聖なる夜に

              翠 はるか


 いらっ。
 いらいらいら。
 いらいらいらいらいらいらいらっ。

 ダンッ!

 ある土曜の午後。喫茶店でケーキを食べていたあかねは、いきなりフォークを思いっきりイチゴに突き立て、周囲の視線を集めていた。
 だが、彼女はそんなこと気にしていない。今、彼女の頭の中にあるのは、自分を苛立たせる一人の面影だけ。
 そう。彼女は苛立っていた。
 何故か。それは、この年頃の少女に最も似つかわしい理由。つまり、彼女の恋人がその原因である。

 彼女の恋人は、ちょっと変わっていた。
 何しろ生まれたのが千年前なのだ。
 名前は源頼久。
 数ヶ月前、龍神の神子として「京」に召喚されたあかねは、その地で知り合った彼と、心を通わせた。
 そして、彼女が自分の世界に帰ることになった時、共に在りたいと願った二人は、一緒に現代にやってきたのである。
 現代へ来た彼は、とりあえず天真の家に居候していた。幸い、天真の両親は仕事の関係で遠方に赴任していて不在だったので、特に何も言われることはなかった。
 そして、天真の強い勧めにより、頼久は天真の祖父が経営しているそば屋に弟子入りして働いていた。真面目で、礼儀やけじめをきちんとわきまえ、真冬の皿洗いも厭わない彼は非常に気に入られ、ゆくゆくは店を任せるかもしれないという話まで出ている。
 実は、再三祖父から店を継げ継げと言われて辟易していた天真は、それを聞いて、小躍りして喜んでいた。
 まあ、そんな風に、なんとか現代に落ちついた頼久とあかねは、幸せな日々を送っていた。特にあかねは「これで大っぴらにイチャつける!」とばかりに、毎週頼久の休みの日には、べたっと腕を組んでデートを繰り返していた。

 だが、しかし。
 ここ数週間、頼久とはデートはおろか、まともに話さえしていない。
 ある日突然、頼久から「申し訳ありません。しばらくの間お会いできなくなります」と言われてそれっきり。
 理由を聞いたが、ちゃんと答えてくれず、それ以後、いつ訪ねてもいつ電話しても家にいない。天真に聞いてみると、仕事にはちゃんと行っているし、夜中には帰ってきているらしい。だが、そんな時間に訪ねる訳にはいかないし、仕事場に押しかけるのは迷惑になる。
 そういう訳で、ここ最近のあかねの苛立ちようはすさまじいものがあった。
 「……どうしてよ」
 ぽつりと、あかねの口唇から弱々しい呟きが漏れる。

 彼に会いたい。
 彼の声が聞きたい。
 彼と一緒にいたい。

 一度は、永遠の別れさえ覚悟した。それだけに、少しの間でも離れていることは、彼女の心に不安をつのらせた。
 「……ずっと、私の側にいるって約束してくれたのに」
 あかねの両手に、ぎゅっと力がこもる。

 ダン、ダン、ダンッ!

 数分の後、彼女の手元には、原形を全くとどめていないケーキが散乱していた。

 夕方。あかねが肩を落としつつ家へ帰ると、見覚えのある靴が玄関に置いてあった。
 あれ……、この靴って確か……。
 居間へ行くと、思った通りの人物がソファに座っている。
 「天真くん」
 「よお、あかね。遅かったじゃねーか」
 天真が、あかねに気付き、にこやかに手を上げる。
 「どうしたの? うちに来るなんて珍しいね」
 「まあな。ちょっとお前に用があって、待たせてもらってたんだ」
 「私に?」
 「ああ……」
 天真が、突如口ごもる。
 「……え? なになに、どうしたの?」
 「……ちょっと、もうちょっと、こっちに来いよ」
 そう言って、天真が手招きする。あかねは、訳が分からなかったが、何やら彼がえらく真面目な顔をしているので、言われるまま近づいていった。そして、隣に腰を降ろす。
 「なに?」
 「うん。……あのさ、お前やっぱり、頼久とは全然会ってないのか?」
 あかねの眉がぴくっと震えた。
 「……会ってないんだな」
 「……頼久さんが、どうかしたの?」
 あかねがおそるおそる尋ねる。
 何だか嫌な予感がする。どうして、天真はこんなに真剣な顔をしているのだろう。
 聞きたくない気もするが、頼久の事とあっては、聞かずにいられない。
 「実はさ、今日、あいつが女と二人連れでいるところ見ちまってよ」
 「えっ?」
 思いがけない言葉に、あかねの目が丸くなる。
 「あいつ、女の知り合いなんか皆無に等しいだろ? 珍しいなと思ってみてたら、結構仲良さげでさ」
 天真の言葉が進むにつれ、どくどくとあかねの鼓動が高鳴っていく。
 頼久が? 女性と? 仲良さげに?
 天真の言う通り、頼久はこちらに女性の知り合いはほとんどいない。男ばかりの職場で働いているし、見目が良いから、声をかけてくる女性客というものもいるにはいるが、彼は人付き合いが決して上手くないので、会話すら成立せずに終わってしまうのが常である。
 その彼が、女性と?
 「え…と、女の人、って……、仕事先の人とか……」
 それでも、なんとか常識的ではないかと思われる答えを返してみたが、天真は首を横に振って、それを否定した。
 「いや、俺たちくらいの年だったぜ。髪が長くて…、腰くらいまであったな」
 その瞬間、あかねの頭の中は真っ白になった。
 「…どういう……、こと?」
 「んー、何とも言えねえけど。一応、言っとこうかと思って」
 「そう……」
 あかねは、拳をぎゅっと握りしめた。

 そういう事なんだろうか。
 あの盲目的下僕根性が染みついている彼に限ってあり得ないと思っていたが、私の他に………………………………………女性を?
 それで、急に会えないなんて言ったの?
 私を捨てて、その女のところへ行く気なの?

 あかねの身体が、わなわなと震え出す。
 冷静に考えると、非常に飛躍した思考なのだが、恋する乙女に理屈なんて通用しない。
 今、あかねの頭にあるのは、恋人である自分が頼久に会えないのに、他の女が彼に会っているという事実だけだ。
 「……天真くん。頼久さんが、今どこにいるか分かる?」
 「ん? ああ……、まだいるかどうかは分からないけど、俺が見た時は木下公園にいたぜ」
 木下公園とは、あかねの家から駅一つ分離れたところにある公園だ。遊歩道や池なんかもあって、かなり広い。
 「分かった。私、行ってくる!」
 言うが早いか、あかねは居間を飛び出していった。
 頼久に会って、確かめなければ。
 彼を失うなんて耐えられない。
 頼久さんは、頼久さんは………。

 「私だけのものなんだから〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」

 近所中に響き渡る叫びを上げながら爆走していったあかねを見送って、天真はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

 頼久さんっ、頼久さんっ、どこっ!?
 ものの三十分もしない内に、木下公園にたどりついたあかねは、頼久を捜して公園内を爆走していた。
 既に日は落ちていたが、まだ結構な人数が公園内を歩いていた。だが、彼女の目指す人は見つからない。
 もう、他の所に行っちゃったのかな……。
 一旦足を止めて、きょろきょろと辺りを見回したあかねは、ある一点を見て、はっと目を見開いた。
 そこから五十メートルほど離れた所に馬の銅像が建っている。その足元に人影があった。
 それだけ離れていても、明らかにその辺の男とは顔もスタイルも違うと分かる。無論、分かるのはあかねだけだが。
 「頼久さんっ!」
 あかねは愛しい人めがけて、再び爆走していった。

 「あかね殿」
 あかねが頼久の近くまでたどりついた時、彼女に気付いた頼久は、案に相違して、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。
 興奮しきっていたあかねは、その笑顔に毒気を抜かれる。
 「あ…、あの……、頼久さん」
 「走っていらしたのですか? そんなに息を切らされて」
 しかも、ぜいぜいと肩で息をしているあかねの顔を、心配げに覗き込んだりする。
 「少し遅いので心配していましたが……、何事もないようで良かった」
 え? えーと……?
 あかねは混乱してきた。
 なんだか、頼久は自分がここに来るのを知っていたかのようだ。
 「あの…、頼久さん……」
 「ああ、無理にしゃべらないほうがよろしいです。もう少し、呼吸が落ち着かれるまでは。とりあえず、ベンチで一休みしましょう」
 「はあ……」
 あかねは訳が分からないまま、頼久に手を引かれるようにして、近くのベンチまで歩いていった。そこに座って、何度も深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻す。
 「落ち着かれましたか?」
 「は、はい。あの、頼久さん……」
 あかねが、おずおずと頼久の顔を窺い見る。
 「えーと、その……。ここで、何してたんですか?」
 とりあえず、一つ一つ整理しようと思って尋ねると、頼久は不思議そうな表情になった。
 「もちろん、あかね殿をお待ちしていたのです。天真から聞いて、いらしたのではないのですか?」
 「え、ええ? 天真くんから……?」
 ますます分からない。天真が自分に言った事といえば……。
 あかねは、はっとした。
 「そうだ! 頼久さん、連れの人は?」
 それを確かめに来たんだった。
 「は? 私は一人ですが……」
 「でも……。あの、今日はずっと一人でした? 誰かと一緒にいませんでした?」
 さすがに、「浮気してませんでしたか?」と直接的には聞けない。
 すると、頼久はにこやかに答えた。
 「今日ですか? 少し前まで蘭殿と一緒でしたが、駅までお送りして、今は私一人です」
 「蘭ちゃん?」
 あかねはきょとんとし、次いで、天真の言葉を思い出した。
 ”自分たちと同じくらいの年で、腰くらいまである長い髪……。”
 あかねは、ようやく理解した。
 天真くんてば、私のことからかったんだ〜〜〜〜〜〜っ!!
 怒りと恥ずかしさで、あかねの顔が真っ赤になる。
 「……あの、あかね殿? 一体、どうなさったのですか?」
 再び興奮しかかったあかねは、頼久のその一言にはっとした。
 「あっ、いえっ、何でもないんです」
 言える訳ない。彼のことを疑ってたなんて。
 あかねは気を取り直すように、コホンと咳払いした。
 「ちょっと行き違いがあったみたいで。それより、えーと、私を待っててくれたんですよね」
 「ああ、そうです」
 今度は、頼久がはっとした顔になった。
 「あかね殿、こちらに来ていただけますか?」
 すっと立ち上がり、あかねに向かって、手を差し伸べる。
 「はい……。分かりました」
 あかねは、やはり訳が分からないままだったが、疑ったという負い目があったので、大人しく頷いて、彼の手を握りしめた。

 頼久は、あかねを公園の池のほとりに連れていった。
 「ここです、あかね殿」
 池の柵に手をかけて、頼久が嬉しそうに、彼女を振り返る。
 「え? ここって……」
 あかねは戸惑う。すっかり日も落ち、その辺りは外灯も少なかったので、足元もよく見えない。
 ここが、なんだっていうんだろう。
 「池のほうをご覧になってください」
 「池……?」
 言われるまま、そちらに目を向けたあかねは、わあっと歓声をあげた。
 その方向には、公園の隣のデパートが立てている巨大クリスマスツリーが立っていた。ツリーそのものは、少し木の影に隠れているが、それについているライトが池に反射して、きらきらと輝いている。
 「すごい、きれい……」
 あかねが呟くと、頼久がほっと息をつく。
 「良かった。それで、あの、これを……」
 ごそごそと胸ポケットを探り、何かを取り出す。そして、あかねの手を取り、その何かをあかねの指にはめた。
 「えっ?」
 あかねは目をみはった。
 暗い中にもきらきらと輝く、輪状の金属。
 「こ、これ……、指輪?」
 プラチナの、少し幅広の指輪がそこにあった。
 「はい、今日は”くりすます”ですから」
 「クリスマス?」
 あかねは、はたと気付いた。
 そういえば、今日は十二月二十四日だった。午前中は学校の終業式だったし、友人たちが今日は彼氏と云々とか話してた気がする。
 どれも、頼久の変化に心を奪われていたあかねの頭には入ってきていなかったが。
 「そうでした…ね。え……、じゃあこれ、クリスマスプレゼント?」
 頼久がにっこりと笑う。
 「はい。くりすますには、懇意にしている女性に、夜景が綺麗な場所で指輪を贈る決まりだと天真に教わりまして。そうしないと、女性に甲斐性のない男だと思われるとか」
 あかねの脳裏を、それを教えた時に浮かべたであろう天真の笑みが、ありありとよぎっていった。
 て〜ん〜ま〜く〜ん〜〜〜っ。頼久さんに、何吹き込んでるのよ〜〜〜。
 ……でも……。
 あかねは、頼久がはめてくれた指輪に視線を落とした。
 そして、はっとする。
 「これって、ティ○ァニーのアトラスリングじゃないですか!?」
 ギリシャ数字を彫りこんだシンプルなデザインが人気の指輪だ。
 「はい。それが、一番女性方の間で評判が良いと、蘭殿に伺いましたので」
 「でも…、高かったでしょう?」
 腐ってもティファ○ー。数万円はするだろう。そば屋見習いの頼久の懐に、そんなに余裕があるはずないのだが。
 と、そこで、あかねはピンとくるものがあった。
 「あの……、頼久さんが、最近家にいなかったのって……」
 「ああ…。全く連絡できずに申し訳ありませんでした。その…、大将に許可を頂いて、仕事の後、あるばいとをしていましたので」
 やっぱり……。
 あかねの胸が、きゅうっと締め付けられる。
 頼久の仕事は、ただでさえ大変だ。朝早くから夜遅くまで、精神も肉体も使いっぱなし。なにしろ、職人の道は厳しいのだ。
 それなのに、私にプレゼントするために、その後、更に……。
 「頼久さんてば……、本当に、時々予想のつかない事するんだから」
 あかねは胸元で両手を握りしめ、”乙女のポーズ”を取りながら、じーんと感動にひたっていた。
 「あかね殿……、喜んでいただけましたか?」
 「……はい。嬉しいです」
 あかねは、こくんと頷いた。まさか、札付きの朴念仁の頼久から、騙されてとはいえ、こんなロマンチックなクリスマスを用意してもらえるなんて。
 こうなると、疑ったことがますます心苦しくなってくる。「良かった」と微笑んでいる頼久を見ると、尚更。
 私も何かしたい。…ああん、何でもいいから用意してれば良かったよ〜〜。何か、今できることってないかな?
 あかねは、うーんと考え込んだ後、ぱっと顔を輝かせた。
 「それじゃ、頼久さん。私もプレゼント返ししなくちゃいけませんね」
 言うが早いか、あかねは頼久の肩に手をかけ、背のびすると、その頬にちゅっとキスした。
 「わっ…! な、何を……」
 いきなりのあかねの行動に、頼久は面食らった。
 「あれ? そこは天真くんから聞いてないんですか? クリスマスプレゼントをもらった女性は、お礼に頬に接吻するものなんですよ」
 あかねが、しれっと答える。
 「そ…、そうなのですか?」
 「はい。だから……」
 あかねはもう一度、頼久の頬にキスし、彼をぎゅっと抱きしめた。頼久も驚きから立ち直って、あかねの背に手を回し、優しく抱きしめる。
 池に映っていた二つのシルエットが、一つになった。
 二人にとって、記念すべき初めてのクリスマス。きっと、ずっと忘れないなとあかねは思った。

 ……それにしても、天真くんてば。後でとっちめておかないと。
 頼久の腕に体を預けたまま、あかねは諸悪の根源の顔を思い出した。
 まあ、でも……、嬉しかったから、手加減してあげるけどね。
 あかねは指輪の感触を確かめながら、うっとりと目を閉じた。


<了>

2000.12.24up .


その後、天真がどうなったかは誰も知らない(笑)。

ちなみに、ちょろっと挿絵のようなものを描いてみました。

 

[戻る]