かわいい人

             翠 はるか


 「う〜〜ん」
 あかねは、身支度を済ませた後、思いっきりのびをしながら、朝の空気を吸い込んだ。
 最近、気候がいいせいか、昼夜とも、とても過ごしやすい。おかげで、昨夜もぐっすりと眠れ、今朝はすこぶる気分がいい。
 「はあ〜〜〜、気持ちいいっ♪ さてと、今日はどうしようかなあ」
 天真くんと呪詛の情報を聞きに行こうか。それとも、天真くんと怨霊の封印。でも、こんなに気分がいいんだから、天真くんを誘って遊びに行っちゃおっかなあ。
 あかねがのんびりと、そんな事を考えていた時だ。部屋の外の廊下から、ぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。
 うん? イノリくんかな? にしては、足音が小さいなあ。誰だろ。
 あかねが、ひょいと廊下に顔を覗かせると、藤姫が泣きそうな顔で、こちらに走り寄ってくるのが見えた。
 「神子様っ、神子様ぁ〜っ!」
 あかねが顔を出したのに気付いて、藤姫がより足を速める。
 「藤姫? どうしたの? 朝早くから……」
 珍しく取り乱した様子の少女に、あかねは怪訝そうに眉を寄せる。そんなあかねの前で藤姫は足を止め、深く息をついた。
 「神子様、天真殿と友雅殿が言い争いを……。とめてくださいませ」
 「ええっ!」
 少女の一言に、あかねの顔色がさっと変わる。
 「それ、どこ!?」
 「あちらのお庭で。天真殿がひどく興奮されていて……、あのままでは……」
 「分かった! すぐに行ってとめてくる!」
 藤姫が最後まで言い終えないうちに、あかねは廊下を駆け出していた。真剣な表情の彼女に、藤姫は、これならきっとすぐに二人の争いもやむだろうと、ほっと息をついた。
 ところが、もっと悪かったのである。

 ――――まったく、あの三十男はっ。今度、ちょっかいかけたら承知しないって言ってあったのに!
 あかねは長い廊下を、マッハのスピードで走り抜けながら、二人がいる庭へと向かっていた。
 八葉の一人、橘友雅は、名実ともに立派なプレイボーイ(いや、三十過ぎで『ボーイ』はおかしいか。だが、他になんと言うのか知らないので、とりあえずそれでいい)である。
 彼の洗練された物腰と、甘いマスクに騙された女は数知れず。藤姫の館でも、ちょっと時間が余ってると、女房たちに囲まれて、何事か話している。それが、どう気に入ったものか、あかねの友人である森村天真に、たびたびちょっかいを出してくるのである。
 天真の反応が楽しいらしく、事あるごとに、天真が一番言われたくないこと――――「若いね」(=子供だね)を、余裕めかした表情で呟く。天真が何かするたびに、黙って小さく微笑んだりする。
 そこで放っておけばいいものを、直情な天真は怒りを爆発させ、友雅にくってかかる。そしてそれが、友雅を喜ばせる。
 怒りのおさまらない天真は、あかねや詩紋といる時でも不機嫌そうで。一緒に話していても、気が付くと、友雅に対する不満話に話題がすりかわっている。
 あかねは、非常におもしろくなかった。
 ぶっきらぼうでも、時折見せてくれる屈託のない笑顔が気に入っていたというのに、そんなものは、最近ついぞお目にかかれない。
 そして、極めつけの事件。
 この間の物忌みに天真を呼んだら、ちょうど友雅と一戦やりあった直後だったらしく、午前中ずっと不機嫌そうに黙り込んでいて、午後になってようやく口を開かせることに成功したと思ったら、ほとんどが友雅の話題で終わってしまった。
 そこで、とうとうあかねの怒りが爆発した。友雅と二人で出かけ、同じ世界から来た友人という立場をたてにとって、「今後、いっさい私の友人に手を出さないでください」と宣言したのである。
 友雅は、分かったような分からないようなあやふやな返事をしていたが、さっそくまたちょっかいを出したところを見ると、やっぱり分かっていなかったらしい。
 ――――天真くん! 私が駆けつけるまで、無事でいてね!

 あかねが駆けつけた時、天真は友雅につかみかからんばかりの状況になっていた。
 「天真くん!!」
 高欄を乗り越えるようにして庭に下り、天真と友雅の間に割って入る。
 「あかね!?」
 驚いた声をあげる天真を背後にかばうようにして、あかねはきっ、と友雅を睨みつけた。
 「おや、神子殿」
 「おや、じゃありません。何してるんですか、友雅さん?」
 かみつくような表情のあかねに、友雅はくすりと笑みを漏らす。
 「何を怒っておられるのかな? 私はただ、天真と少し話をしていただけだよ」
 「どうせ、また天真くんを怒らせるような話でしょっ! そういう事やめてくださいって、言ったじゃないですか」
 そして、くるりと天真を振り返る。
 「天真くん、何言われたの?」
 天真が怒ったように眉をひそめる。
 「何て言ったか教えてやれよ、友雅」
 はい? 私は天真くんに聞いたのに、なんで友雅さんにいくのよっ。
 一気に不機嫌になったあかねとは対照的に、友雅は愉快そうに微笑んだ。
 「ふふ、天真がうらやましい、って言っただけだよ」
 とたんに、天真があかねを押しのけるようにして、友雅の襟をつかむ。
 「違うだろ! 散々、俺のことを子供扱いしやがったくせに!」
 友雅が、とどめを刺すようににっこりと笑う。
 「若いねえ」
 天真の顔が、怒りで真っ赤になった。
 「てめえっ!」
 「ちょ、ちょっと待ってよ、天真くん」
 あかねなどほったらかしで進む会話に、あかねが焦ったように割って入ると、天真は不機嫌そうに彼女を見た。
 「ちょっと黙っててくれよ。俺は今、こいつと話をつけてるんだ」
 な、なんですってえええ〜〜〜〜!!!
 あかねの肩が怒りでぶるぶる震える。そんな彼女を見て、友雅は更に愉快そうな表情になった。
 「こらこら、天真。神子殿は、君を心配しているんだよ」
 「なんだと! 悪いのは俺かよ。お前が、人のことバカにするからもめるんだろ!」
 「馬鹿になんてした覚えはないが」
 「嘘つけっ、さっきだって、俺のこと、かっ、か……」
 何故だか、天真が口ごもる。
 「ああ。君に『可愛いね』って、言ったことかい?」
 天真が再び赤くなって、友雅を睨みつけた。
 「それだよっ! 何がかわいいだ。そういう事は、周りの女にでも言えよな!」
 「おや、そんなに気に障った?」
 「当たり前だっ。男に向かって可愛いなんて、バカにしてるもいいとこだぜっ」
 「まあまあ」
 友雅が、なだめるように天真の頭を、ぽんぽんと叩く。
 「そんなに怒ると身体に良くないよ。まあ、君はそういうところが可愛いのだけどね」
 「…………!!!!!」
 天真は、思いっきり乱暴に友雅の手を振り払い、あかねを振り返った。
 「ったく、アッタマきた! こんな奴とは一秒たりとも一緒にいたくねえ! おい、俺は今日はもう出かけないからな。出かけるなら他のヤツ呼べ!」
 「えっ、ちょっと、天真くんっ」
 「……心配すんな。ちょっと頭冷やしてくるだけだ。じゃあな」
 そ、そうじゃなくってえ〜〜〜。
 だが、あかねの内心の叫びには、まったく気付かず、天真はさっさと行ってしまった。
 残されたあかねの身体から、どす黒いオーラがたちのぼる。
 「と〜も〜ま〜さ〜さ〜ん〜〜〜」
 恨みのこもった声をあげながら、あかねが友雅を振り返る。
 「怖い顔だねえ。可愛い顔が台無しだよ」
 ぬけぬけと言ってのける友雅に、あかねの怒りは爆発した。
 「誰のせいだと思ってるんですか〜〜〜!!!」
 「まあまあ。天真も行ってしまったことだし、今日は、私と出かけないか? 少し、気を休めたほうがいいだろう」
 「永遠に休みたいって言うんでしたら、喜んで」
 「物騒なことは言わないで。そうだね、野宮へ行かないか?」
 「人気がない所なら、どこでもいいですよ」
 友雅がくすくすと笑う。
 「そういう事は、普通、男のほうが考えるものだがねえ。やはり、神子殿もおもしろいね」
 「つべこべ言ってないで、行くなら、とっとと行きますよ」
 「はいはい、姫君」

 ―――― 野宮。
 京の西にある宮殿。斎宮になることが決まっている皇女がこもり、身を清める場所。
 その神聖な場所に似つかわしくない、「本能に逆らわずに生きる」がモットーの男女が、今、そこを訪れていた。
 「ところで、どうしてここに、私を連れてきたんですか?」
 あかねが尋ねる。確か、ここは別に友雅のお気に入りの場所ではなかったはずである。
 「……心のかけらが戻ってきて、少し思い出したことがあってね」
 友雅が、ぽつりと呟いた。
 実は、あかねは友雅の心のかけらを、すでに三つ見つけていた。だが、決して善意からのものではない。あかねは、どうしてもという時以外は、必ず天真か友雅のどちらかを散策に連れていくのである。もちろん、自分の留守中、友雅を天真に近づけさせないために。
 つまり、二日に一度は連れ歩いているわけで、それだけ一緒に京を回れば、例え望んでいなくても、心のかけらは手に入るのだ。
 「何ですか?」
 あかねは、一応聞いた。だが、友雅は直接には答えず、ふっと小さな笑みを浮かべた。
 「神子殿は可愛いね。詩紋も、イノリも、他の八葉はみんな可愛い。……だが、その中でも、天真は特に可愛い」
 ぴくん、とあかねの眉が揺れる。
 「確かに、友雅さんみたいに成した方には、天真くんの若さとひたむきさは、一種の憧れでしょうね」
 「ああ。君みたいに、一本歪んだ心を持っている子には、天真の直情なところやその奥にある素直さが、さぞまぶしいことだろうね」
 二人の間に、沈黙がおりる。
 「…………。昔、かなわぬ恋をした男がいた」
 は?
 突然の話題展開にあかねは首を傾げたが、気にしないことにした。
 こういう陶酔系の男に、筋道だった話題展開など、求めてはいけない。
 「……相手は斎宮、どう頑張ってもかなうはずはなかった。だが、あきらめきれなかった男は、斎宮が野宮に入られたとき、想いを告げようと忍び込んだ。
 かくして、男は斎宮と逢えたが、彼女は男を拒み、人を呼んだ。男は厳罰に処され、大宰府に左遷されたよ。
 ……彼は、私の親友だった。ちなみに、斎宮は当時の私の恋人だった」
 「……どろどろですね」
 「ついでに言うと、斎宮は男が忍んでくることを察知していたんだ。だが、わざと忍び込ませた。実は、私が斎宮に送った文が、お付きの者に見つかってね。彼女は、その文も男のものだということにして、不貞の疑いをごまかしたんだ」
 「ひえー、さすが、友雅さんの恋人。えげつないですね」
 「可哀想なのは男だ。そこまで情熱を傾けたのに、待っていたのは拒絶と左遷。……人生とはむなしいものだ」
 「……でも、それって、半分は友雅さんのせいなんじゃ……」
 あかねの疑問を、友雅は憂いに満ちた横顔でごまかした。
 「彼が大宰府に出立するとき、彼の背中を見送りながら思ったよ。人生とは淡雪みたいなものだなあ……と。すぐにとけてしまう。けれど美しく楽しい、一瞬の夢のような……ね。でも、今は違う……、違うような気がしている」
 そして、友雅はまっすぐにあかねを見た。
 「できれば、こういう思いは、もうしたくないのだよ。親友と恋人をいっぺんに失うような思いはね」
 だから、それは、友雅さんのせいでしょう。
 だが、あかねはもはや口にするのもバカらしくなっていた。
 「それで?」
 「神子殿。私は、君の事をある意味、高く評価している」
 「はあ。私も、友雅さんのことは侮れないと思ってますが」
 「そうだろう。だから、できるだけ君とは仲良くやっていきたいと思っているんだ。どうだろう、ここはひとつ、快く身を引いてもらえないか」
 「ちょっ……、冗談じゃないですよ!!」
 あかねの叫びが、静寂の内にある野宮を揺るがす。
 「なんで、私が引かなきゃいけないんです! 引くなら友雅さんのほうでしょう!」
 「年長者を立てよう、という気にはならないかい?」
 「前途ある若者に道を譲るのが、正しい年寄りのあり方ってもんです」
 友雅がふう、と息をつく。
 「やはり、大人しく引き下がってはくれないか」
 友雅にとっても、あかねというのは厄介な存在だった。普段から、周到に天真のまわりにガードを張り、隙を見つけて彼と会話を楽しんで(友雅が一方的に)いても、間髪入れず飛んでくる。
 何より、自分の知らない彼の過去を知っているというのが、非常に気に入らなかった。
 「当たり前です。大体、散々好き放題に遊んできて、今更、『君と会った日が、僕の本当の人生の始まりだ』みたいなのは、勝手過ぎます。冗談は、顔だけにしてください」
 そしてふう、と息をつく。
 「……本当に、冗談じゃないですよ。天真くんを、あそこまで仕込むのに、どれだけ苦労したと思ってるんです。一匹狼だった彼を、素直さとちょっとひねくれたところをうまく混在させて、私になつかせるのは大変だったんですよ。とんびに油揚げをさらわれるなんてのは、絶対にごめんです」
 「そうか。では、君にはお礼を言わなくてはならないね。なに、君が大切に育てた天真は、私がおいしくいただいてあげるから心配しないで」
 「だ〜か〜ら〜、冗談じゃないって言ってるでしょ!」
 「むろん、タダとは言わないよ。それなりのものは支払おう」
 「は? それなり?」
 「そうだね。例えば、頼久が小さい頃、いつも抱いて寝てた枕とか」
 あかねの表情が、ぴくっと揺れる。
 「情報、というのでも構わないよ。鷹通の寝室の場所とか、泰明殿がよく身を清めに行く池とか、永泉様の出家前の名前とか」
 あかねの表情がぐらぐらと揺れる。彼女は、天真が一番可愛い! とは思っていたが、他の個性豊かな美丈夫たちにも、かなり心惹かれていたのだ。
 「くっ、くくっ……。で、でも、どうやって、そんなもの手に入れたんですか?」
 「なに、私には知識と経験、そして多少の地位と権力があるからね。まあ、詳しい入手経路を教えるわけには行かないが」
 「ちっ!」
 「ふふ、どうする?」
 友雅の微笑みが、今日ほど悪魔の誘惑に見えたことはない。
 くく…。欲しい。けど、ここで、がっついたら負けだ。それに、もうちょっと渋ってみせれば、値をつりあげられ……、いやいや、やはり天真を、こんなうさんくさい男に渡すわけにはいかない。
 「……っ、結構ですっ!」
 気力を振り絞って、あかねが断ると、友雅はつまらなさそうな顔になった。
 「そうか。では、他の者に売ってしまおうかな。その者が、それをどう使うかは知らないが」
 「うううっ! ……そ、その手には乗りませんよ。私にケンカを売るっていうんなら、受けてたちます。友雅さんに経験とか地位があるっていうなら、私には、残り六人の下僕と、藤姫っていう強い味方がいるんですから!」
 「そう」
 友雅が、すっと真剣な表情になる。
 「では、これから私は、君にも本気で接することにしよう」
 「望むところです」
 ばちばちと二人の間に火花が散る。

 今、本人の意志を全く無視した、二人の熱い戦いが始まったのだった――――。

 


<終劇>


なんじゃ、こりゃあ(^^;;;;;。
まるで、シリーズ化されるような終わり方だし(^^;ゞ。単に、オチに困っただけなんですが。
まあ、万が一でも「また読みたい」という方がいれば、考えもしますが……、ううむ。

ちょっと、友雅の通常三段階目を見てたら、むずむずと書きたくなったのです……。
それぞれのファンの方、ごめんなさい(汗)。

追記:素敵な挿絵をまるっちさんから強奪…もとい、頂きましたので、ありがたく飾らせて頂きました♪
   挿絵用に、少しサイズを小さくしてあります。もっと素敵な元絵はこちら(^^。

 

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