降臨祭の出来事
早川 京
アルバレア暦798年の2月。その日は時折雪の舞うような寒い日曜日だった。だが、次の週末に降臨祭を迎えるアルバレアの街では、色とりどりの贈り物が店に並んでおり、それらを品定めしている娘たちの姿が街のあちこちで見られる。真っ白な雪に映える店の明かりと娘たちの姿で、寒さの中でも心なしか街が華やいで見える時期だ。
マハトはそんな風景を横目で見ながら、用事を済ませて騎卿宮への道を歩いていた。
温かいジャハン地方を離れて大分経つが、やはりまだ首都の寒さには慣れない。時折手をこすって温めながらマハトは道を急いでいた。
そして角を曲がろうとしたとき、彼は後ろから少女の声で呼び止められた。
「おや、あなたもお買い物ですか?」
降臨祭用の手作りクッキーでも作るつもりなのだろう、少女の腕には菓子材料の袋があった。
「はい。マハト様もですか?」
マハトの持っている包みに気付いたのだろう少女が尋ねた。
「ちょっと野暮用を足してきただけですよ。今年はクッキーでも焼くのですか?」
彼の質問に、少女は少しだけ照れくさそうに目をそらした。
「はい、今年は自分で焼いてみようと思って。いや、でも私不器用だから上手くいくか分かんないですけど、あはは…」
照れ笑いをする少女が微笑ましくなって、マハトは少しだけ突っ込んでみることにした。
「誰か、あげたい人でもいるとか?」
「いや、そんな、…いえ…」
「彼ですか?」
とある人物の名前を挙げたマハトに、少女の顔がみるみるうちに赤くなり、しまいに彼女は俯いてしまった。
「やっぱり、…わかります?」
上目遣いで恐る恐る聞く彼女に、思わずマハトは笑みをこぼす。
「あなたも彼も良く言えば真っ直ぐで正直な人たちですからね」
「いえ…、私は単純なんですよ、きっと」
頬をうっすら染めたまま目を泳がせて頭をかきながら言った少女は、そこで思いついたように顔をあげた。
「そうだ、マハト様ならあの方の好みとかご存知ですよねっ」
「まあ、多少は分かりますが、期待に添えるかは分かりませんよ」
彼女の切り替えの早さにマハトは少々驚いたが、それも彼女らしいと話を聞いてやる。
「いえ、良いんです。少しでも参考になればと思って」
「そうですか、では寒いですから歩きながら話しましょうか」
「はいっ、ありがとうございます」
少女もその想い人も、この真っ直ぐなところにお互い惹かれるのだろう。初々しく反応する彼女と並んで歩きながら、マハトは少しだけ寒さが和らぐような気持ちになったのだった。
「おい、マハト。茶ぁ淹れてくれ」
騎卿宮のマハトの執務室へ、勝手知ったるとばかりに入ってきたのはレオンだった。
「レオン、いつも言いますが私の部屋は喫茶店ではないのですが」
と言いつつ毎度のことと、マハトはジャハン産の香りの良い茶を淹れてやる。
「そう堅いこと言うなよ。今日は降臨祭で皆浮かれてるってのに、いつも以上にきっちり真面目に働いてる親友のためだと思ってさ」
とレオンは執務室奥のソファへどっかりと座り込んだ。
今日は降臨祭である。年に一度の恋人たちのイベントということになっている日だけに、街のそこここで仲睦まじく連れそう人々が見られる。そんな日にどうやらこの赤炎聖騎士団長は仕事だったらしく、彼のだるそうな姿はどうやら肉体的な疲れからきているものだけではなさそうである。
「はいはい。でもそのソファも大事に扱ってくださいよね。騎士団の備品なんですから」
「…って、だから堅いこと言うなって言っただろが…」
ため息をついているレオンを眺めながら、部屋の先客が口を開く。
「ふーん、やっぱりレオンって他の団員の仕事替わってあげてたんだ」
と感心したように茶をすすっているのはジャンだった。
「仕方ないだろう。王都の警備はいつもどおりあるけど、今日は休みを取りたがる奴が多かったんだから。お前こそ何でこんなとこにいるんだよ」
「こんなとこ」はどういう意味ですか、とマハトににらまれたレオンをあきれたように見ながらジャンは答える。
「僕はまだ子供だもん、降臨祭とか早いしね。マハトのお茶飲みたいのはレオンだけじゃないもの。まあ、こんな時期に警備の役が回っちゃったなんて赤炎騎士団も災難だったけどさ」
さらりと言ったジャンの言葉には何となく説得力がないなと思いながら、マハトが尋ねた。
「それで、降臨祭を恋人と過ごしたい部下のために、団長自ら警備の仕事を買って出たわけですか」
2人の言葉に頷きながらレオンもカップに口をつける。
「そういうことだ。ま、俺はこういう時期でも暇だし、良いんだがな」
と言いつつ、部屋に入ってきたときの様子から、レオンにはちっとも「良くない」日なのだということは明らかである。
「ほんっと、お人よしだよね、レオンって。ま、その辺の不器用なとこがレオンだと言えばそうなんだけど」
あきれたジャンがため息混じりに言う。
「何だよ、それ」
口を尖らせた友人にマハトが声をかける。
「それにしても、少しは気分転換でもしてきたらどうですか。今日はもう非番なのでしょう?」
「いや、だるいから家帰って寝るわ…」
とソファにぐったりもたれかかってしまったレオンに、やれやれと肩をすくめて他の2人が顔を見合わせる。そのとき、部屋の扉をノックする音がした。
「あの…マハト様」
マハトの応答の後、遠慮がちに開けた扉の隙間から少女が顔をのぞかせる。
「アシャン、どうしましたか?」
「あ、あの、私レオン様を探していて…」
いつもの彼女には珍しく、何となくもじもじしたような言い方にマハトは思い当たる節があった。
「レオンなら、ここにいますが今ちょっと話をしていたので、そうですね、レオンの部屋で待っていると良いでしょう。もう終わるところですからすぐ行きますよ。そうですよね、レオン」
「はっ?」
「すぐ戻りますよね」
突然話を振られて状況が見えていない様子のレオンだったが、マハトの強い口調に思わずソファから起き上がって頷いた。
「あ、ああ。すぐ戻るからちょっと入って待っててくれ、アシャン」
「はい、じゃあお待ちしてます」
アシャンが部屋を出て行くと、マハトとジャンはレオンの方をきっ、見据えた。
「さっレオン、そこでだらけてないでさっさと行かなきゃ」
「何だ、いきなり」
ジャンの言葉に、まだ話の見えていないレオンは怪訝な顔をする。
「良いから、これを飲んでしゃんとしてから会いに行くんですよ」
と言いつつ、マハトはレオンに茶の入った器を差し出す。
「何を突然言ってるんだ、マハト?」
訳の分からないまま口をつけたレオンは、一口飲んで咳き込んだ。
「……っ!!!おい!何だこの辛い茶は!」
「ジャハンの気付け薬の一種ですよ。これで気合が入ったでしょう。さあ、あまりアシャンを待たせないうちにお行きなさい」
と、咳き込んであまり口のきけないレオンを戸口へ追いやりながらマハトは彼を急かす。
「…っ、て、だから、ごほっ、何が言いたいんだよ」
「レオン、今日は何の日ですか?」
一瞬思考の止まったような顔をした後、レオンの耳が赤く染まる。
「なっ、にを、言ってるんだ!アシャンに失礼だろうが!」
「良いから、さっさと行きなさいっ!」
レオンの抗議も聞かず、マハトは彼を部屋の外へと締め出した。
「…強引だったかな」
レオンを自分の部屋へと向かわせた後、残って茶を飲みながらジャンが言った。
「アシャンのあれって、要は降臨祭のクッキーでしょ?」
「ええ、アシャンから少し相談されましてね、彼女を見ていたら協力してあげたくなったんですよ。ジャンも良く分かりましたね」
とマハトはくすりと笑う。
「そんなのとっくに知っていたもの。気付いてないのは本人たちだけだって。カインでさえ知ってるんだから」
とジャンは肩をすくめた。
「そうですよね、あの2人は妙なところで鈍いのがよく似ていますね…」
そう言いながら微笑むマハトにジャンは尋ねた。
「ところで、マハト。さっきレオンに飲ませたのって何なの?」
「あれですか?ちょっとした薬湯ですよ。最初はびっくりするくらい辛いですから、眠気も一発で覚めるんですが、5分ほどすると今度は猛烈な眠気に襲われるんですよ。」
「…は?」
マハトが何かとんでもないことをさらりと言ったような気がして、ジャンは思わず聞き返す。
「いえね、たまたまカインに頼まれて調合してあったのが置いてあったんですが、使ってみたくなりましてね」
「ってことは、レオンは…」
ジャンの顔が心なしか引きつる。
「まあ、部屋には無事に着いたでしょうが、果たしてアシャンとのデートの最中に起きていられるかは分かりませんね。まあ、クッキーはちゃんと渡せるだけの時間はあるでしょうが」
「もしかしてさ、マハトって…」
「アシャンは応援してあげたいと思いますが」
そして、マハトはにっこり笑って言った。
「レオンだけ、簡単に幸せになんてさせるつもりはありませんからね」
そして、ジャンがぽかんと口を開けそうになったのに気付いているのかいないのか、マハトは続けた。
「どんな時でもアシャンを守れるようでなければ、仮にも聖乙女候補と結婚なんてさせられませんからね」
「ねえ、マハトって2人のこと祝ってあげてるの?」
そう尋ねたジャンに、マハトは満面の笑みで答えた。
「もちろんですとも」
マハトの笑顔を見ながら、きっと今ごろ必死で睡魔と戦っているであろうレオンに、ジャンは心の中で合掌した。
そして、自分に恋人が出来たらマハトにだけは黙っていようと固く心に誓ったのだった。
何となく男の友情が信じられなくなりそうなジャンである。
そしてそれぞれの想いをよそに、降臨祭の夜はふけていく。
ひとまずこの夜のアルバレアは平和の中にあるようである。
2003.4.9 UP
一応、降臨祭の時期に思いついたネタです。
でもネタがまとまったら春になってしまいました(^^;;このマハトは多分、他の話のマハトとは別人でしょう(笑)
どっちにしても、ウチの話ではレオンはなかなか幸せにはなれないようです。[ NOVELSに戻る ]