切なる想い

                翠 はるか


 「そういえば、来月はあかねちゃんの誕生日だね」
 あかねと詩紋と頼久で京の散策をしている途中、詩紋がそう言い出したのは、一月ほど前の事だった。
 その時、頼久は知ったのだが、あかねの暮らしていた所では、その者が生まれた日にお祝いをするという風習があるらしい。京にはそういう事はないので、珍しいと思い、頼久は強く印象に残していた。
 あかねや詩紋は、こちらにそういう風習がないのを知ると、頼久に色々と話して聞かせてくれた。贈り物をする風習や、人によっては親しい者を集めて騒いだりすることなど。
 「誕生日って、その人が生まれた大事な日だから、その人が生まれた事を感謝して、お祝いをするんですよ」
 あかねは最後に、にっこりと笑ってそう言った。



 その話はそれきり話題になる事はなく、頼久は八葉としての勤めと、武士団の仕事を両立するのに忙しく、それまで忘れていた。
 だが、用事で来ていた市で、綺麗な櫛を見かけた時、頼久は不意にその話を思い出した。
 その櫛は黄楊(つげ)で出来ていて、持ち手の部分に藤の花が描かれていた。純朴でどこか暖かみを感じさせるその櫛は、きっとあかねに似合うだろうと思われた。
 けれど、女性に贈り物をするなど、何やら気恥ずかしくて迷っている時に、誕生日の話を思い出したのだった。
 ……神子殿の誕生日は、確か六月の七日だと仰っていた。もうまもなくだ。その時にお贈りすればおかしくないだろう。それに……。
 頼久は思い切って、その櫛を買い求める事にした。



 ――――七日の当日。
 頼久は、ちょうど左大臣の警護で出かけなければならなくなり、それを渡す機会を見つけられぬまま、一日を過ごした。いつもより遅くなって、ようやくあかねの部屋の警護に出る。
 神子殿は、もうお休みかもしれぬな……。
 一応、櫛を懐に忍ばせてきたものの、頼久は今日渡すのは、半ば諦めていた。
 今日渡せなければ、明日渡せばいいだけなのだが、やはり当日のうちに渡したい。
 頼久は無意識のうちに早足になって、あかねの部屋へ向かった。だが、部屋の明かりは既に消えてしまっていた。
 やはり…か。
 頼久は落胆を隠せなかったが、すぐに気を引き締め、警護についた。あかねを守る事が彼の第一の使命であるのだから。
 とはいえ、心に少しだけ、わだかまりが捨てきれずに残る。
 しかし…、こうなるのなら、昨日のうちにお渡しすればよかったな。
 ――――昨日は、あかねの物忌みで、彼女は側にいてもらう八葉に頼久を選んだ。それを知って、頼久はいい機会だし渡してしまおうと思ったのだが、やはり当日にと思い、やめにしたのだ。まだ、気恥ずかしさが残っていたせいもある。
 ……そういえば、お身体の具合はもうよいのだろうか。
 不意に、頼久の眉が心配げに寄せられる。
 あかねは、昨日頼久の目の前で、急に意識を失った。頼久が慌てて抱きとめたが、力なく彼の腕に倒れこんだあかねは、まるで今にも消えてしまいそうに儚げだった。
 その様子を思い出して、頼久は耐えがたいほどの寂寥感が胸を満たすのを感じる。
 あの後、すぐに目を覚ましたあかねは、心配げな頼久に「大丈夫、消えたりしませんよ」と言って、にっこりと笑った。
 ……けれど、それは違う。
 あなたは消えてしまう、私の前から。
 あさってには、四神の全てが解放される。その力をもって鬼の首領を倒せば、あなたは役目を終えられ、元の世界へ帰られてしまう。
 そうすれば、恐らくもう二度と会う事は叶わない。
 それは…、変えられぬ事だ。
 頼久がそっと目を伏せた時、かすかに向こうの廊下がきしむ音が耳に届いた。
 振り返った頼久は、驚いた表情になる。
 「神子殿!」
 あかねが廊下を一人で歩いていた。頼久の声に、彼女も驚いたように彼のほうに視線を向ける。
 「あ、頼久さん」
 「神子殿、お休みになっていたのではなかったのですか?」
 頼久が尋ねると、あかねは小さく舌を出した。
 「藤姫と話し込んでたら遅くなっちゃって。ごめんなさい」
 「いえ、謝られる事ではありませんが………」
 頼久の言葉が途切れた。
 今まで考えていた当の本人が急に現れて、頼久の心はひどく揺れていた。彼女から目を離せない。
 黙ってあかねを見つめる頼久に、あかねが不思議そうに首を傾げる。
 「頼久さん? どうかしたんですか?」
 「…えっ? …あ、いえ、何でもありません。それより、もうお休みになられたほうがよろしいのでは」
 「あ、そうですね。もう遅いし」
 「はい。ここは私が必ずお守りしますので、安心してごゆっくりお休みください」
 頼久が相変わらずの真面目口調で言うと、あかねは軽く肩をすくめた後、ゆっくりと柔らかな笑みを浮かべた。
 「……神子殿?」
 頼久はどきりとした。その笑顔があまりに綺麗だったから。
 「…頼久さん、いつもそうやって、私の事を第一に守ってくれますよね。時々、それが辛くなる時もあるけど、やっぱり私…、そのおかげで、ここまで戦えたんだと思います」
 「神子殿…、そのようなもったいないお言葉を……」
 「本当の事ですよ。頼久さんがいつも『必ず守る』って言ってくれたから、私安心できた。そうでなかったら、きっと怖くてたまらなかったと思います。感謝してるんですよ」
 「感謝など…、私こそ……」
 頼久は言いかけて、はっと思い出した。
 「……あの、神子殿。これを受け取っていただけますか?」
 頼久は懐からそっと櫛を取り出した。
 「え? これって……」
 「以前、今日は神子殿の誕生日だと伺いましたので」
 あかねが大きく目を見開いた。
 「え? …それじゃ、これ誕生日プレゼントですか? え? 本当に?」
 よほど意外だったのか、あかねは手渡された櫛を何度もひっくり返しながら眺めている。その反応の大きさに、頼久は少し恥ずかしくなってきた。
 「あの…、気に入っていただけるとよいのですが……」
 「もちろんですよっ。すごく可愛いです。ありがとう、頼久さんっ」
 だが、満面に笑顔を浮かべるあかねを見て、頼久はそれ以上に嬉しかった。
 「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
 「本当にありがとうございます。前にした話覚えててくれたんですね。…あ、それじゃ、私も頼久さんの誕生日に何かお返ししようっと」
 にこにこしながら言うあかねに、頼久は寂しげに笑った。
 「いえ、その頃には神子殿はもうここには……」
 その言葉に、あかねもはっとした表情になり、寂しげに櫛に視線を落とした。
 「そう…ですね。もうすぐ、四神の解放も終わるし……」
 二人の間に沈黙が降りる。重くなった雰囲気に、頼久が慌ててそれを破るように口を開いた。
 「お返しなどいりません。ただ、私が差し上げたいと思っただけなのです。私は…、あなたが生まれて来てくださった事を、とても感謝していますから」
 「頼久さん……」
 あかねが切なさと喜びの入り混じった眼差しで頼久を見つめる。
 「私も…、今ものすごく生まれてきた事に感謝してます。生まれてきたから、今こうして生きていられる。当たり前の事なんだけど、その事が……、こんなに嬉しい」
 だんだんとあかねの声が涙交じりのものに変わっていく。
 「神子殿……」
 「…えへっ。私、部屋に戻りますね。ここにいると…、泣いちゃいそうだから」
 最後は自分にしか聞こえないような小声で呟き、あかねは部屋のほうへ駆け出していった。
 「あ、神子殿…っ」
 頼久は反射的に追いかけて行こうとしたが、すぐに踏みとどまった。
 ……これでいい。受け取ってくださったのだから。
 頼久は再び警護に戻りながら、あかねに渡した櫛を思った。
 あの櫛には、藤が描かれていた。
 藤は「不死」にも通じており、永遠を象徴する花だ。
 近く、神子殿はご自分の故郷に帰られ、元の生活に戻られる。そして、自分も元の生活へと戻る。
 二度と、歩む道が交わる事はない。
 けれど、共に過ごした日々が消える事は決してないから。
 「…あなたに出会えた事を、私は心から感謝します」
 頼久は満ち足りた声音で呟き、胸に満ちる温かいものをかみしめた。


<了>


 久々の頼あかです。しかもシリアス。
 やっぱり、時空を越えた恋ってのはいいなあ。

 

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