二月十四日の贈り物 〜甘く溶ける菓子の意味〜
翠 はるか
「はい、紫姫」
花梨が満面の笑顔で、紫姫の手の平にトリュフをころころと乗せた。それは、龍神の粋な計らいにより、授かったものだ。
「まあ、これは神子様が龍神様より授かった”ちょこれえと”でございましょう? そのような大事な物を私に……」
相変わらずの一途な反応に、花梨は思わず苦笑を漏らす。
「紫姫だからだよ。バレンタインには、好きな人にあげる以外にも意味があってね。お世話になっている人に、感謝を込めてチョコを贈る日なんだよ」
「神子様…。あ…、私、嬉しいです」
紫姫の瞳が潤む。花梨は照れくさそうに笑みながら、チョコをしっかりと紫姫の手に握らせた。
「だから受け取って。他の皆にも渡しに行こうと思ってるけど、紫姫がもらってくれなかったら悲しいもん」
「はい…、もちろんですわ。ありがとうございます」
紫姫は宝物を扱うように、そっとトリュフを握り込む。またひとつ、花梨との温かい思い出が増えた。それが、何より嬉しい。
「大切にいただきます。…けれど、このようにお配りになって宜しいのですか? 本当に差し上げたい方もいらっしゃるのでは…」
「あ、うん…」
花梨が口ごもる。本当に、この姫は十歳とは思えない気の回し方をする。気を抜いていると、咄嗟に答えられない事もしばしばだ。
「…実は、泉水さんには、もうあげちゃったんだ。ここに帰ってくる前に、ね」
花梨がはにかみながら、小さく舌を出す。その顔は、いつも紫姫に見せる優しい姉のようなものではなく、愛しい人を想う少女の顔。その表情の輝きに、紫姫の胸もつられたように高鳴る。
今の彼女は本当に綺麗だ。胸が温かくなる。そして、うらやましい。
「そうですの……」
紫姫はもらったトリュフに視線を落とした。色とりどりの紙で包まれたその菓子は、とても可愛らしい。龍神の御力を感じさせるような美しさ。大切な人へ、想いを乗せて運ぶ菓子。
「あの、神子様…。この菓子は、やはり京では作られぬものでしょうか」
「え? あ、うん、そうだね。材料がないし。でも、どうして……」
聞きかけて、花梨はふと思いついたように、紫姫の顔を覗き込んだ。
「…もしかして、紫姫にも、あげたい男の人がいるの?」
「えっ?」
紫姫の顔がぱっと赤くなる。どうやら、図星らしい。
「そっか、そうだよね。紫姫も女の子だもんね。なんだか嬉しいな」
「み、神子様っ」
紫姫は、真っ赤になったまま、袖で顔を覆ってしまった。深窓で育った彼女には、このくらいの事でも、恥ずかしくてたまらないのだろう。
「あ、ごめんごめん。からかってる訳じゃないよ」
慌ててフォローしつつ、花梨は笑いが堪えきれなかった。本当に可愛らしい。
「それじゃあ、その人には、このチョコをあげるといいよ」
「えっ? で、ですが、この菓子は、神子様が私にくださったものですから…」
「私の気持ちは、もう紫姫は受け取ってくれたもの。だから、いいの。今度は、紫姫の気持ちを込めて、その菓子を贈るといいよ」
「神子様…。ありがとうございます。また、紫の宝物がひとつ増えました」
「どういたしまして。あ、勝真さんは、西の客間にいたから。頑張って」
紫姫の顔が、再度真っ赤になる。花梨は、ついつい緩んでしまう口元を何とか引き締めて、彼女を送り出した。
紫姫は、最初は足早に客間へと向かっていたが、次第にその歩調はゆっくりしたものに変わっていった。
花梨の嬉しそうな顔を見て、自分まで胸が温かくなった。自分も、あの方に想いを込めた甘菓子を贈りたいと思った。
だが、客間が近づくに連れ、不安が胸をよぎり、それが彼女の歩調を鈍らせる。
あちらから文を頂いたという訳でもないのに、こんな贈り物をするなどはしたないと思われないだろうか。彼はそういう事を気にする人ではないけれど、それ以前に、この菓子を受け取ってくださるだろうか。
「…紫姫?」
「え…? か、勝真殿っ」
不意に声をかけられ、しかもその主に気付いて、紫姫は目を見開いた。勝真が目の前に立っている。いつの間にか客間についていたのかと思ったけれど、そこは、まだ客間には遠い廊下だった。
「ど、どうして…。客間にいらしたのでは」
「ああ。そろそろ、帰らせてもらおうと思ってな。お前と花梨のとこに挨拶しに行くところだった」
紫姫がはっと顔を上げる。
「お帰りになるのですか?」
「ああ。お前から、花梨に今日は楽しかったって伝えてくれ」
「お、お待ちください。あの。こ、これを……」
訳の分からない内に、紫姫はトリュフを差し出していた。不意打ちが、かえって良かったかもしれない。そうでなければ、考え込みすぎて渡せなくなっていただろう。
勝真は、紫姫の手にあるトリュフを見て、ああと笑った。
「お前も、花梨からもらったのか。まだ食べてないのか? 結構、うまかったぞ」
「い、いえ、違います。いえ、違いませんけど、これは、その、分けて頂いたのです」
「分けてもらった?」
常にない紫姫のうろたえ様に首を傾げつつ、勝真は彼女と目線を合わせるように、膝を折った。
「だから、お前も花梨から、感謝の気持ちとやらでもらったんだろ?」
「そうではないのです。神子様は、私の願いを叶えてくださったのです。その…、私もこの菓子をお贈りしたくて…」
それきり、紫姫は口ごもってしまう。だが、その内容に、勝真の表情がぴくりと揺れた。
「…なんで、それを俺に差し出すんだ?」
「そ、それは…、私は勝真殿に……」
勝真は、紫姫の手の中のトリュフを改めて見た。花梨が自分たちに渡したのと同じ数だ。多分、これが紫姫の持つ全てだろう。
「俺にくれるのか? でも、お前はこれしか持ってないんだろ?」
「は、はい、すみません。京にある菓子ならば、もっとご用意できたのですけれど…」
「そういう事じゃねえよ。花梨は、俺たちに感謝の気持ちだってこの菓子を渡した。でも、それとは別に、泉水に菓子をやってた。お前は、どっちの意味でこの菓子をくれるんだ?」
「あ……。も、申し訳ありません。勝真殿には、やはりご迷惑ですわね…」
勝真の厳しい表情に、紫姫は怯えたように俯いた。彼は、単に真剣な顔をしていただけなのだが、今の紫姫には怒っているようにしか見えない。
その紫姫の頬を、勝真が手の平で包んで上げさせる。
「迷惑なんて言ってないだろ。ただ…、確かめたかったんだよ。こういう事されたら、俺、期待しちまうだろ。それが、単なる勘違いだったりしたら、嫌だからな」
「勝真殿…。あの、それは……」
紫姫が驚いたように、勝真の顔を見る。彼は、自分でも恥ずかしい事を言ったと思っているのか、ごまかすように、軽く紫姫を睨んだ。
「で。どっちの意味なんだ?」
紫姫は、少しの沈黙の後、ゆっくりと微笑む。
「……私は、勝真殿だけに差し上げたいのです」
「…それなら受け取る」
勝真が紫姫の手からトリュフを取る。それは、彼女がずっと握りしめていたせいで、だいぶ溶けて、形も崩れてしまっていた。けれど、さっき食べたものより美味しく感じるはずだ。
「ありがとな、紫姫。…なあ、このお返しに、俺もなんか贈っていいか?」
「…え? 本当ですの? 嬉しいです」
紫姫の顔が輝く。だが、途端に、勝真は決まり悪そうにそっぽを向いた。
「あんま、いいものはやれないぞ」
「そんな事はありませんわ。勝真殿の想いが込められているのですもの。きっと素敵なものです」
「…そう言われたら、頑張って選ばないとな」
勝真が小さく笑う。実は、今までも、季節の折々に、何か贈ろうかと思った事はあるのだ。だが、身分やらしきたりやらを色々と考え出すと、なかなか実行に移せなかった。
「それじゃ、楽しみにしてろ」
「はい。お待ちしています」
紫姫が、先ほどうらやんだ神子と同じように、満ち足りた笑みを浮かべる。龍神の慈悲は、思いがけないところにも幸福を落としていた。
<了>02.5.8up
という訳で、2でもやはり、地の青龍×星の姫に転んでしまいました。でも、勝紫は、天藤より
私の中ではロリ度がアップしてる気がします(笑)。
なんか、もうこの二人なら、どこまで行ってもいいや(笑)
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