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   陽射し

              翠 はるか


 彼女を最初に見た時は、控えめで優しそうな子だと思った。
 元気いっぱいの他の二人とは少し様子が違っていて、目を引かれた。
 彼女の名は、ミュイール=メルロワーズ。

 その印象が好印象に変わったのは、聖乙女候補たちが召されてから少し経った、ある休みの日。
 その日、僕は森林公園を散歩していた。
 僕は賑やかな場所のほうが好きだけど、ここは特別だった。緑の中を吹きぬける風がすごく気持ち良い。前回の哨戒任務の事とか、考えたいこともたくさんあったし、そういうときにもここはちょうどいい。
 風を受けながら、遊歩道をのんびり歩く。普段、慌ただしい生活をしているから、それだけで気分転換になる。
 そんなふうにのん気に歩いていると、どこからか楽しげな笑い声が聞こえてきた。最初は、気にも止めてなかったけど、声の近くまで来て、僕は足を止めた。
 あれは……。
 遊歩道の脇は芝生が広がっていて、その向こうは森になっている。その境の辺りに、女の子が一人座っていた。
 彼女は僕に背を向けていたけど、すぐにミュイールだと分かった。
 裾の長いスカートを地面にふわりと広げて座っていて、それがまるで大きな花が咲いたように見える。
 そっか。ミュイールも遊びに来てたんだ。
 僕は彼女に声をかけようと思って、近づいていった。そろそろ、一人はやっぱりつまらないなと思い始めてた頃だったから。
 そうやって近づいていき、僕は気づいた。彼女のスカートの周りにちょこまかと動く影がある事に。
 「ふふっ。そんなに急がなくても、お菓子はたくさんあるわ」
 ミュイールの楽しげな声も聞こえてくる。
 よく見ると、ミュイールの足元にいるのはこの辺でよく見かける種のリスだった。肩には、小鳥も止まっている。
 きっと、餌でもあげてるんだろうと僕は思った。同時に、少し困ったなと思った。このまま近寄ると、驚いて動物たちが逃げてしまうだろうから。
 どうしようかと思って、僕はしばらくその場に立っていた。けど、そうしている内に、僕は次第に笑顔になっていった。
 動物たちと遊んでいるミュイールは本当に楽しそうで、優しい笑みを浮かべていた。動物たちも、ミュイールにすっかりなついているようだった。
 動物は危険に敏感だから、冷たい人や乱暴な人には、あんなふうになつかない。
 きっと、ミュイールが本当に優しい人だって分かってるんだと思う。
 なんだか胸が暖かくなった。
 僕は、やっぱり優しい子が好きだ。
 ロテールなんかにそう言うと、「まだまだお子様だな」とか言われるんだけど、優しい子が好きって、普通の事だと思うんだけどな。
 あんなふうな笑顔を浮かべられる人が、聖乙女になったらいいなと思うし。
 彼女が僕たちを導く存在になってくれたら。
 その時、ミュイールが顔を上げた。
 「ジャン様?」
 僕に気付いて驚いた声を上げる。とたんに、リスや鳥たちは森の中に姿を消していった。
 「ああ…」
 驚かせてしまった。邪魔したくなかったのに。
 でも、今さら言っても仕方ないから、僕はミュイールの側に行くことにした。
 「邪魔してごめんね」
 「いいえ、構いませんわ。それより、いつからそこにいらしたんですの?」
 「少し前…。あ、覗いてたわけじゃないんだ。邪魔しちゃいけないと思って」
 「そうでしたの」
 ミュイールがふふっと笑う。その笑顔はやっぱり優しくて、僕は嬉しかった。
 「ここ、座っていいかな」
 「もちろん構いませんけど、ご用事があるのではないですか?」
 「ううん、散歩してただけだから。一人じゃ寂しいなあって思ってたところだったんだ」
 「あら、そうでしたの」
 「うん。ミュイールが話し相手になってくれたら嬉しいな。でも、僕がいたら動物たちが近寄れないかな」
 「そんなことありませんわ。ジャン様はお優しい方ですもの、ほら」
 ミュイールが森の中を指差す。さっき逃げていったリスたちが、またこっちに近付いてきていた。
 「良かった。さっきは驚かせてごめんね」
 「大丈夫、怒ってなどいませんわ」
 「ありがと、ミュイール」
 それから僕たちは日が暮れるまで話をした。
 好きな食べ物や趣味とか、他愛もない話から真面目な話まで。ミュイールは控えめだけど、しっかりと自分の意見を持っていた。魔法や戦略の知識もすごい。でも、コーヒーは苦くて飲めないとか、可愛らしい面も持っていた。
 楽しくて、僕はいつしか時間を忘れていた。
 その時には、もうミュイールを好きになっていたんだと思う。
 寮の門限が近付き、帰らないといけない時間になったとき、僕は残念で仕方なかった。
 だから、勇気を出してみた。
 「僕、もっとミュイールと話がしたいな。今度の日曜日、どこかへ行かない?」
 ミュイールは少し驚いたようだけど、すぐに笑顔になって頷いた。
 「喜んで、ジャン様」
 「ほんと!? 嬉しいよ」
 僕は飛び上がりたいくらい嬉しかった。けど、あんまり子どもっぽいところは見せたくないから、嬉しい気持ちを押さえて、ミュイールを聖女宮まで送っていった。

 それから、僕はたびたびミュイールを誘うようになった。
 僕が知ってる素敵な場所を、全部ミュイールにも見せたかった。そうして、一緒に過ごすたびに、ミュイールへの印象は温かく優しいものになっていく。
 もっと一緒にいたいと思うようになっていく。

 そんな、ある日曜日、僕は聖女宮へ出かけた。今週はタイミングが悪くてミュイールと全然会えなかったから、顔を見に行こうと思ったんだ。出掛けに、ロテールに意味ありげな視線で見られたけど、そんなのは気にしない。
 今日はいい天気だし、どこか遠出するのもいいかもしれない。そんな事を考えている内にわくわくしてきて、僕は自然と走り出していた。すぐに聖女宮にたどりつき、門をくぐろうとした時、ちょうど寮から出てきたファナに出会った。
 「あら、ジャン様」
 「あっ、ファナ。おはよう」
 「おはようございます」
 ファナはにっこりと笑い、スカートを軽くつまんで挨拶した。貴族らしく優雅な動きで、僕は感心してしまう。けれど、戦場ではその優雅さからは想像できないような的確な指示と激烈な魔法を放つ。剣の腕も相当なものだ。まだ甘さはあるけど、さすがは聖乙女候補生だと思う。
 でも、やっぱりミュイールのほうが聖乙女らしいかなあ…。
 そんな事を考えていると、不意にファナがじっと僕の顔を見つめた。
 「どうかした、ファナ?」
 「いえ、つまらない事ですけど…、今日もミュイールを誘いにいらしたんですか?」
 「え…、うん」
 僕は口ごもる。なんだかファナの言葉には、妙な迫力があった。特に『今日も』の部分に不自然なほど力が入っていた。
 戸惑う僕の前で、ファナがため息をついた。
 「聖騎士様が聖乙女候補生のことを気にかけてくださるのは、素晴らしいことですわ。でも、それが特定の候補ばかりというのはどうかと思いますわ」
 「え、ど、どういうこと?」
 「そういう事ですわ」
 ファナはそっけなく言い放つと、短い挨拶をして街のほうへ歩いていった。僕はその場に立ち尽くして、ファナの言葉を頭の中でぐるぐると反芻する。
 ―――『特定の候補ばかり』
 それは、もしかしてミュイールのこと?
 胸の中に、どんよりとした感情がわだかまる。
 ファナは、僕がミュイールをひいきしてるって思ってるの?
 そんな事はしてない。僕の胸にファナへの怒りが込み上げる。でも、僕は確かにミュイールに聖乙女になってほしいと思っている。でも、だからってミュイールを特別扱いなんてしてない。絶対に…してない。
 「僕は………」
 何故だか、気分がどんどん沈んでくる。ファナの言葉がひどく重い。
 僕はひいきなんてしてないのに、どうしてこんなに落ち込んでるんだろう。
 本当は、ファナの言う通り、ひいきしてたんだろうか。ううん、違う。違う…けど、違わない。ミュイールが特別なのは、本当だから。そうなんだ…、僕は…、僕は彼女が……。
 「―――ジャン様」
 「…ミュイールっ!?」
 急に声をかけられ、僕は飛び上がって驚いた。それが、ミュイールだったから余計に。そんな僕の反応を、ミュイールも驚いた表情で見ている。
 「すみません、驚かせてしまったようですわね」
 「うっ、ううん、ちょっと考え事してたから……。それより、ミュイールはどうしてここに? あ、もしかして出かけるところだったの?」
 「いいえ。窓からジャン様のお姿が見えたので、降りてきたのですわ」
 「あ、そうなんだ……」
 僕はどきりとした。僕とファナのやり取りを、ミュイールは聞いていたんだろうか。ううん、その時にはまだミュイールは部屋にいたんだろうから、聞こえるはずない。
 「ジャン様、どうしましたの? なんだかお顔の色がすぐれませんわ」
 「うっ、ううん。そんな事ないよ。ひ、日陰にいるからそう見えるんじゃないかな」
 「そうは見えませんけど…」
 「本当だよ。あっ、ごめん、用事を思い出しちゃった。またね、ミュイール」
 「ジャン様っ?」
 ミュイールの戸惑った顔が目に入ったけど、僕はそのまま駆け出した。後ろも見ずに走り続け、騎卿宮の私室に飛び込む。
 心臓がひどく高鳴っていた。それは、走ったせいだけじゃない。
 心の底では気付いてたことに、はっきりと気付いてしまったから。
 「ミュイール……」
 好き、なんだ。
 同時に思う。
 ミュイールは僕をどう思ってるの?
 誘いに応じてくれるのだから、嫌われてはいないと思う。でも、だからと言って好かれているとは限らない。それに、彼女は聖乙女候補生だ。そんな感情は、何よりの禁忌。
 どうしよう、僕……。
 コンコン。
 ノックの音に、僕は飛び上がった。
 「……だ、誰っ?」
 「私です、ジャン様」
 「ミュ、ミュイールっ? 待って―――」
 止める間もなく、ドアが開かれる。そこには、沈んだ顔のミュイールが立っていた。
 「ミュイール、どうして…」
 「どうしても何も、あんな別れ方をしたら気になるに決まっているではないですか」
 「あ、ごめん……」
 僕は思わずうつむいた。ミュイールはしばらく黙っていたけど、すぐに優しい口調で言った。
 「ご用事はすんだのですか?」
 「えっ? あっ、ああ…、あの、うん」
 今まで、こんな下手な嘘をついたことはない。僕は赤くなった。きっとミュイールに気付かれただろう。
 でも、ミュイールは笑って言った。
 「そうですか。それでは、どこかへ行きませんか?」
 「えっ?」
 「しばらくジャン様と話す機会がありませんでしたから。ご迷惑でなければ」
 「迷惑なんかじゃないよっ!」
 「良かったですわ」
 ミュイールが優しく微笑む。僕の鼓動がまた高鳴り始めた。
 ―――だめ、止められない。
 僕、ミュイールが好きだ。


 それから、僕は相変わらず休日にはミュイールを誘っていた。
 ファナの言葉も気になってたから、前より回数を減らすことに…しようと思ったんだけど、できなかった。
 彼女は聖乙女候補生。神聖不可侵の聖乙女を目指す人。
 でも、駄目だと思うほど、逆に抑えられなかった。
 それに、ミュイールはいつでも優しく迎えてくれたから、余計に歯止めがきかなかった。
 休日に会えないときは、夕方に聖女宮を訪ねた。
 その頃には、ファナ以外の人にもさりげない注意を受けたけど、僕は聞こえない振りをした。
 でも、やっぱり無理があったんだ。

 聖女宮にミュイールを訪ねていって、いつものようにサロンで話している時だった。
 ミュイールがふと顔を曇らせた。
 「ジャン様、私、あの……」
 「ミュイール…?」
 「あの……」
 ミュイールの顔は、いつの間にか真剣なものに変わっていた。僕の胸に不安が押し寄せる。
 「どうしたの、ミュイール」
 「…いいえ。なんでもありませんわ」
 ミュイールはおっとりと微笑んで、口をつぐんだ。でも、何でもないなんて思えない。そう言おうと、口を開きかけた時―――…。
 「もうっ。やっぱり言い出せないじゃないのっ」
 「ファナ!」
 ミュイールが慌てた表情で振り返る。僕もそっちを見ると、ファナが怒った顔をして、階段を降りてくるところだった。
 そのままファナはまっすぐに僕とミュイールのほうへ向かってくる。
 「ミュイール、あなたもちゃんと言うべき事は言わないと」
 「ファナ、いいんですのよ。私は…」
 「何言ってるのよ。勉強の時間が取れなくて、剣武の試験を落としたのはどこの誰?」
 「それは……」
 ミュイールが口ごもる。僕はといえば、思いがけない言葉に青ざめていた。
 「待って、ファナ。それ、どういうこと?」
 ファナが冷たい目で僕を見る。
 「聞いての通りです。この子ったら、最近さっぱり自習ができないでいるから、成績が下がりっぱなしなんです。自習ができない訳は、ジャン様が一番ご存知ですわよね」
 「あ……」
 僕はミュイールを見た。彼女は済まなさそうな表情でうつむいてしまう。
 「僕のせい…?」
 僕がミュイールを連れ回してばかりいるから?
 ミュイールが慌てたように顔を上げる。
 「違います、あの」
 「違わないでしょ。もうっ、誰が聖乙女になるにせよ、最後まで全力を尽くそうって約束したじゃない。その約束よりデートのほうが大事なわけ?」
 「ファナ、私、そんなつもりじゃ……」
 ふたりの言い合いはだんだんと激しくなり、僕はどうしていいか分からなくなった。
 「ごっ、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ!」
 「ジャン様っ!」
 ミュイールの声を背中に受けながら、僕は聖女宮を飛び出した。


 気が付くと、僕は森林公園に来ていた。
 夜の森は落とし穴のように深い。人影もまったく見当たらない。
 でも、今の僕にはそんなことに気がつく余裕もなく、どんどん奥のほうへ走っていった。
 そして、あの場所に出る。
 ミュイールとの思い出の場所。
 僕は、そこに腰を降ろした。
 そして、思い出すのはファナの言葉とミュイールの悲しそうな顔。
 「好きな子に迷惑かけて、その事にちっとも気付かなかったなんて…、最低だ」
 力が抜けて、背後の木にもたれかかる。
 そうすると嫌でも目に入る空には、またたく星が広がっている。
 綺麗だな……。
 綺麗で、澄んでて…泣きたくなる。
 僕はもっと近くで星が見たくなって、木に登ることにした。
 そうすると枝葉に遮られて、見える星は少なくなったけど、その分星が近くなったような気がする。その事に、少しだけ慰められた。
 僕は膝を抱え、そこで夜を明かした。


 次の朝、僕はぐらっと揺れる感覚で目が覚めた。
 「わっ!」
 思わず声を上げ、その声で頭が冴える。冴えた瞬間、自分が木から落ちそうになっていることに気付いた。
 「わっ、わっ…!」
 がしっ。
 身体が完全に傾く寸前、なんとか隣の枝をつかむ。
 「あ、危なかった……」
 大きく安堵の息を吐く。冷や汗を拭って辺りを見回すと、陽光に光る緑の森が目に入った。
 ああ、そっか。あのまま寝ちゃったんだな。
 理解して、また気分が沈む。連絡もせず、外泊してしまった。昨夜は、あの後に会議も入ってたのに。非常事態でもあったと思われてるかもしれない。
 僕って、本当に最低だ……。
 もう、ミュイールにも会えないね。
 ため息がこぼれる。
 胸が痛くて、気分が重苦しくて。こんな厄介な感情は初めてで、どうしたらいいのか分からなかった。
 ただ嵐のような感情をやり過ごすため、僕は昨夜のように膝を抱えて目を閉じた。

 それからどれくらい経っただろうか、軽い足音が耳に届いた。
 誰か散歩に来たんだろう。
 ところが、その足音は僕がいる木の下でぴたりと止まった。
 「ジャン様! ここにいらしたんですのね」
 ………え?
 「ミュイールっ!」
 僕は信じられない思いで、眼下のミュイールを見つめた。
 「ミュイール……」
 間違いなくミュイールだ。
 「みんな心配してますのよ。とにかく降りてらしてくださいな」
 その言葉に、混乱していた僕の頭は一気に冷えた。
 「駄目だよ。僕、君に迷惑かけて…、合わせる顔がないよ」
 「ジャン様、そんな……」
 「ちゃんと団には戻るよ。もう少しだけ、ひとりでいさせて」
 「ジャン様……」
 ミュイールは困っているようだった。それが、また僕の胸を痛めた。
 また、ミュイールを困らせている。優しい彼女を傷つけている。
 でも、もう少しだけ時間が欲しい。
 「―――では、私のほうから参りますわ」
 えっ?
 下を見ると、ミュイールが木に足をかける姿が見えた。
 「ミュッ、ミュイール、危ないよ!」
 僕は慌てて叫んだ。しとやかな彼女がこんな高い木に登るなんて無茶だと思った。ところが……。
 「え…?」
 予想に反して、ミュイールは器用に幹のくぼみや枝に足をかけ、ひょいひょいと木を登ってきた。登りなれていないと、こうはいかない。
 でも、彼女と木登りが僕の中では結びつかず、僕はぽかんとしたままミュイールが登ってくるのを見つめていた。
 ミュイールはすぐに僕のところにたどりついた。
 「ジャン様、さあ、捕まえましたわよ」
 そう言い放つ彼女の顔はきっと眉がつり上がっていて、勝気な印象を与える。それも僕を困惑させた。
 「とにかく戻りましょう。ジャン様のお姿を皆さんにお見せしないと。嵐雷の副団長様なんて、一睡もされてないそうですわよ」
 「う、うん」
 半分耳に入っていなかったけど、僕はとりあえず頷いた。ミュイールがほっとした表情になる。
 「それでは、降りましょう。私が先に降りますけど、ちゃんとついてきてくださいね」
 「うん」
 ミュイールは安心したように、するすると木をすべり降りていった。彼女が無事に着地するのを見て、僕も木から飛び降りる。
 おそるおそるミュイールに視線を目を向けると、彼女は小さく頷いた。その目は赤く充血している。
 「ミュイール…、もしかして寝てないの?」
 そう言うと、彼女は困ったように笑った。
 「ごめん…。僕のせいだね」
 あんな別れ方をしたら、彼女に心配かけるのは分かりきった事だったのに。
 「違いますわ、ジャン様」
 「ううん、僕のせいだよ。僕が身勝手だったから…」
 「違いますわ。お誘いを断らなかったのは、私もジャン様とお会いするのが楽しみだったからです。だから、ジャン様のせいではありません」 
 「えっ?」
 僕は目を見開いてミュイールを見つめた。
 「ミュイール、それって……」
 「お互い様、なんですの。でも、これからはきちんとけじめをつけないといけませんわね」
 ミュイールはそう言うと、公園の出口に向かって歩き出した。
 「ま、待って、ミュイール。今のどういう意味?」
 僕は慌てて彼女を追いかけた。すぐに追いついて、彼女の顔を覗き込むけど、彼女は素知らぬ表情で答えた。
 「今は言えませんわ。けじめをつけると決めたばかりですもの」
 「そんなあ」
 「ジャン様。ジャン様が今なさるべき事は、心配をおかけした方にお詫びする事ではありませんの?」
 「う…。分かったよ」
 ミュイールの言葉はあまりにもっともで、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 代わりに、別の疑問が浮かぶ。
 「そういえば、ミュイール。木登りなんてするんだね」
 すると、ミュイールはいたずらっぽく笑って、僕を見た。
 「ジャン様が私をどう思っていらっしゃるか存じませんけど、私、子どもの頃は結構なやんちゃでしたのよ。木登りだって、毎日してましたわ」
 「うそ。ミュイールがそんな…」
 「本当ですわ。がっかりなさいました?」
 がっかり? 確かに、僕の中でミュイールのイメージが変わった。ミュイールのことだから、子どもの頃も物静かな子だと思っていた。
 でも……。
 「ううん。なんだか嬉しい」
 「あら」
 「ミュイールの知らない一面を見られたから」
 「まあ、ジャン様」
 ミュイールが笑う。本当は、僕はその時、もっとミュイールを好きになったと言いたかったんだけど、さすがに不謹慎だと思って、黙っていた。
 でも、まだ僕が知らないミュイールがたくさんいるんだ。
 そう思うと、なんだか嬉しかった。今回は迷惑をかけてしまったけど、これからはそんな事がないよう、もっと大人になりたいと思った。そして、またミュイールと話がしたい。今度はもう少しゆっくりと。
 森林公園の木々が、優しくざわめいた気がした。


<了>


なんか、こう……。山もオチもない話になってしまった(^^;。
ジャン視点って難しい……。

 

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