「日野……。日野―――?」
声をかけてみて、受話器から何の反応も返ってこない事に気づいた。切れたわけではなく、押し殺したような息遣いが微かに聞こえる。
まさか泣いているのかと眉をしかめた時、やっと返事が返ってきた。
『……先輩、何か悪いものでも食べたんですか?』
小さく柚木の肩が落ちる。
「やっと出てきた言葉がそれかい?」
『だって……』
今度返って来た言葉は、かすかに湿っていて、柚木はどきりとした。
『だって……。なんで、こんな時だけ、そんな優しいこと言うんですか?いっつも意地悪なのに、ずるいですよ。……ばかー、泣いちゃうじゃないですか』
「おい」
香穂子が、ばか、と何度もうわ言のように呟きつつ、泣き出す。何度呼びかけても、今度は無駄だった。
…ああ、やっぱりかけるんじゃなかった。
だが、そう思いつつも、切る気にはなれなかった。
柚木は受話器を耳に当てたまま、彼女の押し殺した嗚咽の音を聞いていた。
−−−「セレナード」80pより
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