土御門邸の何気ない日常
翠 はるか
夏も盛りのある朝。平和を迎えた京を祝福するように空は高く、澄んでいた。
鬼の反乱を防いだとして、ますます権勢を確かなものとした土御門殿の邸は、大勢の人や贈り物、花々で華やぎ、まさにこの世の春を迎えていた。
「あら」
その日、藤姫の部屋へ遊びに行こうとしていたあかねは、廊下で同じ目的の友雅と、ばったり出くわした。
とたんに、夏の陽光を突き破り、その場にだけスコールが降り注ぐ。
あかねはにーっこりと、見事に口元だけの笑みを浮かべた。
「あら、幼女を愛でる高尚な趣味をお持ちの友雅さん。おはようございます」
あかねがさっそく戦闘態勢に入ったのを見て取り、友雅も扇を口元に当てながら、静かに微笑む。
「これは女王様。今日もご機嫌麗しいようだね」
「ええ」
そして、二人はしばらく相手の出方をうかがうように沈黙する。だが、やはり先に口火を切ったのはあかねだった。
「ところで、今日も藤姫の所ですか? 近衛の中将様ともあろう人が、お仕事サボって、真っ昼間から幼女の尻を追っかけまわしてるなんて。せっかく救った京を、内側からつぶすような事、しないでくださいね」
「何、私は、もったいぶって隠しているが、実は有能だからね。常人の半分の時間で、十二分な仕事ができるのだよ。それより、私の藤姫が、花びらを装った毒牙にかからないように気をつけていなくてはならないからね」
「へえ、そうなんですか」
気のないそぶりで流そうとするあかねに、友雅はかすかに眉をあげる。
「…また、藤姫に何か余計なことを言ったろう?」
「あら、何のことです?」
「私と君は、隠し事をする仲ではないだろう。よしなし事を吹き込んで、私の白雪を汚すような真似はやめてほしいものだね」
あかねがくすりと笑う。
「それは、友雅さんしだいじゃありませんか? 知ってますよ。この間、また私の頼久さんにちょっかいかけたでしょう。まったく、頼久さんで遊んでいいのは私だけだって言ったじゃないですか」
「頼久は可愛いからねえ。姫につれなくされたりすると、ついかまいたくなってしまうのだよ。それこそ、君しだいだと思うが?」
「ははあ、そうきましたか」
「とにかく、藤姫にいろいろ吹き込むのはやめてくれたまえ。あの姫には、このまま清らかに、愛らしく、まっすぐ育ってほしいからね」
「だったら、友雅さんが側にいないほうがいいんじゃないですか?」
「何を言っているんだい。藤姫は、私を心から信頼しているんだよ? 私が側を離れたりしたら哀しむじゃないか。頼久こそ、君に出会わなければ、まっとうな女性とまっとうな人生が送れただろうにね」
「何を言っているんです。頼久さんは、それで幸せなんですよ。私が頼み事した時の、彼の嬉しそうな顔ったら」
「君の場合、頼み事じゃなくて、命令だろう」
「とにかく! ひとつ忘れないでください。藤姫は私のことが好きだけど、頼久さんは友雅さんが大っ嫌いなんです。その意味で、私のほうが有利なんですよ?」
あかねが勝ち誇ったように告げると、友雅の瞳に、一瞬悔しそうな色が走る。だが、すぐに元の余裕ありげな表情に戻って、逆にこう言った。
「確かにね。だが、それはこういう意味でもあるよね。頼久が本気で嫌がったり、怯えたりしている表情を堪能できるのは私だけだ、と」
今度は、あかねが思いっきり悔しそうな表情になる。だが、やはりすぐに立ち直って、微笑んだ。
「そんなもの。見ようと思えばいつでも見れますよ。なにせ私は、頼久さんのピーッ!からピーッ!まで知りつくしてるんですから」
あかねの過激な発言に、友雅がややひるむ。
「…そう。ああ、でも、私のほうが有利なこともあるよ。私の藤姫はまだ十。かわいらしい蕾が、私のために花開いていく様子を、私はつぶさに見ることができるのだからね」
「くっ…。…ああ、やだやだ。『私のために花開く』ですって。知ってます? そういうの、私の世界では『ヘンタイ』って言うんですよ?」
「ふうん。知ってるかい? 年頃の女性が、白昼堂々ピーッ とかピーッ とか口に出すのは『はしたない』と言うんだよ」
あかねがつん、とあごを反らす。
「別に構いません。頼久さんにさえ聞かれなきゃいいんです」
「なるほど。さすがの君も、頼久には知られたくないという訳だ。では、私が、今君が言ったことを頼久に告げたらどうなるかな?」
「ふふん。私を盲目的に信奉している頼久さんが、そんな事信じるワケないじゃないですか。そっちこそ、私が、今友雅さんが言ったことを藤姫に教えたらどうなるかしら?」
「ふふっ。あの清らかな姫に、こんな下賎な会話が理解できるはずないだろう? また分からない異国の言葉をしゃべってると思われるだけさ」
二人の間に沈黙がおりた。
「……ふふっ…、ふふふ……」
「…ふふふふふ……」
白々しい笑いを交わし、二人はくるりと背を向けると、互いに反対の方向に歩いていった。一方、その頃、藤姫の部屋では―――――。
「……あの、藤姫さま。あかね殿はいらっしゃいますか?」
庭から直接、藤姫の部屋にやって来た頼久が、藤姫と話していた。
「あら、頼久。あかね様ですか? いいえ、今日はいらしてませんけど」
「そうですか。部屋に伺ったらいらっしゃらなかったので、こちらかと思ったのですが」
「それでは、その内いらっしゃるかもしれませんね。外出はなさっておられないはずですし。あ、そうですわ。もう少ししたら、橘中将殿がいらっしゃいますから、お見かけしなかったか聞いてみましょう」
藤姫がにこにこ笑いながら言うと、頼久の表情がふっと沈んだ。
「友雅殿、ですか……」
「……? どうしたのです、頼久」
藤姫がきょとんとした顔になって尋ねる。
「あ…、い、いえ、何でも……」
「頼久。何でもないという顔ではありませんわ。良かったら、話してくださいな」
「…申し訳ありません。……いえ、あの、あかね殿のことなのですが、時々…、友雅殿とお話しているのを見かけるのです。そういう時のあかね殿は、私といる時よりも活き活きとなさっていて……。あちらはご身分も高くていらっしゃいますし…、もしかしたら、あかね殿には、友雅殿のほうがふさわしいのではないかと……」
「まあ、頼久」
藤姫が珍しく怒った表情になり、頼久を軽くにらんだ。
「何ということを言うのです。あかね様が、お役目を終えた後も、この京にとどまったのは誰のためだと思っているの? あかね様は本当にお前のことを大切に思っていらっしゃるのに……。そのあかね様の心を疑うのですか?」
「あ…っ、も、申し訳ありません」
頼久が恥じ入った表情になり、片手を床について頭を下げる。その様子を見て、藤姫はふわっと微笑んだ。
「まったく…、私の前でお前の事をお話しになる時のあかね様の顔を見せてあげたいですわ」
「え?」
「あかね様は、それはそれは幸せそうに、お前と出かけられた時の事や、お前と話された事を、私に話してくださいますのよ。うらやましいくらいですのに、そんな事を言っていては罰が当たりますわ」
「あかね殿が……」
彼女がどういう意味で幸せかも知らず、頼久は感動した。この身のある限り、誠心誠意お守りしようと、改めて誓い直し、頼久は立ち上がる。
「ありがとうございました。それでは、私は、あかね殿を探しに行って参ります」
「ええ。あ、頼久。あかね様にお会いしたら、またご一緒に貝合わせを致しましょうと伝えてくれますか?」
「はい、承りました」
頼久が足早に部屋を出て行く。その背を見送った後、藤姫は庭に目を向けた。
頼久は、すぐにあかね様を見つけて、お二人で出かけられるでしょう。そして、もう少ししたら友雅殿がいらして、私と共にこの庭を愛でてくださるでしょう。
「今日も、平和ですわね……」
藤姫は小さく呟いて、幸せそうに微笑んだ。
<了>
いやー、こういうの書くのは早いっす(汗)。
まあ、本人たちが幸せなら…ね?(^^;
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