エクレール・フォルト内の作戦司令室は、重い空気に包まれていた。
オーク巨樹により、巴里が滅ぼされかけ、自分たちもその巨樹から逃れているという状況では明るくなりようもないが、何よりの原因は花組隊員たちにある。
ノートルダム寺院の前で、サリュによって明かされた事実。そして、その手の甲に浮かび上がったパリシィの紋章。それは、彼女たちの心に太古の記憶を甦らせ、彼女たちの戦意を奪っていた。ロベリアも同様だ。激しい怒りと苦しみが胸の中に渦巻き、巴里への憎しみしか見えない。
それは血の呪い。
血に宿ったパリシィの意志は、サリュの言葉によって彼女たちの中に甦り、彼女たちを苦しめる。呪われた血は体内を巡り、滅びの記憶が、まるで己が身に起こった事のように脳裏に焼きつく。
この恨み、忘れはせぬ…。この苦しみ、嘆き、必ずお前たちに返してくれよう。
脳裏で、無残に殺されていったパリシィの声が聞こえる。
それは、決して消えないパリシィの叫び。
焦げた匂いが、辺りにたちこめている。
いまだ炎をあげ、燃え続けている町。否、かつて町だったもの。自然を愛し、戦いと無縁の生活を送ってきた彼らには、突然のローマ人たちの侵略を防ぐことなどできなかった。
数日を待たずに、男は殺しつくされ、女子供は兵たちのなぐさみ者にされるか、奴隷として売られた。
緑あふれる町は、一瞬にして焦土と化していた。
…許さない。
ローマ兵たちの凱旋の声が響く中、踏みにじられたパリシィの怨詛の声が響く。
彼らはシテ島という楽園の中、自然とともに生きてきた種族。そんな彼らは不可思議な力を持っていた。今では、ほとんど失われた太古の力。自然と溶け合い、時に操る、現在では”霊力”という名を持つもの。彼らはその力をもって、自らに呪いをかけた。
許さない。
たとえ、悠久の時が過ぎようとも、我らはこの恨みを忘れない。我らの恨みはこの血に宿り、いつか、我らの意志を告ぐ子どもたちが、この都市を滅ぼすだろう。
我らは待つ。その時を。
彼女たちの口から、深いため息が漏れる。
これまで戦ってきた気持ちを忘れたわけではない。だが、どうしても、パリシィを滅ぼした巴里を守ろうという気が湧き起こってこない。
その時、沈黙を破るように、耳障りな警告音が車内に鳴り響いた。
「敵が襲ってきました! 数、五体! エクレール・フォルトの蒸気ユニットを狙っているようです!」
ついで、メルの緊迫した声が響く。それを聞いたグラン・マは舌打ちをして、大神と隊員たちを振り返った。
「蒸気ユニットはエクレールの弱点だからね…。あんたたち、急いで出撃するんだよ!」
「はい!」
大神が急いで立ち上がる。だが、立ち上がったのは彼だけで、他の隊員は顔を伏せたままだった。
「…できません」
ややして、エリカが悲しげな声で呟く。
「エリカくん!」
「ごめんなさい、大神さん……」
エリカは顔を伏せたまま、そう続けた。いつもの彼女の元気はどこにも感じられない。大神は眉を寄せ、他の隊員たちを見回す。そして、その視線が一点で止まった。
「ロベリア、君もなのか…?」
名指しされたロベリアはぴくりと震えた。パリシィの呪いは、彼女の意志をも取り込むほど強い。出撃する、とは口に出せなかった。
だが、その思いに捕らわれ、彼を見返す事もできない自分に気付き、苛立たしかった。
ロベリアが無言でいると、大神は瞳に悲しげな色を浮かべた後、グラン・マに向き直った。
「自分一人で出撃します!」
ロベリアがはっと大神を見た。
「ムッシュ…。仕方ないね、頼むよ。蒸気ユニットが破壊されれば、このエクレール・フォルトは大爆発を起こす。なんとしても、撃退しておくれ」
「はい。それではすぐに出撃します」
大神は席を蹴り、作戦司令室を出て行った。ロベリアは爪が食い込むほど強く拳を握り、その背を見送る。
敵は複数。一人で蒸気ユニットを守りながら戦うのは分が悪すぎる。まして、逃げ場のないトンネル内では、囲まれでもすれば一巻の終わりだ。
…何をやってるんだ、アタシは! 遠い昔の祖先なんて、アタシには関係のない事じゃないか!
大神の言葉によって、血に支配されていた彼女の意志が少しだけ戻る。そうすると、ようやくその欺瞞に思考が向き始めた。
そう、太古の祖先など、まったくの他人だ。彼らに何があろうと、そのために縛られるなんて馬鹿げたことだ。まして、巴里への復讐に手を貸すなど、とんでもない茶番だ。
―――アタシはアタシの好きなように生きる。血に縛られたりはしない。
ロベリアは立ち上がった。
「ロ、ロベリアさん? どうしたんですか?」
隣に座っていたエリカが、驚いたようにロベリアを見上げる。その彼女に視線を向け、ロベリアは噛みしめるように言葉を紡いだ。
「アタシも行くんだよ、隊長とね」
「え……!」
隊員たちが、何か言いたげに口を開きかける。だが、それより先に、ロベリアは身を翻した。
「隊長、待ちな!」
格納庫に向かっていた大神は、その声にはっと振り返った。そして、ロベリアが駆けてくるのを見て、目を見開く。
「ロベリア…」
「アタシも行くよ。さっさと済ませてボーナスをはずんでもらわないとね」
努めて明るく言ったが、大神は微妙な声の震えに気付き、目を細めた。
「…もう、迷いはないのかい?」
ロベリアの鼓動がどくんと跳ねる。本当は、血が逆流しているようだった。その血に刷り込まれたパリシィの呪いに逆らう事は、ひどい苦痛を彼女にもたらす。
だが、ロベリアは意志の力でそれを押さえ込み、不敵に笑った。
「仕方ないだろう? アンタはアタシがいないと、何もできないんだから」
「ロベリア……」
大神の口元に、優しげな笑みが浮かぶ。そして、彼女に向かって手を差し出した。
「ああ、頼む。一緒に行こう!」
その瞳と言葉には、大神のロベリアに対する信頼、包容、愛情といった感情がすべて込められていた。それを見た瞬間、ロベリアは苦痛が和らぐのを感じる。
これで、良かったのだと思えた。この選択は間違っていない。その思いが、パリシィの呪いを溶かす。
…まったく。アタシもヤキが回ったもんだね。
「さっさと行くよ、隊長」
ロベリアは、差し出された大神の手をはたくと、光武F2に向かって走り出していった。
<了>