この方の紹介は、たっての希望により、さくらFanの後輩が書いてくれました。

 

 いや、人が語るのを読むのって楽しいわ。

 

 

 Sakura

 

 

 

 え〜と、それでは真宮寺さくら嬢の紹介をさせていただきます。
 ちなみに、この文章の責任は管理人ではなく某後輩にありますので苦情は受け付けてお りません(多分)。あしからず、ご了承下さい。
(だって、管理人には任せておけないではありませんか。何を書かれる事やら…)

 

 さくら嬢を一言で表すとしたら、以前どこかで見かけたような気もしますが、やはり、 “清”しかないでしょう。
 あの笑顔、姿、振る舞い、何をとっても間違いないでしょう。 それから、桜と言えば春の花ですが、春という季節は、雪が溶け、花が芽吹く、生き物た ちの再生の季節。その生命の躍動、活気をも体現していると言えましょう。“清”は“生” にも通じる言葉なのです。特にこの面は、最初のゲームの『サクラ大戦』の時に、よりハ ッキリとしているのではないでしょうか。困難にぶつかりつつも、明るく、主体的に、積 極的に立ち向かい、失敗にもめげない、そんなところに惹かれるのかもしれません。
 『サクラ大戦』で、すみれ嬢とケンカしたり…、というあたりは“生”の側面の現れと いえるでしょうが、『サクラ大戦2』の方では“静”の側面、より落ち着いた大人の女性と しての側面が前面に押し出されてくるように思われます。まだまだ試行錯誤の段階でしょ うが、より洗練された女性像を示しつつあると言えましょう。
 そして、“聖”としての面。彼女が破邪の血統を持つ家の人であるということは周知のこ とでしょう(?)。桜というものは、日本では古くから聖なる木として信仰されてきたと言 いますが、そんな点も考えると、サクラ大戦というゲームと真宮寺さくらという女性は、 妙にピッタリと合うのです。制作者がそこまで意図していたかどうかは分かりませんが…。 私の思想とは相容れない面はありますが(蛇足ながら、「絶対正義」などというシロモノが あり得るのだろうか? というのが根本的な疑問です)、それ故に彼女が見せる強さと、ま た、そこに同居する弱さ、脆さ、危うさというものが私を惹き付けるのでしょう。
 古来、桜というものは美しい女性の代名詞でした。古事記のコノハナサクヤがしかり、 また、王朝文化の女性の理想像であっただろう紫の上も桜にたとえられています。このよ うな日本的な美しさの象徴の系譜に位置するものとして、真宮寺さくらという女性は理解 されるべきだと思うのです。
 いささかとりとめもなく書き綴ってしまいましたが、ご容赦下さい。彼女には、他のキ ャラクターに比べて個性がない、普通すぎる、という批判がありますし、それは事実かも しれません。また、ゲーム、OVA、TVアニメ、その他多くのメディアで描かれ方が揺 れているのも確かでしょう。
 しかしながら、彼女を日本的な美しさという曖昧なモノの系 譜の上で理解すべきだと考える私としては、それは、作り手の思い入れの多様性の結果だ と思うのです。そして、そのような多様な思い入れを許す包容力が彼女の最大の魅力とい えるのでは無いでしょうか。

 

  それでは最後に歌を2首引いて終わりにしましょう。

      春ごとに 花のさかりは ありなめど 
                  あひ見むことは いのちなりけり

                 『古今和歌集』巻2 よみびと知らず

      ねがはくは 花のしたにて 春死なむ
                   そのきさらぎの 望月のころ

                         西行