なんで…? 

 放課後、香穂子と天羽菜美は、香穂子の机でタウン誌を広げていた。
 おすすめのデパートや飲食店などが割引券つきで詳しく乗っており、わりと人気の高い雑誌だ。そのページをめくりながら、乙女ふたりの話は尽きない。
 「ほら、ここ。すっごく可愛い服がそろってる店。あんたに似合うと思うよー」
 「へー、天羽ちゃんってそういうの詳しいよね」
 「ふっふん。記者はいつでもあらゆる所にアンテナを張り巡らせておかないといけないのよ」
 菜美は得意げに胸を張り、すぐに別の店をさした。
 「私はここがお気に入り。夏物のワンピを買いに行きたいのよね。今年の流行はミニだよお〜♪」
 「ミニかあ。天羽ちゃん、スタイルいいし、似合いそうだよね」
 「それが、なかなか背のサイズが合わなくって。いつも苦労してんのよ」
 はしゃぎ声が教室に響く。買い物に行く前の打ち合わせは、ある意味本番以上に楽しい時間だった。
 ところが、そんな楽しい時間を遮るように、声が割り込んできた。
 「―――日野さん、いるかな?」
 香穂子は驚いて教室のドアを振り返った。
 突然、声をかけられた事にもだが、聞き覚えのあるその美声に。
 「柚木先輩っ」
 いつ来たのか、柚木梓馬がドアから顔を覗かせていた。
 「やあ、ずいぶん楽しそうだね」
 「どうも、柚木先輩」
 菜美が心持ち緊張したように、柚木に挨拶した。
 幸か不幸か、恐らく不幸だと思うが、菜美は柚木の本性に勘付いてしまっている。香穂子に拝み倒されて黙ってはいるが。
 咄嗟に警戒してしまうのは、もはや条件反射だった。
 一方、柚木はそんな菜美の反応など気付かぬげに、というより無視して、教室の中に入ってきた。
 「先輩、どうしたんですか?」
 「一緒に帰ろうと思って誘いにきたんだよ。それより、楽しそうな声が廊下まで聞こえてたけど、お嬢さん方は何を話していたのかな?」
 「天羽ちゃんと、今度の日曜に買い物に行こうって話してたんです」
 「そうなんだ」
 にこやかに微笑んだ彼は、その優しげな表情のまま告げた。
 「それじゃ、その予定はキャンセルだね。香穂子は、その日、僕と買い物に出かけるから」
 「…なっ、なんですか、それっ!」
 香穂子より先に菜美が反応して立ち上がる。
 「なんでも何も、そういう事だから。いいね、香穂子?」
 「え、で、でも、私、天羽ちゃんと約束して…」
 「だから、それはキャンセル」
 柚木が宣言した時、衝撃から立ち直った菜美が反撃に出た。
 「ちょっと、柚木先輩。後から割り込んできて、勝手に話を決めるなんて横暴じゃないですか?」
 「いやだな、勝手にだなんて」
 柚木が涼しげに言う。
 本性がばれてからというもの、柚木は菜美にまったく遠慮がない。
 「まあ、そういうなら、香穂子に選んでもらおうか。僕と行くか、天羽さんと行くか。ね?」
 最後の言葉は香穂子に向けられたものだった。香穂子は慌てて背を伸ばし、柚木を見る。
 「私が選ぶ?」
 「そうだよ。僕も天羽さんも、君と出かけたいと思っているんだから。さあ、どっちにする?」
 「そ、そんな……」
 香穂子はおろおろと二人の顔を見比べる。
 先程まで楽しいおしゃべりタイムだったのに、あっという間に究極の選択の時間になってしまった。
 「ちょっと、香穂子。私とは前からの約束でしょ。こんな横暴な言い分きくことないって」
 「で、でも……」
 香穂子はちらりと彼を見上げる。彼は優しげな顔で香穂子を見つめていた。が、その瞳はしっかりと『断ったらどうなるか分かってるね?』と物語っていた。
 香穂子は机に伏せるように俯いた。
 間を取って3人で出かける、なんて選択肢は最初から用意されていないのだろう。
 香穂子としては、そりゃ柚木とデートもしたいが、菜美との買い物にだって行きたい。おまけに、菜美のほうが先約だし、約束を破って信頼を失うのも嫌だ。
 だが、菜美は断っても誠心誠意謝って、お詫びにアイスでもおごれば許してもらえる。でも、もし、柚木を断ったりしたら―――………。
 香穂子はだらだらと滝のような汗を流した後、顔の前で両手をぱんっと合わせた。
 「ごめん、天羽ちゃんっ! 絶対、絶対、埋め合わせするから!」
 唖然とする菜美と対照的に、柚木はにこやかに勝者の笑みを浮かべた。
 「決まりだね。それじゃ、香穂子。この計画はまた今度にして今日は帰ろう。送るよ」
 「う…、はい」
 「悪いね、天羽さん」
 ちっとも謝意を感じられない口調で言う。菜美の顔が驚きから強張りに変わり、それを見た香穂子は慌てて柚木の袖を引っ張った。
 「あの、支度がまだ出来てないから、先に行っててください。すぐに追いかけますから」
 「うん?」
 柚木がほんの少し口唇の端を吊り上げる。が、ちらりと香穂子を一瞥すると、表情をやわらげた。
 「ま、いいよ。できるだけ早くね」
 「はい」
 そして、柚木は悠々と出て行った。
 「……ちょっと、香穂子」
 「ごめんっ!」
 香穂子は振り向きざま、机に両手をついて謝った。
 「明日のお昼ご飯おごらせてっ」
 「…いいわよ、もう」
 菜美はふうっとため息をついて、椅子に腰を降ろす。
 「まったく、あんたが甘やかすから、先輩も図に乗るんじゃないの?」
 「だって、後が怖いもん」
 「私だって、まだ少し怒ってるわよ」
 香穂子が気まずげな顔になる。
 「ごめん…。でも、天羽ちゃんは許してくれると思って」
 「先輩は許してくれないわけ?」
 「絶対、無理。何か埋め合わせするまで、いびられる」
 再び、菜美の口からため息が出る。
 「じゃあ、もう行きなさいよ。あんまり遅くなるとまずいんじゃないの?」
 「そうなのよ。それじゃ、悪いけど行くね」
 「はいはい」
 ぱたぱたと香穂子の走る音が廊下に響き、消えていく。
 「…香穂子…。よりによって、なんで、あんな人好きになっちゃったんだろ……」
 菜美は、無人になった教室で、深くため息をついた。


<了>

 

天羽ちゃんが絡むと、なぜか先輩は大人げなくなってしまいます(^^;。
まあ、それも可愛い…かな?

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