[物語に戻る]

卯の花         早川 京


 「お館さまあ!!」
 黒雲が天に立ちこめて雷鳴を轟かせ、閃光が辺りを照らす。
 叫びをあげた女の視線の先には、赤い着物を着た男が天に向かって両の手を差し上げ、今まさに黒龍を召喚せんとしていた。
 「おやめ下さい、お館様!」
 白拍子姿の女は、男を止めようと走り寄る。
 しかし、女の願いもむなしく、男は黒雲の中より現れ出た黒い龍に飲み込まれていった。
 「お館様……」
 あなたを失ったら、あたしは何を信じていけばいいの?
 龍に飲み込まれた男の高笑いと、自分の名を呼ぶ誰かの声を遠くに聞きながら、女は意識を手放した。
 気づくと、彼女はどこかの屋敷の一室に寝かされていた。
 貴族の屋敷らしいが、調度などは割に質素で、こざっぱりとした部屋だった。夕刻らしく、御簾の向こうから赤みがかった光が柔らかく差し込んでいる。
 シリンは起きあがると、御簾の側まで寄ってみた。部屋の外には、さほど大きくはないが、木石が趣味良く配置された庭が見えた。
 ---------------誰の屋敷なんだろう。
 以前は、白拍子として貴族の屋敷に出入りすることもあったが、龍神の神子との本格的な戦いが始まって以来、そのようなことはなくなっていた。彼女が今いる部屋は、屋敷の奥まったところに位置するようである。だが、自分をこのように扱う貴族など、シリンには心当たりがなかった。
 また布団の上に戻り、衣にくるまってじっとしていると、しばらくしてこちらに足音が近づいてきた。御簾を上げて部屋に入ってきたのは、龍神の神子に仕える八葉がひとり、藤原鷹通だった。
 「…おや、気付かれましたか。お加減はいかがですか?」
 そう言うと、鷹通は持ってきた椀の載った盆を置き、シリンの側に座った。
 「……ここは、お前の屋敷?」
 「そうですよ」
 膝を抱えて布団の上に座ったまま、シリンは鷹通の方をちらりと見た。彼の穏やかな瞳がじっと自分を見ているのを見て取ると、シリンは目を伏せ、膝に掛けてあった衣を胸へと引き上げた。
 しばらくの沈黙の後、シリンは再び口を開いた。
 「黒龍はどうなったの」
 「龍神の神子が白竜を召喚されて、滅しました」
 鷹通は淡々と答える。
 「そう…」
 では、あの方も、黒龍とともに滅したのだ。
 シリンは目を閉じた。我知らず、体に掛けた衣をきつく握りしめている。
 「……湯漬けを持ってきました。何か、食べた方がいい。それから、何か入り用のものがあったら遠慮なく言って下さい」
 そう言うと、鷹通は立ち上がった。
 「何故、助けた?」
 シリンは、部屋を出ていこうとする鷹通の背中に声をかけた。
 鷹通は立ち止まり、体半分だけ振り向いて言った。
 「意識を失って倒れている女性を、そのまま放っておく訳にはいかないでしょう。……また来ます」
 そしてそのまま、彼は部屋を出ていった。
 翌朝、藤原家の女房が下げた盆の椀は、手がつけられていないままだった。
 
 
 庭の卯の花が、風に舞う。その白い花は、薄い雲に遮られて淡く光る月の光に映え、夜の庭に雪が舞っているようだった。
 シリンは、単にうちぎを一枚羽織っただけの姿で金茶色の髪を風になびかせて、御簾の外の簀子に立っていた。
 ……妙な男だ。
 シリンが鷹通の屋敷に身を寄せてから10日あまり。
 鷹通は毎日のように、シリンの部屋を訪れていた。来るたびに、彼女の身の回りをあれこれ心配したり、宮中であった他愛もない話をしたりする。
 シリンは別に話すこともないので、ただ座って黙って聞いていることが多い。
 それでも鷹通は毎回、穏やかな顔でシリンの様子を見て、そして「また来ます」と言って帰っていく。
 ただ、それだけ。
 本当に、妙な男だ。
 鷹通は龍神の神子に仕え、それを守る八葉であり、自分はその八葉の敵であった鬼の一族の者であるというのに。彼の態度はまるで、ただの女に対するのもののようだ。
 いや、むしろ---------------。
 「分からない……」
 鷹通が、何を思って自分にこのように接するのか。
 そして、何故自分がまだここに留まっているのか。
 シリンの体は、別にどこも悪いわけではなかったから、気付き次第出ていっても良かったはずだ。なのに、まだ自分はここにいる。
 別にいくあてもないのだが、シリンは鷹通の屋敷でぐずぐずしている自分が理解できなかった。
 思えば、最初に会ったときから妙な男だった気がする。
 物心ついたときには、京の町外れの女郎屋に売られていた。アクラムに会うまで、「鬼の子よ」と蔑まれてきた。
 「我とともに来よ。鬼として生き、この世を我らが制するのだ」
 アクラムの誇り高さに救われてきた。だから、彼を信じ、彼のために京を汚すことも厭わなかった。
 鬼として生きる。アクラムの冷酷なまでの誇り高さが心地よかった。
 だが、そんなシリンに鷹通は言った。
 「鬼も人もない。同じ、命を持つ者です。話し合って分かり合えないはずがない」
 苦労知らずのお坊ちゃんだと思った。そして、彼の言葉にシリンは京を汚し続けるという行為で返した。鬼でもない者に何が分かる、と言わんばかりに。
 しかし、会うたびに鷹通はシリンを説得した。話し合おう、と。鬼と争いたくはない、と。シリンがそれに応えることはついになく、アクラムの呼び出した黒龍は、神子の呼んだ白竜によって倒された。
 それでもなお、彼はシリンを屋敷に置いている。そして別に何をする訳でもない。
 シリンには、藤原鷹通という男がよく分からなかった。
 「いくら夏とはいえ、そんな格好で夜風にあたっていたら、体に障りますよ」
 いつの間に来ていたのか、背後からの声に振り向くと、鷹通が立っていた。
 「さあ、中に入りましょう」
 静かに微笑んで、手を差し出してくる。
 シリンは、黙ってそのまま部屋に入ろうと一歩踏み出した。
 すると、にわかに風が強く吹き、庭の卯の花をひときわ激しく舞い散らせた。雲が切れて強く差し込んだ月光が白い花を照らし、髪をなびかせて立つシリンの周りを白く光る花が舞い踊った。
 シリンは煩わしげに髪を掻き上げると、ちらりと鷹通を見た。
 鷹通は、彼女の方を半ば呆けたように見ているように思われた。
 「綺麗だ…」
 そう、つぶやいた彼の声を、シリンは聞き逃さなかった。
 シリンは差し出された鷹通の手を乱暴に払いのけると、荒々しく御簾をどけて部屋に入った。
 畳の上に座り、怪訝な顔で部屋に入ってくる鷹通をシリンは見据えていった。
 「お前もあたしが欲しいんだろう? わざわざ自分の屋敷に連れてきたんだ。さっさと自分のものにしたらどうだい?」
 所詮、この男も男なのだ。
 馬鹿な生き物。
 彼らはいつも自分の美しさを褒め、そしてこの体を求めてきた。
 そうすることで、自分を支配したと思うのだ。支配されるのは、己の方であるとも知らずに。
 自分に支配されなかったのは、アクラム様だけ。冷たく、誇り高いあの方だけが、あたしに膝を折ることはなかった。例え、肌を重ねても。
 だがこの男も、結局は他の男と同じだ。
 シリンは、殊更に挑戦的な表情を作る。
 さあ、支配してごらん、あたしを。どうせ出来やしないのさ。
 しかし、鷹通は静かな表情で、シリンの側に座って言った。
 「傷ついた女性に、つけ込むような趣味はありません」
 シリンは、ふふん、と鼻で笑う。
 「じゃあ、どうしてこんな鬼のあたしを置いておくんだい?」
 「あなたは、行くあてがないのでしょう?」
 表情一つ変えずに言う鷹通に、シリンはいらだちを覚えた。
 「善人面するんじゃないよ。あたしは、お前の本音が聞きたいんだ」
 言ってから、シリンは自分で自分の言葉に違和感を覚えた。しかし、それを鷹通に悟られまいと必死に妖艶な笑みを保つ。
 そして、体をずいっ、と鷹通に近づけ、間近で顔をのぞき込む。
 「あたしが、欲しくないのかい?」
 鷹通は困ったように微笑んだ。
 「私は、鬼であろうが人であろうが、身よりのない女性を放っておけなかっただけですよ。まあ、こんな美人に言い寄られるのは悪くないですけどね」
 そして、まっすぐシリンを見返していった。
 「あなたこそ、どうしてここに留まっているんです? 嫌ならいつでも出ていけるでしょう。私はあなたの本音が聞きたいですね」
 シリンの頬が朱に染まる。
 「ごまかすんじゃないよ。男なんていつも、鬼の女だと思って、あたしを蔑もうとするんだ。お前も同じさ。……それとも、鬼の女は怖くて手が出せないのかい?」
 自分の矜持を保とうと必死のシリンは、彼女の言葉を聞いた鷹通の目に宿った光の色に気付かなかった。
 「困りましたね……。申し上げたと思いますが、私はあなたが鬼だろうが人だろうが何も変わりませんし…。ただ、憎からず思っている女性にそこまで言われると…、引き下がる気にはなれませんね」
 シリンは満足げにクスリと笑った。
 「やっとお前の本音が出たね」
 そして彼女は、自ら鷹通の唇に自分のそれを押し当てた。
 薄暗い明かりの中で、ふたつの影が重なる。
 シリンの唇を深く絡め取った唇が、彼女の頬から耳朶、そして首筋へと降りていく。
 シリンの真っ白な肌に、鷹通の唇が紅の痕を刻むべく、何度も降り注ぐ。
 触れられた部分から肌が粟立ち、シリンの息がうわずっていく。
 「シリン……」
 彼女の肌の上を這う唇で、鷹通は女の名を呼ぶ。
 「シリン……」
 何度も甘くささやき、鷹通は彼女の唇に、愛しげに自分の唇を重ねる。
 シリンは唇の柔らかさと、自分の名を呼ぶ鷹通の声に、いいしれぬ快感を感じている自分に驚いていた。
 鷹通の触れた部分が熱くうずく。まるで男を知らない生娘だと、シリンは思った。そして、そんな自分の反応が堪らなくて、彼女は鷹通から目をそらした。
 「あ…、いや……っ」
 鷹通の手が胸の膨らみに触れたとき、シリンは思わず顔を横に背けた。
 「シリン?」
 鷹通の手が止まり、彼女の顔をのぞき込む。
 「大丈夫ですか? ……私が、怖いのですか?」
 真剣な眼差しで、鷹通は問うてくる。
 「馬鹿なことを言うもんじゃないよ。誰がお前なんか怖がるものかい」
 「しかし……あなたが、震えているから」
 シリンの頬に朱が走った。そして、パン、という軽い音が部屋に響く。
 打たれて赤くなった頬を押さえることもせず自分を見つめている男を押しのけて、シリンは起きあがった。
 「馬鹿におしでないよ。本当、ふざけた男だね」
 単が乱れて露わになった肌を隠すこともせず、シリンは男を見据えて言った。
 「……申し訳ない」
 鷹通は起きあがると、自分をにらみつけている女に向かって頭を下げた。
 「誇り高いあなたを、これ以上傷つけたくなかったのですが…、かえってよけいに傷つけてしまった」
 シリンは目を見開いて、しばらくの間黙って鷹通を見ていた。
 「出ていって」
 鷹通が声をかけようとしたとき、自分の単の襟を掻き合わせて、彼女は鷹通に背を向けて言った。
 「お前みたいなやつの顔なんか見たくない」
 「……シリン」
 「出て行けと言っているのが分からないのかい!」
 背を向けたまま、シリンは叫んだ。
 鷹通は、彼女の震える肩に手をかけようと手を伸ばしかけた。しかし、途中でそれを押し止めて立ち上がった。
 そして服装を整えると、黙って部屋を出ていった。
 シリンは、自分の震える肩を両腕で抱きしめていた。
 分からない男だ……。
 今まで、自分を気遣うものなどいなかった。アクラム様でさえ、失敗を犯した自分を容赦なく捨てた。
 同情なんか、死んだってして欲しくない。
 だが、あの男は。
 「分からない……」
 シリンの瞳から、ひとしずく、ふたしずくと涙がこぼれ落ちる。頬を伝い、腕に落ちて単を濡らすその涙をシリンは拭うこともせず、ただ流れるに任せて肩を震わせていた。
 先ほど鷹通が触れた部分が、熱を帯びているのが分かる。耳の奥で、彼が自分の名を呼んだ声が響いていた。
 「本当に…、分からない男だ…」
 彼が触れた首筋に、シリンは手をあてる。確かにそこには、わずかな暖かさが残っていた。
 体に残るぬくもりを留めるかのように、シリンは体を縮めて自分を抱きしめる手に力を込める。
 風に吹かれて高欄に降り積もった卯の花が、巻きあがる風に乗ってさらさらとなる音が聞こえていた。

 

 2000.8.26UP

 


鷹通×シリンで裏をやってみようかなあと思ったのですが、しっかり挫折しました(笑)
もうちょっと細かい話にしたかったんですけど、鬼の一族の葛藤なんかはまじめに考えると難しいです(^^;
ところで、私はゲーム中の鷹通とシリンの会話は全く覚えてません。友雅との戦いに忙しかったので。
それでも、妄想はふくらむものだと分かりました(笑)

 

[物語に戻る]