「卯の花散らし」

               長都 勝美


 森村天真は苛立っていた。
 腹の中にドス黒いものが充満して、それを吐き出してしまいたいのだが、はけ口が見つからない。
 唯一の発散は、せいぜい頼久との剣の稽古なのだが、それも痛い目を見るだけで、かえって苛立ちは募るだけである。
 妹を助けられない事。
 頼久から一本も取れない事。
 運動神経には自信が有ったし、バスケもサッカーも機動力として認めてもらってたはずなのに、どう頑張っても頼久には良いようにあしらわれてしまう。
 こんな事なら剣道でも習っておけば良かったかと思うのだが、剣道と、本物の剣技でもかなりの違いがあるのだから、結局は叶わないのかと思うとそれがまた苛立ちを招く。
 我ながら余裕がない。
 内心で毒づきながら、天真は近場に在る木の幹を思いっきり蹴りつけた。その拍子にハラハラと葉が舞い落ちてくる。
 緑の葉と一緒に白いものが落ちてくるのに、天真は上を見た。白い小さな花が繁る葉に隠れるようについ ているのが見えた。
 もう一度、今度は先ほどより強く幹を蹴ってみる。
 「天真殿・・・・」  舞い落ちてくる葉の下で、天真は咎めるような声を背中に聞いた。振り向くと、藤姫が困ったような表情で渡殿に立っている。
 「そのように木を苛めるのはお止しくださいませ」
 天真はばつが悪そうに頭をかいた。
 「で、なんか用かよ」
 ぶっきらぼうな口調で、藤姫に向かって言った。
 「いえ。用は・・・・。ただ、天真殿が木を苛めていらっしゃるので・・・・、それで」
 藤姫は袖口を弄びながら、俯いて言った。
 天真のぶっきらぼうで怒った口調に、少女は怖がっているのかも知れない。
 言葉を見つけようとして、俯いたまま思案している様子の藤姫を見ながら、天真もまた困ったように溜息をついた。
 気まずい雰囲気が、昼下がりの土御門殿の中庭に充満した。
─俺が十歳の時って何してたかな─
 天真はふと思った。
 十歳と言えば、小学四年生か五年生だ。学校へ行って友達とボール遊びに熱中して、家に帰れば宿題をほったらかして、テレビアニメとゲームをしていた。時々、ジェニーちゃんだかリカちゃんだかの人形の服を作ったり、少女マンガを読んでいる妹の邪魔をワザとしたりもして、母親に叱られた。
 平凡で無邪気な毎日。
 難しい事と言えば、算数の計算式くらいだった。
 あかねや詩紋に聞いても同じような答えが返ってくるだろう。
 だが、天真の目線の先で俯いている少女は、十歳という年齢を感じさせない。が、時々、こんな風に年齢に似合った態度を見せる。
 妙な二面性だと、天真は思う。
 一族最後の一人という重責と、龍神とその神子を奉る役目柄の為なのか─────。
 大股で藤姫の近くまで歩くと、
 「悪い」
 と、短く言って、天真は藤姫の頭に手を置いた。
 絹糸のような髪の感触が、掌に心地よかった。
 「俺、口が悪いから。あんま気にすんなよ」
 「天真殿・・・・?」
 「さっきも頼久の奴にボコボコにされちまってさ。イライラしてたんだ」
 天真の言葉の意味が判らないのか、藤姫は小首を傾げていたが、おおよその意味は把握したのだろうか、小さな唇に笑みを浮かべた。
 「頼久は強うございますもの。でも、天真殿も充分にお強いと神子様から聞いております」
 「・・・・・そっか」
 天真は苦笑いを浮かべて言った。なんだかついでのように言われた気がしたからだった。藤姫に他意はないのは判っている。悪いのは卑屈になっている自分なのだと天真は自覚していた。
 「で、良いのか? どっか行くんじゃないのか?」
 天真は話題を変えた。藤姫の暮らす東の御殿から、この渡殿は随分と離れている。
 「御用はもう済みましたの。お父様に会いに行ってましたのよ」
 嬉しそうな笑みを浮かべて藤姫は言った。
 「何で、親子なのに別々に暮らすんだろな、こっちは。ま、一夫多妻ってのは、男にしちゃ嬉しいけどさ」
 「神子様にも同じ事を言われました。天真殿達のお世界と暮らしむきも違うのですわね」
 「メンドーだし、うざってぇ時もあるけどな」
 天真の言葉に藤姫は首を傾げた。今度は本当に意味が判らない様子である。その仕草がとても可愛らしくて、天真は思わず笑みを零した。
 「何ですの? 急に笑みなど?」
 「チビがあんまり可愛いからさ」
 天真は笑いながら、藤姫の頭をくしゃりと撫でた。
 「? ちび? わたくしはちびと言う名では」
 「で、これから何するんだ?」
 「え? えっと、これからは白虎の札の事を調べるのです」
 「チビのくせに頑張るよな、おめーさんも。あんま、無理すんじゃねぇぞ」
 再び、藤姫の頭をくしゃりとしてから、天真はその場を逃げるようにして去った。
 少しばかり乱れた髪を指で撫でつけて、去っていく天真の背中を見送りながら藤姫はふわりと微笑んだ。
 が、その微笑みがスっと消えた。
 「・・・・・くせ・・・・に?」
 そのままの姿勢で暫く気難しい顔をしていた藤姫だが、足早に自分の御殿へ向かった。


 「詩紋様、こちらの絵巻物など如何です?」
 藤姫付きの女房が、今日は邸に残っている詩紋に絵巻物を数巻渡している最中だった。
 こちらの字は難しくて、詩紋には読むのも一苦労だったが、慣れてくると面白くなり、今では藤姫が持っている絵巻物や書物を、暇があれば読み耽っていた。
 「あ、これはまだ見ていないや。そうだね、今日はこれにするよ」
 言って、絵巻物数巻を女房から受け取ると、パタパタと近づいてくる足音に、詩紋は顔を上げた。
 「詩紋殿っ!」
 御簾を上げて房に飛び込んできたのは藤姫である。小袿の襟を押さえながら、至極真面目な表情で詩紋を見上げた。ほんのりと赤みをさした頬は、足早にこちらまで歩いてきたせいだろうか? 
 「な、なに? 藤姫」
 少しばかり藤姫の気迫に驚いたものの、何時もの柔和な笑みを浮かべて詩紋は言った。
 「ちび・・・とはどういう意味でございますか?」
 「は?」
 「ですから、ちびとはどういう意味でございますの?」
 詩紋は明後日の方向を見つめた。
 僕も先輩にはさんざん言われたなぁ、チビって。
 と、内心で詩紋は呟いた。
 「天真先輩が言ったの?」
 敢えてそう聞いたのは、確認の為である。
 「そうですわ」
 「・・・・先輩ったら」
 「詩紋殿、教えて下さりませ」
 藤姫は意味を知るまで絶対に引き下がらないという決意に満ちた目で、詩紋を見上げていた。
 「チビってのは・・・・その、小さい子って意味だよ」
 「小さい子? 本当にそれだけでございますか?」
 「う〜ん。背の小さいとか、まだ幼い子供とか、とにかくそういう意味だよ。納得してくれたかな?」
 苦笑いを浮かべて詩紋は言った。
 「・・・・わたくしは幼い子ではありませぬのに」
 愛らしく頬を膨らませる藤姫に、詩紋は目を細めた。
 (これじゃ、天真先輩じゃなくても構いたくなるけど)
 と、内心で思った。
 こちらでは、幼い子と言うのは、本当に幼児の事を言うようであり、藤姫は自分をそのような年齢の童のように思われたのかと、それで気分を悪くしているのだろう。
 この後、天真が藤姫の事を、チビとかチビ姫とか呼ぶ声がし、その度に、
 「わたくしは、ちびという名前ではございませぬ」
と、藤姫の抗議する声が御殿のあちこちで聞かれるようになった。


<了>


「月光庭園」の長都勝美さまから、十万ヒットリクエストで頂きました。
長都さんの天藤! むきになる藤姫が可愛いです〜。シアワセ。
どこまでも大人げない天真もいい感じ(^^。本当にありがとうございました。

更に、おまけの四コマまでつけてくれました。こちらです。

 

                         [戻る]