樺桜 (後編)

             翠 はるか


 「はあ………」
 庭に出た天真は、今度は大きくため息をついて、髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。
 ―――どうして、こんなに辛いんだろう。親交のある少女と会っているのに。
 天真はぎゅっと前髪を掻きつかんだ。
 用意された座、菓子。かけられる言葉。その全てに彼女の気遣いを感じる。彼女が自分の訪問を喜んでくれているのを感じる。
 気遣って欲しくなんかないのに。
 微笑んで欲しくなんかないのに。
 彼女がもっと…、嫌な女だったら良かったのに。
 「――――…っ!」
 そこまで考えて、天真はかっと赤くなった。
 こうなったのは、決して彼女のせいではない。それなのに、彼女を責めるような事を考えたりして。
 何をやっているんだ、俺は。
 天真は苛立たしげに首を振った。
 「……………」
 そして、自分の頬に、手を添える。
 『顔色が優れませんわ。お加減があまりよろしくないのではありませんか?』
 こめかみの辺りまで、彼女の手の感触が残っている。
 出会った頃は、腕も手も小さくて、いっぱいに手を広げてもそこまで届かなかった。背も、いつのまにか高くなってて、自分を見つめる視線はずいぶん近いところまで来ていた。
 「……藤姫」
 無意識のうちに、ぽつりと呟く。その時、庭の奥でかすかに草を踏む音がした。
 天真の身体が一瞬にして強張る。
 「誰だっ!?」
 「おやおや、怖いねえ」
 げっ。
 その声を聞いたとたん、天真の表情は引きつった。
 奥の木陰から、相変わらず人を食ったような微笑を浮かべて、橘友雅が出てくる。
 楽に着崩した服装と、口元に浮かぶ微笑から受ける軽い印象。だが、それをそのまま信じれば痛い目にあうことは良く知っている。
 「……なんで、あんたがここにいるんだよ」
 口調が、そっけないものに変わる。
 まさか、さっきの呟きを聞かれてないだろうな。
 天真の内心の焦りをよそに、友雅は飄々とした顔で近づいてくる。
 「私がよくこちらへ伺っている事は知っているだろう。姫君にご挨拶でもしようと思って来たのだが」
 「あっそ。たくさん回るところがあって大変だな」
 彼の言葉を遮るように、嫌味な口調で言ってやると、友雅がくすりと笑う。
 「ご機嫌斜めのようだね」
 そう言って、じっと天真を見つめる眼差しが、天真の神経を逆撫でする。
 「あんたには関係ないだろ」
 「まあね。確かに、君が何に悩んでいようと、私には関わりのない事だが」
 「じゃあ、構うなよ。俺はもう行くから」
 「けれど、馴れ親しんだ藤の花が関わるとなれば、放ってはおけなくてね」
 「……やっぱ、さっきの聞いてたのか?」
 「さあ、何の事だろうね」
 言って、友雅はにこりと笑う。天真は反射的に身構えた。
 女房なんかには、あでやかで美しいと評判のその笑みも、天真には何か企んでいるとしか見えない。…実際、この時は企んでいたのだが。
 「…と、こういう時に言葉遊びをしても、仕方ないね。まあ、そんなに怒らないで、天真。私としても、余計なおせっかいはやきたくないのだが、君たちを見ていると、どうにももどかしくてね」
 「ほんと余計なお世話だぜ。いいから、ほっといてくれよ。あんたが口出しすると、ろくな事にならないに決まってる」
 「おやおやひどいな。でも、天真。君はこのままでいいのかい?」
 後半は口調から笑みを消して、友雅が尋ねる。真面目に問われた事に、咄嗟には答えられなくて、天真はぐっと口唇をかんだ後、顔を背けた。
 「これは、俺の問題だ」
 低い声で言い切ると、友雅はひょいと肩をすくめた。
 「強情だね。それはそれで構わないが、いつまでもそれでは、妹君の心配は晴れないね」
 天真の眉がぴくっと震える。
 「……何の事だよ」
 「蘭殿は今年で十九。良き相手もおられるというのに通わせていないのは、長幼の序を守っているからだとか」
 友雅の言葉が終わらない内から、天真はきつく眉を寄せて、彼を睨んだ。
 一番言われたくない事だった、それは。
 蘭は、天真より一つ下の十九。京では、もう結婚しているのが普通の年だ。そして、彼女には結婚しても良いと思える男性がおり、彼には家庭を持てるだけの経済力もある。
 それにも関わらず蘭が未婚なのは、口には出さないけれど、先行きが明るいとは言いがたい兄の慕情を憂えての事だと、天真にも分かっていた。
 「…それは……」
 天真が反論しかけて、口ごもる。
 反論なんてできるはずもない。妹をそれだけ悩ませていても、どうにも動くことのできない自分の思い切りの悪さには、自分でも嫌気がさしている。
 「……………」
 友雅は、悔しげに黙りこんでしまった天真に、小さく微笑みかけた。先程までとは違って、優しさを含んだ笑みだったのだが、顔を伏せていた天真は気付かなかった。
 「天真。ひとつ聞かせてほしい事があるのだが」
 「……なんだよ」
 天真が伏せたまつ毛の下から、きつい眼差しで睨む。まだ何か言うのかと言わんばかりに。
 「君は藤姫をどう思っている?」
 「へっ?」
 だが、思いがけない言葉に、天真の目が丸くなった。
 「おっと。君には、もっと直接的な聞き方をしたほうがいいかな。天真、君は藤姫に妻問いしたいと思ってる?」
 「なっ、なに、いきなり……」
 言葉通り、ストレートに聞かれて、天真がかすかに赤くなる。それを見て、友雅の笑みが意地の悪いものに変わる。
 「素直で可愛いね。よろしい」
 天真の顔が、今度は違う意味で赤くなった。
 「単にからかいに来たんなら、俺はもう行くぜ。この後、まだ寄る所があるんだから」
 「短気は損気だよ、天真。君と藤姫の結婚が認められる方法がひとつあるんだがね」
 天真の身体がぴくっと揺れる。
 「え……?」
 「このままでは、どうにもならないからね。柄にもなく、助言でもしようかと思ったのだけれど……聞きたい?」
 天真は目を見開いたまま、友雅の顔を見つめた。
 そんな方法が本当にあるんだろうか。天真自身、散々考えてどうにもならないと認めざるを得なかった問題であるだけに、にわかには信じられなかった。だが、自分より京と貴族についてよく知っている彼には、何か分かるのかもしれない。…けれど、彼の言う事を素直に信じていいものか。
 天真は慎重に口を開いた。
 「…言ってみろよ」
 とたんに、友雅は興味を失ったというように醒めた表情になった。
 「やめた」
 そう言って、くるりと天真に背を向ける。
 「えっ。お、おい…!」
 突然の態度の変化に、天真が慌てた声で友雅を引き止める。友雅は冷めたままの瞳で、天真をちらりと見た。
 「どういう魂胆だろう、って顔に書いてあるよ。君が彼女を純粋に想っているなら、私がどういうつもりだろうと、話を聞く以外方法なんてないはずだけれどね。その程度の気持ちだったのなら、別にどういう結果になろうと、私は興味ない」
 「あっ、ちょっと……」
 友雅はすたすたと去っていく。天真はうろたえた表情で、その背を見ていたが、すぐにぎゅっと口唇をかんで、あとを追いかけた。
 「待てよ、友雅っ」
 後ろから肩をつかんで、友雅を振り返らせる。
 「悪かった。あんたの事信じる。……信じるから、教えてくれ。頼む」
 心底困り果てている彼の表情に、友雅から冷めた表情が消える。
 「…君は、藤姫をどう思っている?」
 次いで発せられた問いに、天真はぐっと喉を詰まらせた。ここまで来て、まだそれを聞くのかと責めたい気にもなったが、それに答える事が手を貸す条件だというなら仕方ない。
 「…俺は、藤姫とずっと一緒にいたいと思ってる」
 覚悟を決めて、天真は口を開いた。
 「ここ二ヶ月、あいつの顔が見られなくて辛かったし、どうにもできない自分に腹が立った。もう、こんなのは嫌なんだ。俺は堂々と藤姫に会いに来たい」
 言い終わると同時に、友雅の口元に浮かんだ笑みに、天真の顔が赤くなった。
 こんな事は、本人にさえ言ったことがないのだ。そんな言葉を、半分無理やり言わせておいて、自分の楽しみにしてしまう彼が、どうしようもなく憎たらしかった。
 「こっ、答えたぞ! どうなんだよ、教えてくれるのか? くれないのか?」
 恥ずかしさをごまかすように、天真は声を張り上げて尋ねた。友雅は笑みを浮かべたまま、満足そうに頷く。
 「合格だよ。では言おうか、その方法を」
 天真がごくりと息を飲む。真剣な表情に、友雅はそれを告げたら、どういう風に変化するかなと意地悪く考えながら、口を開いた。
 「私の息子になればいい」
 「…………は?」
 たっぷり間を置いて、天真の口が間の抜けたように開く。
 声は耳に入ったけれど、意味はすぐには理解できなかった。
 「……ど、いう…」
 「養子になるという事だよ。そうすれば、君は貴族の子ということになり、出仕も認められる」
 淡々と説明されて、天真の瞳がこれ以上ないと言うほど見開かれた。
 「おっ、俺が、あんたの息子になるってぇっ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。無理からぬ事ではあるが。
 友雅はといえば、平然とした顔で頷いている。
 「そう。私は今、四位という位階にある。幸いにも、帝からの信任もいただいている。その子ということになれば、それなりの地位が約束される。それから先は、君の努力と運次第だが」
 「官位を手に入れられるってことか…」
 天真が、ようやく驚愕から立ち直った顔で呟いた。彼が無位無官だから、親交を嫌がられるというなら、官位を得ればいい。確かに、納得できる方法ではある。だが、感情がそれを納得してしまうことを、ぎりぎりまで拒んでいた。
 …こいつの息子になるってぇ!?
 考えただけで、冷や汗が出てくる。冗談じゃないと思うが、彼の取りうる行動の中で、一番いい―――いや、ほぼ唯一の方法であることは間違いない。
 感情と理性と生理的嫌悪とを必死に戦わせている天真をよそに、友雅は更に続けた。
 「まあ、それでも身分的にはつり合っていると言い難いんだがね。藤姫は、母君の身分が低いこともあるし、左大臣様は、藤姫の婿には彼女の望む者をとお考えのようだからね。二人の気持ちがしっかりしていれば、認めてくださるだろう」
 その言葉に、天真は弾かれたように顔を上げた。
 「認めて…くれるかな」
 そこは重要だった。ずっと彼がどう思っているのか気になっていたし、藤姫の肉親のことだ。
 友雅は苦笑にも似た笑みを浮かべて、告げた。
 「君といる時の藤姫の顔を見れば、納得してくださるのではないかな」
 からかうようにではなく、慈しむような優しい声音で言われて、天真は顔が赤らむのをごまかすことができなかった。
 「そ、それは……」
 「私はそう思うよ。さて、天真。細かい話はまた今度にするとして、今日は早めに帰って、蘭殿に今の話を伝えておくといい」
 その言葉に、天真は目が覚めたように二、三度目を瞬かせた。
 「あ、ああ、そうだな…」
 ほんとに気が回る奴だと思う。天真はこれ以上蘭に気兼ねさせていたくはない。あかねには悪いが、もう帰るか。
 そう考えながら、素直に天真が頷いた時、友雅の笑みに意地悪な色が戻った。
 一歩、天真に近づいて視線をすぐ近くに合わせると、にっこりと笑みを浮かべる。
 「では、天真。これから、私のことは『お父様』と呼ぶんだよ?」
 とたんに、穏やかだった天真の表情が、憤怒の表情に変わる。
 「てっ、てめえ! やっぱり、面白がってるんだな!!!」
 同時に繰り出された天真の拳を避けながら、友雅は持っていた扇で軽くその拳を叩いた。
 「こら、父親に向かって、何て事をするんだい」
 「誰がっ!? 大体、俺はまだ承諾してねーぞ!」
 言いながらも、それが虚勢である事は明らかだった。断ることなんて出来はしないのだ。それを友雅も分かっているし、天真も分かっている。だからこそ、腹立ちは抑えようがないほど湧き上がる。
 そこへ、友雅が更に煽り立てるように、言葉を重ねる。
 「ふうん。それもそうだね。でも、早くしたほうがいいよ。藤姫を前にして、君が‘我慢‘していられるうちにね」
 「が、我慢ってなんだよ!?」
 挑発されていると分かっているが、天真は反応せずにはいられない。
 「自分でよく分かっているだろう?」
 「知るかっ!」
 「ふうん? では、そういう事にしておこうか」
 意地の悪い笑み。本当に殴り倒してやりたかったが、彼はしっかり、天真の間合いの外にいる。
 「あんたって、ホント最悪な性格してんな」
 「ふふっ、ありがとう。それでは、私は失礼するよ。色々と準備をしなければならないしね。天真、君の承諾も楽しみに待ってるから」
 「……うるさいっ!」
 怒鳴りつけると、友雅は楽しそうに笑い声を上げて、元来た庭のほうへ去っていった。その後ろ姿を見ながら、天真は思った。やはり、こいつの話を聞くと、ろくな事にならないと。

 彼らの未来は、まだまだ多難のようだった。

<了>

01.04.02 up .


 ということで、まあ、京残留後の天真と藤姫ちゃんを書いてみたんですが、
一番書きたかったのは、「これからは『お父様』と呼ぶようにね」でしょうか(笑)。

 やはり、身分というのは大変ですね。でも、藤姫ちゃんが幸せになってくれれば
何でも構わんのです(^^;。左大臣様頼みますねー。

 

 

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