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聖なる光のもとで

          早川 京


  その晩ロテールは、自宅のバスルームでひげをあたっていた。
 鏡の中の自分を見る視線を少し上に上げた後、彼は何とはなしに排水溝のふたに目をやった。そして、そこに絡まっている自分の髪の毛を見つめる。それを見ながらふとロテールは思った。
 最近、抜け毛が増えたのじゃないか?
 彼はもう一度鏡に視線を戻し、剃刀を持っていないほうの手で自分の頭に触れた。
 そういえば、髪のボリュームも少し落ちてきているような気がするな……。
 そして、彼は世の男性なら一度は考えるであろうことに思い当たったのだった。
 ……俺は、禿げるのか?
  まさか、とロテールの体が固まる。
 ―――――いや、そんなことはないだろう。親父は50で死んだが、それまで禿げていなかったぞ。禿げは遺伝だって言うからな…。それにフランソワの奴だって問題ないじゃないか。いや、奴は俺より5つも年下だからあてにはならんか。
 ロテールの頭の中で、一族の家系図が駆け巡った。
 そういえば……。
 ロテールの脳裏に、彼の幼いころ亡くなった祖父の姿が浮かぶ。
 禿げは隔世遺伝するって話も聞いたな…って、おじい様は見事に禿げていたじゃないか!!
 ロテールは、自分の顔から血の気が引いていくのを感じ取った。
 
 
 その週、アシャンは特別授業に作法を選んでいた。
 「よくやったな、今日は完璧だぞ。俺の出る幕がないくらいだ」
 授業の後、教官であるロテールが艶やかな笑顔で彼女をほめた。彼の用意したシナリオどおりに、アシャンは完璧に課題をこなしたのだった。
 「いえ、まだまだですよ。今日だって結構緊張してたんですから。もっと自然にできるようにならないと」
 照れたように笑って、アシャンは答えた。
 「まあ、適度な緊張ってのは必要だから、そんなに気にすることはないよ。さ、今日はこれまでにしようか」
 「はい、ありがとうございました」
 そう言って帰ろうとしたアシャンに、ロテールは声をかけた。
 「そういえばアシャン、明日は暇か?」
 「はい?」
 「暇だったら一緒にどこかへ出かけようかと思ってな」
 にっこり笑って誘う彼の申し出に、アシャンはすまなそうな顔をした。
 「すみません、せっかく誘っていただいたのですけど、明日はちょっと用事があって」
 翌日の日曜、アシャンはミュイールの買い物に付き合う約束をしていたのだった。
 「まあ、お前にも都合があるからな…。誰かとデートでもするのか?」
 「違いますよ、ミュイールと買い物に行くんです。もうっ、すぐそうやってからかうんですから」
 少し残念そうな顔をした後すぐ、にやりと笑ったロテールにアシャンは口を尖らせた。
 「いや、すまんすまん。アシャンはすぐむきになるから可愛いな」
 「面白がらないでくださいよ、もう」
 アシャンの様子に、ロテールは可笑しそうに笑う。
 「面白がってなんかいないよ。可愛いアシャンに悪い虫がつかないか、お兄さんは心配なだけだよ」
 アシャンは呆れたように肩をすくめた。
 「ロテール様よりも悪い虫なんて早々いませんから、ご心配要りませんよ。変な心配してると禿げますよ、ロテール様」
 アシャンの言葉に、ロテールの動きがぴたりと止まった。
 さすがにこれは無作法なことを言ったかとアシャンが焦ったとき、ロテールがゆっくり口を開いた。
 「……俺は禿げると思うか?」
 「はい?」
 突然何を言うのかと、アシャンは一瞬ロテールの言葉の意味が分からなかった。
 「あの…」
 「アシャンは、どう思うか?」
 無言のまま、アシャンは目の前の男をゆっくりと見つめ返した。
 もしかして、ロテール様は無作法な物言いに腹を立てているのじゃなくて……。
 彼の目は、あくまで真剣にアシャンを見つめているようだった。
 まさか、本気で聞いているの!?
 王都一のプレイボーイを自他共に認める彼が、どうやら真剣に禿げについて悩んでいるということに、アシャンはようやく気がついた。
 しかも、自分の軽い一言にまで反応してしまうほどに。
 本人にとっては非常に重大な問題なのだろうが、あのロテールが、と思うとアシャンはついつい笑いそうになってしまい、慌ててそれをこらえたのだった。
 「どう、と言われましても……」
 じっと彼を見つめた後言葉をにごした彼女に、ロテールはほっとため息をついた。
 「いや、すまない。変なことを聞いたな」
 内心焦っているような彼の様子を見て、アシャンのいたずら心が顔を出した。
 真剣な顔をして、問うてみる。
 「……聞きたいですか?」
 そのときの凍りついたようなロテールの表情に、アシャンは爆笑しそうになるのをこらえるのに必死になったのだった。
 
 
 その後王都の街の薬局で、抜け毛予防シャンプーとリアップを買い求めるヴォルト伯の姿が見られたとか見られなかったとか……。
 
 
 
 
 後日談(笑)
 その次の日曜、聖乙女候補生たちはアシャンの部屋でお茶を飲んでいた。
 「……ねえ、ロテール様って禿げると思う?」
 「…なっ、あんた、何言ってんのよ」
 アシャンの問いに、ちょうどカップに口をつけていたファナがお茶を吹き出しそうになりながら言った。
 「いや、本人に聞かれて」
 アシャンは苦笑しながら言った。
 「本人が?」
 「うん。なんか、気にしてるみたいで」
 と、アシャンは昨日の顛末を話したのたっだ。
 爆笑しそうになったということまでは、さすがにロテールに悪いと思ったのでアシャンは言わなかったのだが、ファナは止める間もなく笑い出した。
 「ホントに? ロテール様が? やだ、それって面白すぎよ」
 名門貴族のご令嬢とは思えないほど笑い転げる彼女を見たアシャンは、ロテールが少し気の毒になった。
 「まあ、一般に禿げは遺伝するとか言われますわね」
 友人たちのやり取りを聞いていたミュイールが、静かに微笑みながら言った。
 「それって良く聞くけど、本当なの?」
 ようやく笑いのおさまった様子のファナが問うた。
 「さあ、どうでしょうか。マハト様から前に聞いたことがありますけど、ホルモンの関係でもあるようですし」
 ミュイールはニコニコと笑いながら言う。
 いったいどんな状況で聞いたんだろうと、アシャンは内心で思ったが、聞くのが怖いのでやめておいた。
 ……男の人って大変なのね。
 そして、禿げとホルモンの関係について熱心に聞いているファナの様子を横目で見ながら、アシャンはテーブルに頬杖をついて、窓の外を眺めていた。
 でも、ホントのところロテール様って禿げるのかしら…?
 禿げたロテールというのも見てみたいが後悔しそうだなあ、とアシャンは思いながら、空を見上げた。
 その日もアルバレアの空は穏やかだった。
 
 2000.10.30 UP

 


なんつーか、ロテールが気の毒な話です(笑)
いや、別にロテールが嫌いってわけじゃないです。愛ゆえにこんな話になりました(笑)
まあ、笑っていただければ幸いってことで(^^;
でも、早川の個人的には彼は禿げると思うのですが、どうでしょう?

ついでに、抜け毛予防シャンプーとリアップは多分一緒に使うものじゃないと思うのですが、
その辺は気にしないでください。ご愛嬌ってことで(笑)

この話は、あんなさんに捧げます。

 

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