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        花の色

           翠 はるか


 

 藤姫は、今日も朝から、それを見つめていた。
 それを見ていると、張り詰めた心が少し和らいで、自然と微笑が浮かんでくる。
 小さな小さな青い花。
 ――――― 今日も、精一杯、神子様のために頑張ります。
 藤姫は、小さな手を合わせて、その花に祈りを捧げると、立ち上がって、あかねの部屋へと向かっていった。

 その数日後。あかねは出かける準備をしていた。今日もやることは色々とある。手早く支度をしていると、いつものように藤姫がやって来た。
 「おはようございます、神子様」
 おはよう、と言いかけて、あかねは藤姫の表情が沈んでいるのに気付いた。
 「……どうしたの、藤姫?」
 そう聞かれて、藤姫は、え? というようにあかねを見た。
 「何がですか?」
 「何だか元気ないよ。何か、良くないことでもあったの?」
 「えっ、そ、そんなことは……」
 藤姫が、目に見えてうろたえる。
 これは何かあったに違いない。あかねは表情を改めた。
 「何があったの? 鬼が、また何かしてきたの? 教えて、藤姫」
 「ち、違うんです……」
 藤姫がしゅん、と俯いて、胸の前で両手を握り締めた。
 「神子様に、ご心配をおかけするなんて、私が至りませんでした。申し訳ありません。鬼には関係無いのです。神子様がお心を乱されることではありませんから……、どうか、お気になさらないでください」
 「でも………」
 いいえ、と藤姫が首を横に振る。
 「本当に何でも無いのです。どうか、私などのことより、神子様ご自身のこと、京の事をお心にかけられてくださいませ。
 ―――― では、神子様。今日はどうなさいますか?」
 きっぱりと言い切った藤姫に、あかねはそれ以上の追及を諦めた。
 この少女が、年齢に似合わず頑固なのは、良く知っている。何を聞いても、もう答えてくれないだろう。
 でも、気になるなあ。
 あかねは内心、首を傾げた。
 ここ数日の藤姫は、何だか非常にうれしそうだった。いつも、にこにこと微笑んでいて、何か良いことがあったのかと聞くと、『何でもありませんわ』と、やはりにっこりと答えた。それが、どうして急にこうなるんだろう。
 あかねは、考え考え、言葉を発した。
 「そうだね……、今日は、洛東の方の怨霊を祓いに行こうかな。あ、でも、支度がまだなんだ。もう少し、待っててくれる?」
 「分かりました。では、ここで控えさせていただきますわ」
 藤姫が、少し離れたところに、ちょこんと座る。その表情は、もう普段通りになっていたが、彼女は、何だかそわそわしているようだった。膝の上に置かれた指が、時々、もじもじと動くのだ。
 「………ねえ、藤姫」
 少しして、あかねは彼女に声をかけた。
 「……え? は、はいっ、お仕度が済んだのですか?」
 「ううん。ごめん、まだなんだ。
 あのね、藤姫。もう自分の部屋に戻っていいよ」
 「えっ?」
 藤姫がキョトンとする。
 「八葉の人たちは、女房さんに呼んでもらうから。藤姫にも、やることいっぱいあるんでしょ?」
 「でも………」
 「大丈夫だって。後のことは、自分で出来るから。もう行って。ね?」
 「そ、そうですか……?」
 藤姫はしばらくためらった後、立ち上がった。
 「神子様がそうおっしゃってくださるのでしたら、私は、これで失礼いたします」
 「うん。それじゃ、また後でね」
 「はい、神子様」
 藤姫は、あかねにぺこりとおじぎをすると、足早にあかねの部屋を出て行った。
 それを見送ったあかねの目が、すっと細められる。
 やっぱり、おかしい。深窓の令嬢である藤姫が、あんな風に足音を立てて歩くなんて!
 あかねは廊下に出ると、そおっと藤姫の後をついていった。


 そんな事とは知らない藤姫は、祈るような思いで自室へと向かっていた。
 どうか、まだ……、無事でいますように。
 あかねの部屋から自分の部屋までの、ほんの短い廊下が、異様に長く感じる。最後は、半ば駆け出すようにして、藤姫は自室へと飛び込んだ。
 「ああ―――――」
 文机の上に目を向けた藤姫は、哀しげな声を上げた。そこに置いてある陶器の壷――――その中に生けられていた花は、すっかりしおれてしまっていた。
 藤姫は肩を落として、文机の前に座り込んだ。
 数日前、天真がくれた花。
 まめに世話をしていたのだが、夕べ、とうとうしおれ始めてしまった。
 まだ、花も茎も枯れてはいないが、これはもうもたないだろう。
 藤姫は哀しげな表情で、しばらくしおれた花を見つめた後、ふるふると首を振った。
 いけない。いつまでも、落ち込んでいては。こんなことだから、神子様にもご心配をおかけしてしまう。もっと、しっかりしなくては。
 『お前は、頑張りすぎだよ』
 その時、ふっと彼の声が心に浮かんだ。
 『もっと、肩の力抜けって。でないと、お前が先に参っちまうぞ』
 でも…、でも……、私は亡きお母様に誓ったのだもの。最後の星の一族として、立派に務めを果たすと。だから、のんびりなどしていられない。だから……。
 「藤姫」
 思考の淵に沈んでいた藤姫は、突如、後ろから声をかけられて、飛び上がらんばかりに驚いた。
 「…み、みみ…神子様っ!?」
 慌てて振り返ると、あかねが部屋の入り口に立って、こちらを見ている。どうしたことかと思っていると、あかねはぺろっと舌を出した。
 「ごめんね。様子がおかしかったから、ついてきちゃった」
 そう言って、呆然としている藤姫の隣に行って、同じように座り込む。
 「かわいい花だね。この花が原因なの?」
 藤姫は、いよいよ、しゅーんとしてしまった。
 「……申し訳ありません。このようなことで、神子様のお心を……」
 「もうっ、藤姫ってばっ」
 あかねは笑って、藤姫の謝罪を遮った。
 「別に、鬼と関係ない事だっていいんだよ。何か悩みがあるなら言ってほしいな。それとも、私ってそんなに頼りない?」
 「……とっ、とんでもないですわっ。神子様は、本当に素晴らしい方だと――――」
 「それじゃ、話してほしいな。藤姫がそんな顔してるの、私、嫌なんだもん」
 「……神子様」
 藤姫はじっとあかねを見つめた後、しおれた花に目を向けた。
 「……あのお花、天真殿に頂いたのです」
 「天真くんに?」
 意外な答えに、あかねは軽く目を見開いた。
 「はい。私を気遣って、摘んできてくださったのです」
 そう言って、藤姫はかすかにはにかんだ表情になった。
 「天真殿は、私に『充分頑張っている』と言ってくださいました。それから『もっと、楽にしたほうがいい』と。私、天真殿の優しさが嬉しくて……。この花を見ていると、元気になれるのです。でも、夕べからしおれてきてしまって……」
 「お花と一緒に、藤姫もしおれちゃったんだね」
 あかねは、藤姫から花に視線を移した。
 天真くんてば、いつの間に。藤姫のことも気にかけてたんだ。それにしても、こんなに元気をなくしちゃうなんて、藤姫はよっぽど嬉しかったんだなあ。うーん、何かいい方法は……。
 あかねはしばらく考え込んだ後、ぽんと手を打った。
 「そうだ! ドライフラワーにしちゃうっていうのはどうかな?」
 「どらいふらわぁ?」
 藤姫がキョトンとした瞳で、あかねを見る。
 「あ、えーとね。お花の水分を抜いて、腐らないようにするの。色合いとかは変わっちゃうけど、長く飾っておけるよ」
 「本当ですか!?」
 藤姫の表情が、ぱあっと明るくなる。
 「うん。私は作った事無いけど、詩紋くんなら、多分、できるよ。頼んでみるね」
 「はい! ありがとうございます、神子様!」
 「それじゃ、この花借りていくね。ちょっと、時間がかかると思うけど」
 「はい、お待ちしています」
 元気を取り戻した藤姫の笑顔に、あかねは微笑みを返すと、花瓶を持って、小走りに部屋を出て行った。


 「ふ・じ・ひ・めっ♪」
 数日して、あかねは詩紋と共に、藤姫の部屋を訪れた。
 「まあ、神子様。わざわざおいで頂くなんて―――――」
 書物を読んでいた藤姫は、思いがけない来訪者に、慌てて顔を上げた。
 「いーの、いーの。例の物が出来たから、一刻も早く渡したかったんだ。詩紋くん」
 あかねが詩紋を振り返る。詩紋は頷いて、手に持っていた花瓶を藤姫に差し出した。
 「あ――――」
 それは、あの花だった。あかねが言った通り、少し色彩は色褪せていたけれど、花びらも茎も、元のようにぴんとしている。
 「まあ。本当に元気になったのですね」
 藤姫がおずおずと手を差し出す。詩紋は、その手に花瓶を持たせてから、にっこりと微笑んだ。
 「これで、枯れることはないよ。でも、水分を抜いた分、脆くなってるから、間違って花瓶を倒したりしないよう気をつけてね」
 「はい! はい…、詩紋殿」
 藤姫が、手渡された花瓶を胸に抱きしめる。
 「大切にいたします。本当にありがとうございました。詩紋殿、神子様」
 深々とおじぎをして、藤姫は嬉しそうに花を見つめた後、それを文机の上に置いた。しかし、倒してはいけないという詩紋の言葉を思い出し、もっと、安全な置き場所はないかと、部屋の中をきょろきょろと見回した。
 その様子を見ていた詩紋が、小さく微笑んで、小声であかねに話しかけた。
 「なんだか……、可愛いね、藤姫」
 あかねは頷いて、その言葉に同意を示した。
 今の藤姫の喜びようは、「はしゃいでいる」といってもいいくらいだった。
 普段の大人びた雰囲気は、すっかり消えてしまっている。普通の十歳の少女の顔だ。満面に浮かべられた笑顔が、本当に愛らしい。
 でも……、本当は、今の様子が普通であるべきなんだよね。
 あかねは、軽く肩をすくめると、詩紋を見た。
 「それじゃ、行こっか。一人でゆっくりさせてあげよう」
 「うん、そうだね。でも、こんなに喜んでくれるなんて、僕も嬉しいな」
 「ふふ。詩紋くん、本当に器用だよね。あんなにきれいに仕上がるなんて思わなかったよ。ありがとう」
 「ううん。また、いつでも言ってよ」
 二人は小声で話しながら、静かに出て行った。それにも気付かず、藤姫は小首を傾げて、花瓶の置き場所を思案していた。


<了>



         ほんとに、一行も、天真が出てない………。
         あ、でも、次は出ますから。(って、まだ書きつづけるつもりか^^;)
         それにしても、姫はやはり可愛い♪

 

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