はるたどり   〜神域に芽生えし清花〜

          翠はるか



 午(ひる)を過ぎ、未だ弱々しい陽射しが地に降り注ぐ。
 その陽射しを浴び白く光る庭を、千歳は廂の間に出て眺めていた。その表情は憂いを帯び、眼差しは悲しげに伏せられている。
 雪に覆われ、染み一つない白に染められた庭は美しい。だが、その美しさを喜びに感じる事はできなかった。本来ならば、この雪は既に春の陽射しに消えていなければならないのだから。
 千歳は目線を上げ、静寂に満ちた景色を見渡した。
 雪景色をこんなに不吉に思ったのは、結界が破られ、冬が巡ってきた時以来だ。
 応龍を呼んだ後、京を見た時には、雪がこの上なく神聖なものに見えた。この雪が京を清めてくれるようにさえ思った。けれど、今は。
 千歳はほうと息をついた。その息までも白く染まるのがひどく重く感じられる。
 どうしたら良いのか分からなかった。京の歪みを何としても正さなければならない。だが、神子としての力をほとんど使い果たした身では、以前ほどに振るえる力は強くない。
 千歳が再びため息をつく。その時、廊下がぎしりと鳴る音が耳に響いた。
 「―――― 千歳」
 千歳ははっと目を見開き、音がしたほうに目を向けた。勝真が廊下から千歳のほうを覗き込んでいた。
 「兄上…」
 「先触れもなくすまないな。ちょっといいか?」
 「…ええ、どうぞ。今日はお早いお帰りでしたのね」
 千歳は戸惑いつつも、小さく笑みを浮かべて勝真を迎える。勝真も微笑を千歳に向けると、彼女の隣に来て腰を下ろした。
 「…なんだ、衣がすごく冷たいぞ。ずっと、ここにいたのか?」
 「ずっとという訳ではありませんが。兄上こそ、外からお帰りになられて、冷えておいででしょう? 火桶を用意させますわ」
 「いや、いい。また、すぐに出かけるから」
 「そうですか…」
 それきり、二人の間に沈黙が降りる。お互いに相手の出方を伺っているようで、千歳が居心地の悪さを感じ始めた時、勝真が不意に庭へ目をやった。
 「…雪、深いな」
 千歳の指先が小さく震える。その震えを横目に見て、勝真は千歳に視線を戻した。
 「お前、近頃、頻繁に深苑と文のやり取りをしてるんだってな」
 「…え? ええ。旧年の折には、お世話になりましたから。あちらも有り難くも私を気遣ってくださって…」
 勝真の眉が苛立たしげに寄る。
 「違うだろ。お前…、京に春が来ない事、気にしてるんだろ?」
 「…………」
 千歳が肯定の代わりに、口を閉ざす。その顔を、勝真はため息とともに見つめた。
 京の時は、今、正しく巡っていない。
 それは、誰の目にも明らかだった。消えるはずの雪が残り、訪れるはずの春の兆しが現れない。
 けれど、その事実が一人の姫をひどく沈ませている真の理由を知るものは、この邸では勝真一人しかいない。
 清められたはずの京に残った歪み。それは、恐らく千歳が原因だから。
 千歳は昨秋、京の時を一時的に止めていた。その行為は、京を救いたいという一心から出たものだったが、理を曲げる行為だった事には変わりない。
 「気にするなって言っても無理かもしれないが、あんまり思いつめるなよ。春の件については、俺も深苑や紫姫と対策を話し合ってる。…今度は、俺も手を貸すから」
 「兄上……」
 千歳は驚いたように勝真を見上げた後、少し寂しげに、でも嬉しげに微笑した。
 「ありがとう…ございます」
 勝真は小さく首を横に振る。
 昨秋の変事を悔いているのは、勝真も同じだった。あの頃の勝真は他人を信じる事ができず、妹に対しても無視同然の態度を取っていた。決して二人の進む道はすれ違っていなかったのに、心がすれ違っていた。
 もし、あの頃に千歳を信じ、受け入れる事ができていたなら、彼女はもっと他の方法を取る事もできたはずなのだ。
 「なあ、千歳。一人でどうにかしようと思うなよ。京の歪みを作ったのは、結局は俺たち一人一人なんだ」
 「……お気遣いありがとうございます。分かっております、私一人が考えて済む問題ではないのだと。ただ…、こうして雪を眺めるしかない己が恥ずかしいのです」
 そして、それがなお辛いのは、以前なら違う行動を取っていたと思うからだ。以前なら、たとえ、祈りが届かなかったとしても、京のために黒龍の力を振るおうと思えた。けれど、今の自分はそうではない。行動することを恐がっている。
 …もう神子を名乗る資格なんて、ない。
 千歳の瞼が自然と伏せられ、長い睫毛が彼女の頬に寂しげな影を落とす。
 「千歳……」
 勝真はため息をついて、立ち上がった。これ以上話しても、千歳を余計に傷つけるだけだと思った。
 「見回り、行ってくる。何かできる事があるかもしれねえからな」
 「……いってらっしゃいませ」
 千歳はそのまま勝真の足音が消えるまで身動きしなかった。
 足音が消え、再び降りた静寂の痛さを噛みしめた後、ようやく顔を上げ、勝真の去っていった方向を憧憬の眼差しで見つめる。
 最後の彼の言葉には、以前にはなかった強さが感じられた。きっと、彼は先の事件で己を信じる力を手に入れたのだろう。千歳がそれを失ったのと対照的に。
 千歳は強く己の両手を握りしめる。
 あの頃は、自分を信じていられた。だから、辛くともできる事をしようと思えた。けれど、自分のした事が百鬼夜行を呼ぶ行為だったのだと知った時に、その自信は崩れた。自分を信じる事ができなくなってしまった。
 勝真は、千歳が歪みの原因を作った事で悩んでいると思っていたようだが、そうではない。それよりもうとましいのは、京の歪みが見えていても、そのために行動するのが恐い、そんな臆病な己自身なのだ。
 …どうすればいいの? どうにかしたい、のに……。
 千歳は両手で顔を覆い、身を震わせ続けた。

 そして、どれ程の時が経ったのか、かすかな足音と衣ずれの音が千歳の耳に届いた。
 その静かな足音は女房だろうと、そっと顔を上げると、思った通り千歳付きの女房が手に文箱を抱えて千歳のいる庇の前の廊下に控えていた。
 「姫様、四条の若君から、お文が届いております」
 「…そう、ありがとう」
 女房から文を受け取り、彼女が去るのを待ってから綺麗に巻かれた紙を膝の上に広げる。急いで書き付けたのか、紙面の字は少し乱れていた。
 「……っ」
 文を握る千歳の指先に力が入り、紙面にしわが刻まれる。
 「……白龍の神子が…」
 文には、深苑が今朝、応龍より神託を受けた事が書かれていた。春が訪れるには、花を見つける必要があること。その花を見つけるために、白龍の神子が今一度この地に訪れること。
 ―――彼女が来る。もう一人の神子が。
 千歳の胸中がざわめき始めた。
 白龍の神子、花梨。共に龍神を呼び、百鬼夜行を祓った。黒龍の神子である千歳とは、相反しながらも惹かれずにいられない存在。
 彼女は、また歪みを孕んでしまった京をどう思うだろう。
 今の私を見て、どう思うだろう。
 千歳の頬がさっと紅潮する。彼女に弱くなってしまった自分を見られてしまう。それが、ひどく恥ずかしく感じられた。
 「……いけない。このままじゃ、いけないのよ。彼女だけに頼っていては…」
 千歳は深苑からの文を胸にかき抱き、室内に戻った。文箱から筆と料紙を取り出し、流麗な字体で文字を書き綴っていく。
 私も花を探してみます、と。



 ……ない。
 千歳は深苑の元を訪れるという名目で邸を抜け出し、糺の森へ来ていた。
 ここは、京の中でも特に清らかな地。ここならば歪みも弱く、花も咲いているのではと思ったのだが、小半刻ほど探し回って、つぼみすら見つけられなかった。
 ここにはないのかしら…。それとも、私にはみつけられないの? …いえ、まだ少ししか探してないんだもの。もう少し…。
 「―――…千歳殿?」
 千歳が再び歩き出そうとした時、不意に背後から聞き知った声がかけられた。驚いて振り返ると、思った通り頼忠が立っている。
 「…頼忠殿、どうして…?」
 千歳は当惑する。糺の森は開かれた聖域で、誰でも入ることができる場所だが、まさか彼に会うとは思っていなかった。
 当惑しているうちに、頼忠が千歳のほうへ歩み寄ってくる。
 「深苑殿から文を頂き、花を探しに参りました。他の八葉も探しているはずです」
 「ああ…」
 言われてみれば、当然だと思った。神子が来るのだし、深苑や紫姫が彼女一人で行動させたりするはずもない。
 「…白龍の神子は?」
 「神子殿は、深苑殿が迎えに行っております。私は先に花を訪ねてこの地に参りました。千歳殿も花を探しておられるのですか?」
 「ええ。私が何もしないわけにはいかないもの」
 「では、ご一緒させてください。お供いたします」
 「え?」
 頼忠が微笑む。
 「まさか、千歳殿にお会いできるとは思っておりませんでした。…このまま同行を許していただければ、幸いに存じます」
 「頼忠殿…」
 千歳の頬がかすかに染まった。彼はまだ千歳と共にいたいと、そう言っているのだ。
 「……ええ。では、お願いするわ」
 千歳が微笑みを返す。久し振りに、彼女の顔に笑みが戻った。
 頼忠がほっと息をつく。
 「では、参りましょう。千歳殿は、どの辺りを探しておられたのですか?」
 「南東の口から、道沿いにここまで来たの。花の気配はなかったわ」
 「そうですか。では、あちらの方角へ行ってみましょう」
 「ええ」
 二人は連れ立って歩き出した。
 彼らが会うのは、久し振りのことだった。元々会う機会は少なかったが、千歳が自家に戻ってからは、特に会えないでいた。
 千歳は姫として邸から出ない生活に戻っていたし、頼忠のほうから来ようにも、特別な用もなく、他家の姫を訪れるなどできない。ましてや、源氏である頼忠には、平家の門は敷居が高い。時折、勝真を介して、文のやり取りをするだけになっていた。
 だが、二人が互いを忘れた事はなく、偶然にも共に過ごせる時間を得た今、言葉少なながらも楽しげに会話が繰り返された。
 しかし、また千歳の表情が曇るのに、そう時間はかからなかった。

 「ないわ……」
 森の北東の口まで来て、千歳は落胆して呟いた。
 頼忠と二人で、ずいぶんと気を配って探したが、やはり花は見つからなかった。時間もかなり経っており、千歳の心に焦燥が募る。
 隣で、頼忠も嘆息する。
 「では、次はあちらのほうへ行ってみましょうか。……千歳殿?」
 千歳が身動きしようとしない事に気付き、頼忠が振り返る。
 「いかがなさいましたか?」
 千歳は答えない。その顔色は、青ざめていた。
 「千歳殿…。お疲れなのですね、気付かずに申し訳ありません。一旦、どこぞで休憩を取りましょう。花を探すのは、またそれから…」
 「違うの! …ごめんなさい、大丈夫よ。少し…、不安になってしまって」
 「不安?」
 千歳は目を伏せる。
 「花を見つける事ができなければ、春は来ない。春が来るのが遅くなるほど、京の歪みは強くなっていくわ。そうなってしまったら……」
 「千歳殿…。そのような心配は無用です。花は、必ず近く見つかるでしょう」
 頼忠の口調は確信に満ちていた。千歳が驚いて、彼を見つめる。
 「どうして、そう思うの?」
 「貴女がおいでなのですから」
 「…………」
 「京の理が、神子に応えぬはずがありません。参りましょう」
 「……ええ」
 千歳は乾いた声で答えた。
 頼忠は信じているのだ。『龍神の神子』である千歳を、以前と同じに。
 私には、もう神子の資格などないと…。でも……。
 千歳の心がずしりと重くなる。
 春が来なかったらという不安に、頼忠の信頼を裏切ってしまったらという不安が加わる。彼に失望され、軽蔑されてしまったら。
 …ああ、いや。こんな考えはいや。春を見つける事に集中しなくてはならないのに。見つかるかどうかではなく、見つけなければならないのに。
 千歳は頼忠の耳に届かぬよう、そっと息を吐いた。


 それからどれくらい歩いたのか、頼忠がふと足を止めた。
 「――― 千歳殿、あれをご覧下さい」
 「え?」
 頼忠の示した先には、桃の木があった。そして、その枝先には小さなつぼみが幾つも見える。
 「つぼみが…!」
 千歳の頬が喜びに紅潮する。だが、数秒も経たぬ内に、それは落胆の色に塗り替えられていった。
 「…でも、咲いているものはないみたい」
 「ですが、つぼみが出来ているのですし。もう少し近づいて様子を見てみましょう」
 「ええ」
 二人は桃の木に向かって歩き出した。自然と早足になる。ようやく見つけた春の種を宿した枝を、もう一度期待を込めて探す。
 「…だめ、咲いているものはないわ。花弁が開かなければ、春が来たことにはならない」
 「そうなのですか?」
 「花開く時に放たれる花気こそ、春の息吹なのだもの。…けれど、こんなにもつぼみがあって、花開いたものがないのはおかしいわね。理の歪みが、開花を押さえてしまっているのかもしれない」
 「それでは…」
 「ひとつでも花開いてくれれば、そこから花気が広がり、気は正しく巡るはずなのだけれど…」
 頼忠は口を閉ざして考え込む。歪みがあるから花が開かない。だが、花開かなければ歪みは正されないと言っていなかったろうか。それでは、どうすればいいのか…。
 頼忠がふと顔を上げる。
 「千歳殿。お手に取られてみては?」
 「―――え?」
 「貴女の手から浄化の力を注ぎ込めば、歪みが正され、花開くかもしれません」
 千歳の顔がさっと青ざめる。
 「そんな事…、無理よ。もう、神子の力のほとんどは龍神の元へ還っているもの」
 「ですが、ご加護は残っておいででしょう。貴女の清浄な気に触れれば、きっと……」
 「だめよ、できないわ」
 千歳は思わず声を荒げた。頼忠が当惑の表情を浮かべ、それを見た千歳は悲しげに目をそらす。
 「ごめんなさい…。でも、私…自信がないの。私が触れては、あのつぼみは穢れてしまうかもしれないわ。あの春の種を消してしまったら、もう京に春は訪れないかもしれない」
 頼忠が驚きに目を見開く。
 「何を仰るのです、千歳殿。そのような事あろうはずがございません」
 千歳は何度も頭を振った。
 「私は京の気を歪めてしまった。絶望を止めたいと言いながら、絶望を膨れ上がらせてしまった。正式な咎めがなくとも、明らかな罪だわ。もう神子なんて名乗る資格はないの」
 「千歳殿……」
 頼忠は、更なる驚きに息を飲む。そして、己の無思慮を呪った。
 先の戦い。本来、対である白龍と黒龍のぶつかり合い。起こってしまった百鬼夜行。だが、それらは解決し、京は絶望から解放された。問題はまだ山積みとなっているが、京は新たな道を進み始め、戦いはもう終わったのだと思っていた。
 この方の傷がどれほど深いかなど、文だけでは気付かなかった。
 …今日、この場で、この方にお会いできた事。これこそ、龍神の加護かもしれぬ。
 頼忠は姿勢を正し、千歳の正面に立った。
 「千歳殿。私は、あれで良かったのだと思っております」
 「…え?」
 思いがけない言葉に千歳が顔を上げると、頼忠の真剣な眼差しが彼女を見つめていた。
 「京の絶望が具現化し、そして、それを昇華した。それこそが最善の道だったのだと、今では思えます。あの折の出来事を、京の民もみな感じておりました。絶望を具現化する事で、みなはそれと向き合う事ができたのです。そして、その絶望を昇華した事で、また新しく始める事ができます。こんなにも京の気が澄み切っているのは、一度京の邪気を凝縮した結果なのだと思います。…だから罪など。貴女が穢れているなど、そのような事があるはずないのです」
 「頼忠殿、でも…」
 不安の溶けない彼女に、頼忠は微笑みかける。
 ――― 己を信じる事ができない。
 それは、以前の頼忠も同じだった。武士の理も、師匠の望みもどちらも貫く事ができず、何も為せずに終わってしまった昔日の過ち。己を穢れだと思い込み、ただ自分を罰する事のみ考えていた。
 その苦行から救ってくれたのが千歳だ。
 京の行く末を憂い、祈りを捧げる千歳の慈愛に触れ、頼忠も人に依存してしか生きられなかった己と向き合う勇気を持てた。
 いつしか、命令されたからではなく、彼女を信じる心から彼女を守りたいと願うようになった。
 彼女の為に己の力を振るい、そして、そんな自分を千歳が必要としてくれた時、ようやく自分で自分を認める事ができたのだ。
 己で考え、己の意志で行動する事は自信を生む。自分を信じる強さを生む。
 それをその身で示してくれたこの姫に、自信がないなどという言葉は似合わない。
 「貴女がご存知ないだけなのです。貴女がこうして清らかでいてくださる事が、今でも私の心に暖かな春風を吹きかけているのです」
 「頼忠殿……。私をまだ神子だと言ってくれるの…?」
 千歳が潤んだ瞳で頼忠を見る。そんな彼女に、頼忠は笑ってつぼみを手の平で示した。
 「さあ、千歳殿」
 「………」
 千歳はごく小さく頷き、つぼみの枝の下に向かった。
 おそるおそる手を伸ばす。かすかに震える指先がつぼみに触れようとした時、ふと、つぼみがほころんだ。
 「花が…!」
 みずみずしい花びらがゆっくりと開いていく。ひとつ。またひとつと。
 「ああ……」
 千歳が感嘆の息をつき、頼忠を振り返る。彼も嬉しそうに微笑んでいた。
 「花が、咲いたわ」
 「はい」
 「春が、来るわ」
 「はい」
 「良かった…、良かった……」
 千歳が感涙を目尻に浮かべながら、満面に喜色を浮かべる。心のつかえは取れ、その笑顔に曇りはなかった。
 頼忠は目を細めて、そんな千歳を見つめた。こんなにも眩しく無邪気な笑顔を見るのは初めてだ。まるでほころんだ花のような、春のような笑顔。
 ふと、その瞳に真摯な色が宿る。
 「……千歳殿」
 「頼忠殿?」
 不意に様子の変わった頼忠に、千歳が首を傾げる。頼忠はじっと彼女を見つめていた。あまりに見つめるので、千歳は次第に恥ずかしくなってくる。
 「あの…、頼忠殿…?」
 「千歳殿。ずっと、申し上げたい事があったのです。私の願いを聞いて頂けないでしょうか」
 「願い…? 一体、何を?」
 頼忠は一度息をつき、強い口調で告げた。
 「己がまだ未熟である事は承知しております。ですが、どうか。私にも、春(あなた)を与えて頂きたいのです」
 「頼忠殿…!」
 千歳の頬が染まる。彼の言う『春』とは、想い人を表す語。即ち、これは求愛の言葉。
 頼忠も少し恥ずかしげに笑み、そっと千歳の手を取る。
 「過分ながら、次の徐目で位階を頂けることになりました。いずれ、きちんと貴女に文をお贈りします。勝真を介して、ではなく」
 千歳はしばらく黙っていた。言葉を失ってしまったのだ。あまりに嬉しくて、寄せられる想いが、あまりに温かくて。
 …信じてもいいのだろうか。私がなすべきは贖罪ではなく、前へ進むことなのだと。その道を、この人と歩んでもいいのだと。
 千歳は顔を伏せ、頼忠の手に己の手を重ねた。
 「…待っているわ」
 頼忠が安堵の笑みを浮かべ、そっと千歳を抱き寄せる。
 その頭上で、辺りの木々が祝福するように花を開かせていた。



 ――――時は巡る。芽生えの春は躍動の夏になり、実りの秋から眠りの冬へ。そして、また春の目覚めを待つ。
 男女は睦み、子をなし、子は未来を開く。そして、世界は回る。
 この遙かなる時空の中を。


<終>

03.3.6 up


頼千は「朝露」一作と思ってたんですが、このCP楽しくて、また書いちゃいました。

けど、頼忠の身分ってどの程度なんでしょうね。勝真みたいな下級貴族にも、「貴族であるあ
なたに〜」とか言ってたから、無位無官なんだろうと思うんですが。でも、実際にできる事は結構
あるという感じ。位階さえもらえば、千歳ちゃんを嫁にするくらいなら問題ないと思うんだが。
まあ、問題があればあったで、そこにまたドラマが生まれて楽しいんですが(鬼)。

 

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