本葉

        翠 はるか


 

 「……ふう」
 よく晴れたある朝。あかねは部屋で、ぼんやりと寝そべっていた。
 今回捜す予定の札の場所は、もう分かっている。後は、藤姫が占ってくれた日にそこへ行くだけ。今日は、とくに予定もない。
 いや、怨霊退治や力の具現化、やるべきことはあるのだが、連日の闘いの疲れか、そういう気分になれなかった。
 「こんなことじゃ、ダメだよね。こうしてても、退屈なだけだし。でも…」
 あかねは、うーん、と眉根を寄せて考え込んだ後、勢いよく起き上がった。
 「よーし、今日は心を休める日ってことにしちゃお、決めた」
 あかねは、着崩れた着物を直し、部屋の外の様子を窺った。
 よし…、誰もいない。藤姫も、頼久さんもいないわね。今の内に……。
 辺りを見まわしながら、あかねは、こっそりと屋敷を抜け出した。
 一人で出かけることが危険なのは分かってる。だが、今日だけは、神子とか八葉とか全部忘れてのんびりしたかった。
 「ごめんね。藤姫」
 今日だけ、自分のために時間を使わせて。

 「…へえ。これがこの時代の市かあ」
 あかねは西市に来ていた。天真が、以前、武士団の人たちと遊びに行ったことを聞いて、自分も一度、来てみたかったのだ。
 たくさんの露店のようなものが並んでいる。売っているものは、布、米、海産物などさまざまである。
 「ふーん、やっぱり現代のものとは違うなあ。あ、あの布きれい」
 あかねはうきうきしてきた。お金は持たないので、買うことはできないが、こうして色々なものを見て回ってるだけで、充分に楽しい。心の中の鬱屈も抜けていく気がする。
 「んー、でも、やっぱりアクセサリーみたいなものって、あんまりないなあ。まあ、生活に必要な物とかを売るところだもんね」
 市には、色々な物もあったが、色々な人も来ていた。農民に武士、どこかの女房や貴族までいる。
 それぞれ、持ってきた布を米と交換したり、その逆だったり。
 「こうして、みんな暮らしてるんだ。…うーん。なんか、みんな…」
 はしゃいでいて気付かなかったが、改めて見てみると、多くの者が表情にどことなく陰りがあった。いさかう声もちらほらと聞こえてくる。
 あかねは、胸の前で、ぎゅっと手を握り締めた。
 やっぱり、鬼の一族が原因なのかな。怨霊に襲われたり、穢れのせいで、作物の育ちが悪かったり、そういう例が、京のあちこちで起きてるって、藤姫が言ってた。
 戦うしか…ないのかな。私が龍神の神子だってこと、まだ馴染めないけど、でも……、こんなのは、嫌だ。
 こっちの世界に来るまでは、ほとんど感じることのなかった貧困や死。それが、当たり前にあるなんていうのは嫌だ。
 何とかしたい。皆は、そのための力が私にはあるという。でも、本当にあるんだろうか。
 五行の力を使って、怨霊を祓っても、しばらくすれば復活してしまう。お札を手に入れても目に見えた変化があるわけではない。
 本当に、「龍神の神子」は京を救える存在なのだろうか。
 そこまで考えて、あかねはふと気付いた。
 今日は息抜きに来たはずだった。神子とか鬼とか全部忘れるはずだった。なのに、いつのまにか考えてしまってる。何とかなる、と割り切って考えることができない。
 もう、これは私自身の問題になってしまってるんだなあ。
 あかねは、小さく微笑んだ。


 あかねの前に、突然人影が立ちはだかったのは、それから三十分ほど経ってからだった。
 ぼんやりと、俯き加減に歩いていたあかねは、目の前がかげったのに気付いて顔を上げる。そこには、人相の悪い男が、数人立っていた。
 あかねは、はっとして辺りを見まわした。いつのまにか市を抜け、人通りのない通りに入りこんでしまっていた。
 しまった。
 あかねは緊張した面持ちで、男たちをまっすぐに見た。
 「何かご用ですか?」
 とたんに、どっと笑いがおこる。
 「気が強い娘だな。変わった服を着ているが、どこから来た?」
 「…私、急いでるんです」
 あかねは踵を返して走り出そうとした。だが、いつのまにか男達があかねの背後にも回りこんでいて、あかねの行く手を阻んだ。
 「逃げることないじゃないか」
 男たちがじりじりと近づいてくる。明らかに、不穏な眼差しで。
 どうしよう。あかねが逸る心臓を必死になだめながら、逃げ道を探していると、後ろから聞き覚えのある声が割り込んできた。
 「神子殿!」
 え?
 まさかと思いつつ、振り返ると、頼久が抜刀しつつ、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。
 ど、どうして……。
 思いも寄らない人物の登場に、あかねが戸惑っていると、頼久は、その間に男たちを二、三人刀のみねで叩き伏せ、あかねを背後にかばった。
 「下がれ、下郎! この方に触れることは許さぬ!!」
 苛烈な声で叫ぶ。その迫力と、既に見せた剣技の腕に、男たちは怯んで、あっという間に逃げ出していった。
 最後の一人が見えなくなったのを見届けると、頼久はようやく息をついて、刀を鞘に戻した。
 「大丈夫ですか、神子殿?」
 「…あ、はい! …大丈夫です。ありがとうございました」
 あかねが答えると、頼久は済まなさそうな表情になり、突然、跪いて頭を下げた。
 「よ、頼久さん……?」
 「助けが遅れて申し訳ありません。神子殿に、一瞬でも不安な思いをさせ申したのは、この頼久の不徳。お詫びの言葉もございません」
 そのまま、土下座でもしそうな勢いに、あかねは慌てて、自分もかがみ込み、頼久の顔を上げさせた。
 「やめてください。私、助けてもらったのに。感謝しなくちゃいけないのに、謝られたりしたら、私のほうが申し訳ないです」
 「ですが……」
 あかねは、強く首を横に振った。
 「いいえ。守ってくれた人にこんな事させるなんて、そのほうが私は辛いです。お願いですから、立ってください」
 その言葉に頼久は微笑み、あかねと共に立ち上がった。
 「ありがとうございます、神子殿」どうして、この二人ってこんなに「青い春」って言葉が似合うんだろう…
 「お礼を言うのは私のほうですってば。本当に頼久さんが来てくれなかったら――――」
 言いかけて、あかねは、さっきからずっと疑問に思っていたことを思い出した。
 「そういえば、頼久さん。どうして、ここにいるんですか?」
 偶然居合わせた、とは思えない。第一、この時間、頼久には仕事があるはず。
 頼久は、少し困ったような表情を浮かべた。
 「その…、申し訳ありません。神子殿が屋敷を出られるのを見かけて、後を……」
 「え? もしかして、ずっとついて来てたんですか?」
 あかねが、驚いて問い返すと、頼久は、ますます困ったような表情になった。
 「…はい。お一人で出歩かれるのは、危険ですので」
 「そうだったんですか」
 それで、あんなに都合よく現れたわけだ。あかねは納得し、同時に新たな疑問を覚えた。
 「あれ? でも、気付いてたなら、どうして声をかけなかったんですか?」
 頼久は、普段あかねと出歩く時は、絶対に側を離れない。それが、私的な用事の時でもだ。あかねが万一にも傷つくことのないよう、万全の体制をとってくれる。
 それなのに、どうして今日に限って、こっそりと物陰から見守る、なんて方法を取ったのだろう。
 「それは……」
 頼久は、しばらく沈黙した後、歯切れの悪い口調で答えた。
 「神子殿が、楽しそうにしておられたので……」
 「え?」
 どういうことだろうと思ってると、頼久は、さらに言葉を付け加えた。
 「神子殿は、屋敷を出られる時、とても楽しそうな表情をされていました。および止めしてお邪魔したくはなかったのです」
 あかねは、キョトンとして、それから、まじまじと頼久を見つめた。
 「…頼久さん、何だか変わりましたね」
 「え?」
 今度は、頼久が驚く番だった。
 「変わった? 私がですか?」
 「ええ」
 あかねが頷く。
 「それって、私の『心』を気遣ってくれたんですよね。初めて会った時は、そういう気遣いをしてくれる人じゃなかったっていうか、いや、その……私の安全が第一だと言って、絶対に一人歩きなんてさせてくれなかったでしょう?」
 その言葉に、頼久は虚を突かれた。
 確かにその通りだった。
 頼久の使命は、あかねを何者からも守ること。それを思えば、今日の自分の行動は、決して最善のものではない。あかねを呼び止めて、止めるか供をするかすべきだったのだ。現に、あかねに気付かれないよう、距離を取っていたせいで、あかねにごろつきが接近するのを許してしまった。
 だが、頼久はそうしたくなかった。
 あかねの楽しそうな顔。それを見るのは久しぶりだったから。
 ここ数日のあかねは、どこか塞いでいた。人前では、明るく振る舞っていたけれど、元が明るすぎるくらい明るい方だったから、頼久はその変化に気付いた。
 気付いたけれども、かけるべき言葉も、取るべき行動も、頼久は知らなかった。
 あかねが元気をなくしているのを、ただもどかしく見ているしかできない。
 その矢先の出来事だったのだ。
 壊したくなかった。
 不用意に声をかけて、せっかくのあかねの笑顔を消してしまいたくなかった。
 だから、自分は、あかねに声をかけることをしなかった。
 頼久は、それに気付いて、狼狽した。
 これは、明らかに「主を守るのが勤め」という言葉の範囲外の事だ。
 何故? と頼久は自分に問うた。
 何故、自分は、こんなにもあかねの笑顔が消えてしまうことを恐れたのだろう。
 答えは、出なかった。

 「…あの、頼久さん? 私、何か悪いこと言いました?」
 ちょっと、言葉が悪かったかなあ。
 押し黙ってしまった頼久を、あかねは不安げに見つめた。
 傷つけてしまったかな? 変わったと思ったのは本当だけど、もう少し、言い方があったかもしれない。
 そんなあかねの視線に気付き、頼久は、はっと顔を上げた。
 「失礼致しました。私事ですので、お気になさらず」
 そう言った顔は、もういつもの顔に戻っている。
 「でも……」
 「いえ、本当に。それより、そろそろお戻りになられますか?」
 言われて、あかねは思わず、市の方を振り返った。
 結局、考え事をしていたせいで、ほとんど見てまわれなかった。でも……。
 「そうですね。黙って、出てきちゃったし、もう帰ったほうがいいですよね」
 まだ見てみたい物があったんだけど、仕方ないか。
 名残惜しげに、市の方を見るあかねの様子に、頼久は微笑んだ。
 「もう少し、市を見て回られますか?」
 「え? いいんですか?」
 予想していなかった応えに、あかねは驚いて振り返った。そして、頼久が柔らかな微笑みを浮かべているのを見て、更に驚く。
 「ええ。神子殿がお望みでしたら、その通りにいたします。私でよろしければ、案内させていただきますが」
 「あ、ありがとうございます……」
 びっくりした……。なんだ、頼久さん、こんな表情もできるんじゃない。
 あかねは、何だか嬉しくなった。
 「それじゃ――――。 あ、でも」
 申し出を受けようとして、あかねはひとつの事実に思い当たった。
 「あの……、勝手に抜け出しておいて、今更なんですけど、あんまり遅くなったら、藤姫が心配するんじゃないかなあ」
 怒られるんだったら構わない。でも、あの心配性の少女は、あかねが抜け出したことを知れば、ひたすらあかねの身を案じ続けるだろう。まだ、十歳の彼女に、あまり心配をかけたくない。とりあえず、鬱々とした気分だけは落ち着いたし。
 「ああ。その事でしたら、大丈夫だと思います」
 「え?」
 あかねは、頼久を見返した。
 「私は、出て来る時に、近くにいた武士団の者に、神子殿のお供をしてくると言ってきましたから。藤姫様には、その者が伝えておいてくれるでしょう」
 「あ、そうなんですか」
 なら、良かった。あかねは、安堵の息をついた。
 「それじゃ、案内をお願いしますね。頼久さん」
 まあ、今日はもう、市なんかより珍しいものを見ちゃったけどね。
 あかねは、頼久の腕を引いて、市の方へ駆け出した。
 久しぶりに、何のわだかまりもない、心からの笑みを浮かべて。


                                     <了>


  「まあ、一つくらいそういうのがないとね」 ということで、真面目に書いてみました。
  「本葉」というのは、芽が出て、双葉になって、本葉が出たくらいの段階かなあ。ということで。

  なかなか、楽しく書けました。
  頼久くんが、剣を抜いて助けに来るシーンなんか、こんな格好いい頼久を書くのは初めてなので、
 何だかドキドキしてしまいました(^^;。

 

 

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