黄水仙  ― 愛にこたえて ―

 ミラーは次の授業へ向かう途中、庭に差し掛かり、足を止めた。
 シンフォニア高位魔法学校は世界一を名乗るだけあり魔法施設も充実しているが、庭の造詣も見事だ。一年を通じて様々な花が咲き、訪れる者にひと時の安らぎをもたらす。
 ミラーも自覚していなかったが疲れていたのだろう、心が和らぐのを感じた。
 そのまま、少し庭を楽しんでいくことにしたミラーだったが、池の近くまで来たところで足を止める。
 池のほとりに黄水仙が咲いていた。
 (あの花は確か―――)
 普段は、その自然の配色に目を楽しませることはあっても、足元に咲く花に気を取られるようなことはないのだが、ミラーはその黄水仙を手に取った。
 以前、ある令嬢からラブレターと共にこの花を渡されたことがある。花言葉が書かれたカードを添えて。
 普段のミラーには花言葉など無縁のものだ。花言葉に心を託して花を贈ることなどしないし、そうしてもいいと思える唯一の人は、その手のことに疎い。
 つまり、ミラーにとっては無駄な知識に分類されるのだが、その花言葉は特別に印象に残っていた。
 「いじましいな、我ながら」
 自嘲交じりの笑みが浮かぶ。だが、それでも諦める気はなかった。ようやくここまできたのだから。
 ミラーは顔を上げ、辺りを見回した。庭は、彼女の限られた行動範囲のひとつ。待っていたら、会えないだろうか。
 「……そう、うまくいくはずもないか」
 しばらく待ったが、目当ての人物が現れる様子はない。諦めて教室へ行こうとしたとき、見慣れた栗色の髪が視界の端に映った。
 ミラーの目が彼女に釘付けになる。
 アリシア=ヒルデガルド。
 魔法の国にあって、まったく魔力を持たないプリンセス。
 そのため、慣例に従い、生涯公私に渡って自分を守る従者を見つけるため、この学校へ来ている。
 焦がれてやまない、ミラーの高嶺の君。
 ミラーが見つめていると、彼女も彼に気付いた。
 「あら、ミラー。ごきげんよう」
 「…やあ、暇そうだね」
 恒例の軽い嫌味の応酬を交わしながら、アリシアはミラーの側まで来る。更に嫌味を言おうとしたのか口を開きかけたが、ミラーが手にしていた花を目ざとく見つけ、きょとんとした顔になる。
 「なに、花? 水仙よね、それって」
 「あ、ああ―――」
 ミラーは咄嗟に黄水仙を彼女の視界から隠した。彼女にその花を見られるのが、まるで己の心を透かし見られるようだった。
 「へえ、よく知っていたね。花より実が好きな君が」
 「ふん。…ああ、水仙の花言葉は『うぬぼれ』っていうもんね。あんたにぴったり」
 アリシアがくすくすと笑う。ミラーはほっと安堵の息を漏らした。
 彼女が言ったのは、口紅水仙の花言葉だ。
 水仙の花言葉としてはもっとも知れ渡っているようだから、彼女がそう勘違いしているのも無理はない。ミラーも、件のカードを渡されていなければ知らなかった。
 黄水仙の花言葉は―――。
 「そうだね。僕によく合っている」
 ミラーが肯定すると、アリシアはきょとんとした目で彼を見た。何か言い返されると思っていたのだろう。
 ミラーは黄水仙をアリシアに差し出した。
 「やるよ」
 「えっ、私に?」
 「曲がりなりにも女だからな。僕が持っているよりいいだろう」
 我ながら程度の低い言葉だと思った。きっと彼女は反発してくるだろう。
 そう思っていると、思ったとおりに彼女が棘のある笑顔を作る。
 「あらあ、そんな事ないわよ。あんた、きれ〜いな顔してるから、花もすごく似合ってるわ」
 「ああ、そうだね」
 ミラーも綺麗な作り笑いを浮かべる。
 本当はただ受け取ってほしいだけなのに、彼女とはこんな風にしかできない。
 「だけど、残念ながら君と違って授業があるから、持っていられないんだ。だからやるよ」
 半ば押し付けるように、アリシアに花を渡すと、ミラーは彼女に背を向けた。
 「ちょっとミラー!」
 背後で彼女が不満の声を上げたが、その声に追いつかれないよう、ミラーは歩調を速めた。
 「馬鹿!」
 その一声を最後に、アリシアの罵声が途絶える。しばらくして振り返ると、アリシアは図書館のほうへ向かっていた。
 ミラーに負けない早足。不満が残っているためか肩をいからせて歩いている。王族とは思えない落ち着きのない様子だ。公式の場では彼女もそれらしくしているが、身分を隠して滞在しているこの学園では、すっかり地が出ている。
 子どもの頃に戻ったみたいだ。
 思わず状況を忘れて、ミラーは微笑んだ。だが、その笑みはすぐに真摯な表情にかき消された。
 ―――いや、違う。僕は変わった。変わったはずだ。
 己の身分と無力さを噛みしめたあの頃から、ずっとそれだけを考えてきたのだから。
 ミラーはもう一度アリシアの後ろ姿を見つめた。
 彼女は振り返らない。
 背中をいくら見つめても、前だけを見ている彼女の瞳には映らない。
 必ず追い越して、認めさせて、あの視界に入る。
 だから、いつか。
 ミラーの視界の端で、黄水仙が風に揺らいだ。


―― 了 ――

魔法使いとご主人様から。
ミラーって跪かせたくなるタイプですな(笑)。

 

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