試験終了、そして・・・
798年5月末日。王都は、興奮と熱気にあふれていた。
第117代聖乙女 ミュイール=メルロワーズが即位したのである。
「ふう・・・・・・」
即位の式典の後、元聖乙女候補生アシャンティ=リィスは、聖女宮の自室で、自分の荷物をまとめていた。
「はあ、やっと終わったあ。意外と、この一年で物が増えてたのね」
ボストンバッグの留め金をしめたあと、ごろんとベッドに横になる。
そのまま、目をつむると、先ほどの即位の式典の様子がアシャンティの脳裏に浮かんできた。
「ミュイール、きれいだったなあ・・・・・・」
美しく、たおやかな、でも、聡明で、芯の強い新聖乙女。きっと、アルバレアを良い方向へ導いてくれるだろう。
「私も、もしかしたら、あんな風に・・・・、ううん!」
アシャンティは首を横に振ると、勢いよくベッドから起きあがった。
「私には、あの方が待ってらっしゃるんだもの。さ、行きましょう、アシャンティ」
がしっとバッグを掴み、アシャンティはこぼれるような微笑みを残し、聖女宮を去っていった。
アシャンティが、王宮を訪ねると、事情を知っている近衛騎士が、さっそく彼女を王の間へと案内してくれた。
「陛下、アシャンティ=リィス様がおいでになりました」
「おお、アシャンティ! 待っておったぞ!!」
王の間に入ってきた彼女を一目見るなり、国王ウィレム4世は破顔し、彼女を自分のもとへと手招きする。
アシャンティは、にこりと笑って、玉座の前に、早足ですすんだ。
「陛下。アシャンチ=リィス、ただいま参りました」
「うむ、よくぞ参った。聖乙女試験が終わったばかりでつかれているだろうが・・・・、・・・・待っておったぞ」
心なしか頬を赤らめて、そう告げるウィレムの様子に、アシャンティは思わず顔をほころばせた。
「はい、陛下。私も、式が終わった後、飛んで参りました」
「そ、そうか」
嬉しそうに頷いた後、ウィレムは表情を改めてアシャンを見た。
「さて、アシャンティ。悪いのじゃが、わしはもう少ししなければならぬ政務がある。ここでは、込み入った話も出来ぬし・・・。
宮殿に、お前のための部屋を用意させたから、少し、そこで待っていてくれぬか?」
「あ、はい」
そう言われて、アシャンは少し残念そうな顔をしたものの、すぐにまた、笑顔を浮かべた。
「分かりました。では、お待ちしてます」
「すまぬな」
「いいえ。今、アルバレアがどういう状況にあるか、よく分かっていますから」
アシャンの瞳が、きらっと光る。その力強い光に、ウィレムは、一瞬聖乙女の翼を見た気がした。
「・・・そうじゃったな。そなたは聖乙女候補生だったのじゃからな」
「ええ。
それでは、陛下。私は失礼します。私の部屋はどこでしょう?」
「ああ、今、案内させよう」
ウィレムが、アシャンの後ろにいた近衛騎士に合図する。騎士は頷いて、アシャンを宮殿の奥に続く回廊へと導いた。
この日、元聖乙女候補生アシャンティ=リィスは、アルバレア国王ウィレム4世の妃となるため、王宮に居を移した。
「こちらの部屋でございます。アシャンティ様」
途中から、案内を代わった女官が、アシャンを客間の一つへと連れていった。
「わあ・・・!」
その部屋は、ニ間続きの部屋だった。明るめの色調の家具で統一されており、可愛らしい小物が、あちこちに置いてある。
「素敵! それに、とても落ち着く感じ」
アシャンは、嬉しくなって、荷物を放り出すと、部屋中を見て回った。
その様子を見ていた女官がくすくす笑いながら、アシャンの荷物を、テーブルの脇に運んだ。
「お気に召しましたか? アシャンティ様」
「え? えっ、ええ・・・・・・」
今まで、すっかり女官の存在を忘れていたアシャンは、慌てて彼女のところまで戻った。どう考えても、今の自分の行動は、淑女のものではない。
「ごめんなさい、はしゃいでしまって・・・・・・」
「いいえ、喜んでいただけて、良かったですわ」
女官が、人懐っこい笑顔を浮かべる。アシャンはほっとして、彼女に話しかけてみた。
「あの、お名前を教えてもらえますか?」
「はい、私は、アメリアと申します」
「そう、アメリア。よろしくね」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。アシャンティ様。
この部屋も、気に入っていただけたようで嬉しいですわ」
アシャンは、再び笑顔になった。
「はい、素敵なお部屋をありがとう」
「嬉しいですわ。この部屋は、陛下のご命令で、アシャンティ様の部屋に似せて、新しく家具を用意したんですよ」
「え?」
アシャンははっとして、もう一度、部屋の中を見回した。
カーテンの柄、家具の色、配置など、確かに聖女宮のアシャンのへやに似ていた。きっと、それで、初めての部屋なのに、落ち着いて感じたのだ。
私が過ごしやすいように?
アシャンティは、ウィレムの心遣いを感じて、心が温かくなった。
「陛下―――」
アシャンが、ウィレムの妃となることが決まったのは、聖乙女試験も佳境に入った、一月終わりのことだった。
それは、まわりの者にも、アシャンティ本人にとってさえも、突然の決定だった。
いつものように王宮を訪れたアシャンに対し、ウィレムは彼女に恋したことを告げ、妃に迎え入れると宣言した。
アシャンティは驚き、何度も冗談ではないかと尋ねた、が、ウィレムは本気だった。
それからの王宮は大騒ぎだった。
国王が、こともあろうに、孫ほどの年齢の少女に、しかも聖乙女候補生に求婚したのである。アシャンの身分が低いことをのぞいても、すんなり、祝福されるはずがなかった。
宰相や諸侯が連日、ウィレムのもとに訪れた。
「年齢が離れすぎてる」「相手は聖乙女候補生」
だが、ウィレムの意志は変わらなかったし、何より、肝心のアシャンティが、ウィレムの申し出を受けてしまったのである。
相手の同意さえあれば、後は伝家の宝刀「国王命令」で話は決まってしまった。
ただ、聖乙女試験が終わるまで勉強を続けたいというアシャンの意志により、聖乙女の即位式まで、話は延期された。
そして今日、アシャンは王宮にやってきたのである。ギアールとの決着がつけば、盛大な婚礼の儀が執り行われる予定だった。
「本当にここまで来ちゃったんだ、私」
アシャンがぼんやりと呟くと、荷物の整理をしていたアメリアが振り返った。
「え? 何かおっしゃいましたか?」
「・・・ううん。何でもない。それより、何か飲み物をもらえます? 走ってきたから、喉が渇いちゃって」
「ああ! 申し訳ありません、気付かなくて。すぐにご用意しますわ。紅茶でよろしいですか?」
「うん」
アメリアが出て行く。アシャンは、整理途中の自分の荷物に目を向けた。
開きっぱなしのボストンバッグの中から、花形のペンダントがのぞいていた。それは試験中、ファナとミュイ―ルとお揃いで買ったものだ。
「ファナ・・・、ミュイール・・・・・・」
二人とも、素敵な親友だった。アシャンがウィレムから求婚を受けたと知ったときは、相手が国王でも好きにはさせない、と息巻いていた。
二人とも、ウィレムの一方的な想いだと思い込んでいたのだ。無理もないが。
アシャンが、求婚を受け入れると言ったときは、呆れた顔をしていた。
「・・・でも、陛下って素敵な男性だと思うんだけどなあ」
博識なところとか、聖乙女候補生とはいえ、激務の間にお話ししてくださるところとか、とても温かみを感じる方だし。そりゃ、年齢はちょっと離れてるけど。
私って、そんなに変わってるかなあ。
うーん、と考え込んでるところにアメリアが戻ってきた。
「お待たせしました、アシャンティ様」
「ああ、ありがと・・・・。あ! ケーキも持ってきてくれたの?」
アシャンティが、ワゴンにのった生チョコのケーキを見て、ぱっと顔を輝かせる。
「ええ。生チョコはお好きですか?」
「ええ、大好き。ありがとう、アメリア」
いいえ、これくらい。アシャンティ様、どうぞお座りください」
アメリアが、アシャンのまえにけーきを置き、カップに紅茶を注ぐ。
「―――ほう、いい匂いじゃな」
突然、男性の声が割り込んできて、二人ははっと、入り口を振り返った。
「陛下!」
ウィレムがそこに立っていた。
「陛下、執務はお済みになったんですか?」
アシャンが立ち上がり、ウィレムのもとに駆け寄る。
「うむ。なんとか一段落ついてな。アメリア、わしにも茶をくれぬか?」
「あ、はい、ただ今用意いたします」
アメリアが出て行く。入り口の扉が閉まった後、二人は向かい合った。
「待たせてすまなかったな、アシャンティ」
「いいえ。もっとかかると思ってましたし、それほど」
「そうか」
アシャンの答えに、ウィレムは微笑む。それから、ぐるりと部屋の中を見回した。
「ところで、この部屋はどうじゃ? 気に入ってくれたか?」
今度は、アシャンがにっこりと微笑んだ。
「ええ、陛下。とっても」
「そうか、良かった。そなたの好みにあうか心配だったのじゃが・・・・・・」
「素敵な部屋ですわ。陛下自ら、指示してくださったんですよね。嬉しいです」
「それくらいはしてやりたかったのじゃ。他のことはどうなるか分からぬしな」
「え?」
「アシャンティ」
ウィレムが、そっとアシャンの手を取った。
「わしは、そなたが優れた聖乙女候補生であることを知りながら、そなたを欲した。それなのに、口さがない者から、そなたを完全に守ってやることは、おそらくできぬ」
「ああ」
アシャンは、なーんだというように、ウィレムの言葉を笑い飛ばした。
「そんなこと、構いません。私は望んでここへ来たのですもの。問題が多いことも承知しています。平気ですわ」
「・・・アシャンティ」
ウィレムが軽く目を見開く。鼓動が高鳴っていることが、その上気した頬から見てとれる。
「アシャンティ、それは本当か? そなたも望んでいたと言うのか?
・・・それでは、そなたもわしを・・・、その、少しは想っていると思ってもよいのか?」
「まあ」
アシャンが、赤面しながらむうっとした表情になる。
「当たり前です。今まで、知らなかったんですか?
・・・そうじゃなかったら、想ってないんだったら、たとえお相手が陛下でも、私は承諾しませんよ」
今更、なに? 知らなかったですって? もう・・・・・・!
「あ・・・、ああ、すまぬ・・・・」
ウィレムの表情が、翳る。
「強引に話をすすめてしまったから・・・。そなたの気持ちを、はっきりと確かめてなかったし・・・。
だが、そうじゃな、すまぬ。そなたは意志の強い娘じゃからな。力で従わせることなど、できるはずもないか」
「そうですよ、陛下。さっきのお言葉は、私に対して失礼ですよ」
「す、すまぬ」
ウィレムは、すっかり小さくなってしまう。その様子に、アシャンはたまらず、吹き出した。
「うふふっ、もういいですわ。でも、これからは覚えててくださいね」
「うむ」
「さ、それじゃあ、こちらにお座りくださいな。そろそろアメリアも戻ってきますよ」
そう言って、アシャンは、ウィレムの席を整える。
「うむ。アシャンティ」
「はい?」
アシャンが、振り返る。
「―――婚礼の儀、楽しみにしておるぞ」
アシャンは、この日一番の極上の笑みを浮かべた。
「はい、私もです。陛下」
こうして、アシャンは、この日から今度は未来の妃となるための生活を送ることになった。
<Fin>