彼と着物の関係
翠 はるか
天真とあかねと詩紋が京に来た日の事だった。
「天真くん、その格好どうしたの?」
あかねは、タンクトップに袴という何やら中途半端に着物を着た天真を見て、おもしろそうに尋ねた。
「ああ、ここじゃあ制服は目立つから着替えろって言われてさ。仕方ねえから、適当に着た」
「ふうん。そうなんだ」
現代人二人に対してはそれで済んだ。
だから、天真はずっとそれで通すつもりでいた。
大体、京というのは今も昔も盆地で暑苦しいし、よく動き回る天真は着物をきっかりと着るなんて、鬱陶しくてたまらなかったのだ。
かえって目立つと、頼久あたりに初対面から注意されていたのだが、彼はまったく聞き入れていなかった。
ところが、京で暮らす事になって二日目の事。
「おい、あかね」
「あ、天真くん」
朝の身支度をしていたあかねは、天真が入ってきたのを見て、にっこりと笑顔を浮かべた。
「おはよう、早いね」
「お前こそ。思ったより元気そうだな」
「まあ、落ち込んでても帰れないって分かったからね」
「そうか、あのさ……」
天真が、ふっと真面目な表情になる。
「俺はまだ状況を良く説明されてないんだよな。鬼とやらを倒せば、元の世界に帰れるって言うのは聞いたけどよ。お前はどうだ?」
「私はある程度説明してもらったけど。詳しい事は藤姫に聞くのが一番なんじゃないかなあ」
「藤姫…。あのちびっ子だっけか?」
「あれ、天真くん、まだ藤姫とはちゃんと会ってないの?」
「昨日の今日だぜ。お前のところには来たかもしれねーけどよ」
「そっか。でも、藤姫はしっかりしてていい子だよ。今のとこ、彼女に頼るしかないしね」
「そうか…。んじゃ、ちょっと色々と聞いてくるよ。早くここにも慣れないといけないしな」
「うん。何か分かったら、私にも教えてね」
「ああ」
天真は頷きを返しながら、あかねの部屋を出て行った。そして、そのまま藤姫の部屋に向かう。
「藤姫、ちょっといいか?」
天真が藤姫の部屋を覗き込むと、彼女は奥の御簾の向こうにいた。
「あら、森村天真様…でしたわね」
「様付けなんかいらねえよ。それより、聞きたい事があるんだ。入るぜ」
「え……」
藤姫が戸惑ったような声で呟く。
だが、現代の感覚で生きている天真は、遠慮なくつかつかと部屋の中に入っていくと、ばさりと御簾をめくり上げた。
(注:大貴族のお姫様は、直接人に顔を見せず、御簾越しにしか話をしません)
そこに座っていた藤姫が驚いた表情で天真を見る。そして、次の瞬間、
「きゃああああああああああーーーーーーーっっっ!!!!!」
耳をつんざくような悲鳴が、あたりの空間を揺るがした。
「………っっ」
近くにいた天真は、きんきんと痛む鼓膜を押さえるように両手で耳を塞いだ。
「いやあああああっっ!!」
藤姫は更に悲鳴をあげ、部屋の奥のほうに這って行くと、几帳の帷子に顔を埋めた。
「は、裸の殿方が私の部屋に…っ!」
(注:この時代、薄手のタンクトップに冠もかぶってないなんて、裸と同じです)
天真が訳が分からないという顔で藤姫を見る。
「裸あ? 何言ってんだよ、俺はちゃんと……」
天真が藤姫に近づいていこうとすると、藤姫は恐怖に顔を引きつらせた。
「きゃああああ!!! お許しくださいませ。私はまだ裳儀を済ませたばかりですの、早過ぎますわっ! まだ文も交わしておりませんし、お父様にお許しも頂いておりませんのにっ!」
「な、何言ってんだよ……」
戸惑う天真を尻目に、藤姫はぐすぐすと泣き出した。
「そうですわ……。まだ文すらも交わしておりませぬのに…、裸の殿方と二人きりに…! 私はふしだらな娘ですわ、お母様ごめんなさいませ。うっうっうっ」
そのまま、本格的に泣き始める。天真が完全に混乱して、その場に立ち尽くしていると、廊下からばたばたと足音が聞こえてきた。
「藤姫様、いかがなさいましたか!?」
頼久が血相を変えて飛び込んできた。その声を聞いて、藤姫が顔を上げる。
「頼久っ!」
「藤姫様っ。…天真? これは、どうした事だ」
頼久が泣いている藤姫とその前に立っている天真を見比べて、厳しい表情で尋ねる。
「い、いや、俺にもよく……」
天真が首を傾げていると、藤姫が叫んだ。
「天真殿が私に夜這いを…っ! まだ昼間ですのに!」
「な、なん…っ! 天真、お前…!!」
「ちょっと待った! 誰が夜這いだって!?」
「だ、だって、そのような格好で……」
天真が自分の着物を見下ろす。
「あ? これのどこが悪いんだよ。大体、お前みたいな子供を本気でどうこうできるはずないだろ」
「で、では、お戯れに私を!? そんなっ!」
「あのなっ」
さすがに怒りが湧いてきた天真が藤姫の腕を掴もうとすると、藤姫は泣き叫びながら、几帳にぎゅうっと抱きついた。
「きゃあああ! 頼久も見ていますのにっ。ひどうございますわ!」
「やめろ、天真! 藤姫様から離れろ」
頼久はそう叫ぶと、天真を押しのけて、藤姫を自身の身体でかばった。
「頼久、俺は別に……」
天真が言いかけると、頼久は厳しい眼差しで天真を見返した。
「状況は大体わかった。だが、やはり、お前が全面的に悪い」
「あ? なんでだよ!?」
「私が昨日注意しただろう。そんなだらしない着方をするなと」
「この格好で会うと、夜這いになるのか? 冗談じゃない、どこがいけないんだよ」
「うえええええんん!!」
藤姫の泣き声がますます激しくなる。天真はくらくらする頭を押さえた後、声を限りにして叫んだ。
「分かった、着るよ! 着ますよ! 着りゃあいいんだろ!!」
腰のあたりに下ろしていた上着に腕を通し、半ばヤケになって、これでもかというほど襟を締め、帯を固く結ぶ。
「ほら、これでいいだろ」
藤姫がちらりと天真を見上げた。
「は、はい…。けれど、こうなってしまっては、私お嫁に行けませぬわ。私には、星の一族を絶やさぬという使命もありますのに。うっうっ、お母様……」
「藤姫様……」
頼久が泣き伏す藤姫を悲しげな表情で見つめた後、きっと天真を睨んだ。
「天真…、そなた、よくも藤姫様を傷ものにっ!」
「あ、あのなあ…」
天真は盛大にため息をついた。
……本当に、とんでもないところに来ちまったぜ……。
それ以来、天真は大人しく京の風習には従う事にしたのだった。
<了>01.6.19up.
馬鹿だ…(^^;。
でも、庭にも出た事のない箱入り娘の藤姫ちゃんには、天真の格好は、うちらが露出狂に
出くわしたような衝撃があるんじゃないかと、ふと思いまして(^^;ゞ。
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