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月明かり
早川 京
良い月の晩だった。 京を脅かしていた、鬼との戦いも終わり、既にひと月が経とうとしている。
龍神の神子として異世界から招かれた少女、元宮あかねは、鬼との戦いが終わった時、元の世界に戻ることをしなかった。
彼女は京に留まることを選んだのだ。
神子に仕える八葉として、共に戦った源頼久と、この世界で生きることを―――――。その晩、頼久は屋敷の自室で休もうとしていたところだった。
明かりの灯を消そうとしたとき、ふと人の気配に気づき、彼は振り返った。
「あかね殿!」
部屋の入り口の障子を開けて、寝間着のまま立っていたのは、頼久の家に引き取られていたあかねだった。
頼久は、慌てて彼女へ駆け寄る。
「どうされたのです、このような時間に。…そんな格好で。何か、あったのですか?」
彼は、とりあえずあかねを部屋の中へ入れて、円座に座らせた。
「…今夜は私、ここで寝てはいけませんか?」
「えっ!?」
突然の申し出に、頼久は一瞬何のことだかわからなかった。
が、ああ、と彼はあかねに笑いかけた。
「お休みになれないのですか? 私の部屋で良かったら、お使いになってかまいませんよ。私はとなりの部屋で休めばすむことですから」
そう言って、用意をしようと立ちあがる頼久の白い寝間着のすそを、あかねはつかんで止めた。
「そうじゃなくて、私、頼久さんと、ここで寝たいんです」
あまりにも直接的な彼女の言葉に、頼久は慌てた。
「なっ…、い、いけません。年頃の娘が男と、その、同じ部屋で…」
「…やっぱり、頼久さんは嫌なんですね。」
今にも泣き出しそうな、しかし真摯な目で、あかねは頼久を見つめる。
「私、頼久さんに、こっちの世界に留まってほしいって言われたとき、本当に嬉しかった。頼久さんのそばに、ずっといたいって思ってたから。…でも頼久さんは違うんですね」
「…あかね殿?」
思いつめた顔をして言う、あかねの言葉の意味が、頼久には分からなかった。
頼久は、心から彼女を大切に思っている。
彼女をずっと守っていたくて、側にいて欲しくて、京に残って欲しいと申し出たのである。
だから、承諾の返事をくれた彼女を喜んで家に迎え入れたのだ。
「…私、藤姫に聞いたんです。こっちの世界では、男の人は好きな女の人ができたら、その女の人のところに文を出して、夜には通ってくるって。3日続けて男の人が来て、3日目に一緒にお餅を食べたら、夫婦になるんだって。でも頼久さんは、私がこのおうちに来てから、一度も私のところに来てくれない。もうひと月になるのに…。私、不安で…。私は頼久さんが好きです。でも、頼久さんは違うんじゃないか、って…。だから、今日ここへ来てみたんです。でも…」
このひと月、頼久は本当に優しかった。
彼が側にいてくれるから、あかねは安心して、京での暮らしを覚えていけた。
しかし、同じ屋根の下に住んでいるというのに、彼は、夜訪ねてくるどころか、文すらもくれないのだ。
あかねの目から、ひとしずく、涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい。ご迷惑でしたよね…。私、戻ります」
そう言って、彼女は立ち上がった。
「あかね殿!」
今度は、頼久があかねの寝間着をつかんだ。
「…申し訳ありませんでした。あかね殿がそこまで思いつめていらっしゃるとは、思いませんでした」
あかねが京に残ってひと月。彼女が最初に京に来てから4カ月ほどが経ってはいるが、彼女が京で暮らすには、まだ慣れないことが多い。
藤姫や鷹通、友雅などの他の八葉たちが、こまめに彼女の世話を焼いてくれるので、あかねは少しずつ、京での生活になじんでいっている。
頼久も、仕事の合間をぬって、出来るだけあかねの側にいるようにしていた。武家の生活を教えられるのは、彼だけであるから。だが、少しでも彼女の側にいたいというのが本音である。
しかし、それも昼間だけのこと。
日が明るいうちなら、頼久はなんとか自分の感情を押さえていられると思ったからだ。
本当は、心から彼女を欲していた。一日も早く自分だけのものに、心も、身体も。そう望んでいた。
だが、ただでさえ、新しい生活に戸惑っているあかねを、これ以上混乱させたくなかった。せめて、もう少し落ちついたら、きちんと手順を踏んで文を出し、吉日を選んで彼女のところに行こうと思っていたのだ。
だから、はやる心を押さえて、夜は彼女のところに行かないようにしていたのだが…。
「あなたがもう少し京に慣れてから、と思っていました。すぐに、その…、あなたを私のものにしてしまったら、あなたを傷つけてしまうのではないか、と…」
「どうしてですか?」
あかねは、立ったまま頼久の目をまっすぐ見返した。
「え?」
「だって、頼久さんと一緒だから。私、傷ついたりなんてしませんよ」
頼久は、驚きの視線を彼女に向けた。
「鬼との戦いの時だって、あなたがいてくれたから、頼久さんが一緒だったから、最後まで頑張れたんです。私、あなたが一緒なら、なにも恐くないですよ」
そう言って、あかねはにっこりと微笑んだ。
「…あかね殿」
頼久も、柔らかく微笑み、そして応えた。
「私も…、あなたを心からお慕いしています」
「…じゃあ、いいんですね?」
「は!?」
にっこりと微笑んだまま、あかねは頼久の両肩をつかみ、体重をかける。
あかねの着物をつかんで腰を浮かしたまま、中途半端な態勢をとっていた頼久は、不意をつかれてあっさりと彼女に押し倒されてしまった。
「あ、あかね殿!! 何をなさるのですか!?」
あかねに組み敷かれて慌てる頼久に、あかねは悲しそうな顔をして見せる。
「…やっぱり、嫌なんですね…」
「そういうわけでは…っ!」
泣き出しそうなあかねの顔に、頼久はさらに狼狽する。
あかねは、そんな頼久の様子に、くすりと笑った。
「それじゃあ、がんばりましょうね。夜は、まだ長いですし」
悲鳴を上げようとした頼久の口は、あかねの唇でふさがれてしまった。一刻ほど後、頼久の寝所から、あかねが出てきた。
月光の降りそそぐ庭の見える廊下に、彼女は腰を下ろす。
何をするともなしに、あかねは月を見上げていた。
その彼女の様子は楚々として、どこかはかなげで、先程大の男を押し倒した少女と、とても同一人物とは思えない。
と、後から来た頼久はため息をついた。
その音にあかねが振り向く。
「あ、頼久さん。まだ寝ていれば良かったのに」
にこにこと笑う少女の横に、頼久は、真面目な面持ちで腰を下ろした。
「私は存じませんでした」
「はい?」
気合いの入った声に、あかねは驚く。
「あかね殿が、あんなにも私との結婚を望んでおられたとは」
「はあ…」
ちょっとやりすぎたかなあ、と先程の出来事を思い出し、あかねは少し反省した。
「明日の夜から、私があかね殿の御寝所にうかがいます。心してかかりますので、よろしくお願い致します」
あかねは、あまりにあからさまな言葉にあっけにとられた。
しかし、あくまで頼久は真面目である。
「よろしいですか? あかね殿」
「は、はいっ!」
真剣な目で問われて、あかねは慌てて返事をかえす。
「良かった…。ありがとうございます」
嬉しそうに笑って、頼久はあかねを抱きすくめた。
―――明日は、何か精力のつくものでも食べないと、だめかもなあ……。
どうやら、自分は頼久のやる気に火をつけてしまったらしい。
先が思いやられるな、と思いつつ、小さく笑って、あかねは頼久の腕の中で目を閉じた。
月明かりが、2人を静かに照らしている。翌日から、頼久が言葉通りに励んだのは言うまでもない。
2000.6.28UP
なんとまあ……(笑)
馬鹿2人って感じで、打ち込んでて恥ずかしかったです。
頼久については、25にもなって、武家の頭領息子が何で独身なんだとか、
つっこみたいところが色々あるんですが、面白い奴なので、ま、いいかと。
(まあ、独身じゃなかったらスイート・ネオ・ロマンスにならんわな(^^;)
ちなみに、頼久があかねに敬語を使いつづけているのは、
身についた下僕根性はそう簡単になくならんだろうと思ったので。
何のかんの言ってますが、私は頼久が好きなだけです(笑)[物語に戻る]