑みを浮かべた。

 心に隙間が空いている。
 あの日。彼との道が、永遠に別れた日。
 その時からずっと、心のどこかが寒い。

 ――――時々、後悔しそうになることがある。

 彼は何も言わなかったけれど。言わないことが、彼の優しさだと分かっていた。
 迷っている自分を、黙って行かせてくれた。
 それが、私にとって最善の道だと信じて。
 私は、それを受け入れたのだ。
 その事を後悔したくない。別れてきたあの人のためにも。

 彼女は花弁を手の平で握り込み、そして顔をそむけるように、元の道へと歩いていった。

 家族との平和な生活。何の心配もない日常。
 けれど、どうしても埋められないこの心を、どうすればいいんだろう。


<了>


 

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